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1-12.カンバセーション・オブ・ラバーズ

 ヒロモン時間で4日、リアルでの2日が終わった。

 まだ2日目だからか、ゲームの中とリアルの時間の流れのギャップが違和感となって気持ち悪い。会社に居る間にゲーム内で食事を4回以上食べ、リアルでお昼を1回食べる。ゲーム内では匂いと音だけとは言え食べている感があり、リアルのランチではお腹が空いているのに、また食べるのかと思ってしまう。

 スキル発動中の浮遊感もまだ慣れない。自分の体なのに自分でコントロールしていない感覚と言うのもそうだし、突然コントロールが戻ってくる感覚もそうだ。メニューの選択やコマンドを唱えるのと違い、脳波を絞り出して発信するようなカプセルモードの操作手法に、脳みそも体も慣れていないと言うのが今の状態だ。

 なんだか今日は昨日よりも疲れを感じた。


 俺は業務終了後、さっさと自宅のマンションに戻った。

 俺の部屋は都心部にある高層階のワンルームだ。一人暮らしには充分な広さで、仕事場が近く、比較的新しい建物なので気に入っている。

 とりあえずラフな格好に着替えて夜ご飯の支度をする。お気に入りのエプロンは、某ジーンズ屋の期間限定ものだ。黒いジーンズ生地で、ちゃんと上半身まで隠れるタイプのエプロンである。腰に巻くタイプでは、油の跳ねを防ぎきれないのでいただけない。

 メニューのうち半分は冷凍、半分はその場で調理したものである。冷凍と言っても、休みの日に作って冷凍しておいた俺特製の作り置きだ。チンすれば良いし、食べたい量だけ取り出せる、とても便利な一人暮らしの技だ。

 俺は部屋の真ん中に置いてあるテーブルに料理を並べて、座った。狭い部屋なので通路などなく、テーブルにはもぐり込むように座る必要がある。目の前にはディスプレイが配置してある。

 時計を見ると20時。詩織とメールで約束した時間だ。

「詩織、居るか?」

 俺の携帯端末は部屋に居る時はディスプレイに映像を映すように設定してある。音声コマンドもカスタマイズしてあるので、彼女の名前を呼ぶだけで映話(注5)を繋げてくれる。

「はいはい、居るわよ。」

 ディスプレイに彼女の上半身が映し出される。俺と同じくテーブルに料理を並べてる。

 ピンクのパジャマ姿で、髪が湿っていることから、風呂はもう済ませたようだ。

 俺の彼女である詩織は、都心部から少し離れたところに一人暮らししている。お互いに夜遅くに帰宅することが多いためリアルに毎日は会えないが、ほぼ毎晩のように映話で話して時間を過ごしている。動画を見る時はアバターを使うこともある(注6)が、食事時は映話を使っている。ディスプレイを裸眼3Dモードにすると、詩織と一緒にご飯を食べているようで楽しい。

「よし、ご飯をいただこう。いただきます。」

「うん、いただきます。」

 俺と詩織は手を合わせてお辞儀をする。

 挨拶が終わると、俺は缶ビールを開け、ごくごくと飲み、盛大に息を吐いた。

「う~、沁みるなぁ。」

「啓治、お疲れ様だね。」

「ああ、なんかね、新しいプロジェクトが始まったばかりで慣れなくてね。」

「テスターだっけ?」

「テスターと言うか、テストプレイヤーね。」

 俺の中ではテスターはバグ発見が仕事で、テストプレイヤーは開発部隊へのフィードバックをしたり、より広い範囲の仕事をするイメージでいる。

「昨日からだっけ?」

「そう、昨日から。中高生の頃だったら、一日ゲームだけしてれば良い生活を楽しめたかも知れないけどね。この歳になると疲れるばかりだよ。」

「ふぅん。ゲームってヒロモンでしょ?」

「ああ、ヒロモンだよ。」

「新しいフィールドとか、新しいスキルとか、そう言うの試しているの?」

 テストプレイと言って思いつくことが俺と同じだ。さすが彼女。

「フィールドはそうなんだが、ちょっと違うかな。後、スクリーンショットとかはないよ。」

「彼氏にネタを強請(ねだ)るほど記者として落ちぶれてません。今のは雑談。」

 詩織はネット・メディアの記者だ。知り合ったのもヒロモン関係のイベントだった。裏方としてプレゼン用の環境セットアップに駆り出された俺は、イベント後の懇親会で取材に来ていた詩織と隣の席になった。

「なんだ、女スパイに寝物語を聞かせてあげようかと思ってたのに。」

「うわ、啓治、言い方がやらしいよ。」

「やらしい方が男としては健全なの。」

「男って勝手ね。大体、スパイに狙われるほどの機密情報は持ってないでしょうに。」

「そんなことないぞ。俺は天下のテストプレイヤー様だからな。」

「どんな秘密を知っているのよ。」

「驚くなよ。ヒロモンはな、ゲームじゃないんだ。」

 詩織の顔にクエスチョンマークが浮かぶ。

「ゲームじゃなければ何なのよ。」

「ヒロモンは、実は異世界を再現した文明シミュレーターなんだ。」

 俺は、山際さんと金さんが言っていた言葉を言ってみた。

「何よ、それ。」

「ヒロモンは異世界そのものなのさ。プレイヤーなんて居ても居なくても存在してられるってこと。現実とは異なる世界へようこそ!」

 詩織が首をかしげる。

「今時、そんなに珍しい話でもないでしょ。ゲームのグラフィックなんて、大手が出しているゲームならリアルと変わらない見た目だし、現実に疲れたあなたにセカンドライフをってのもキャッチフレーズとして使い古されている感じだわ。」

「まあね。違いがあるとすれば、一般的なゲームでは木々の揺れはパターン化されたエフェクト動画で表現するけど、ヒロモンではリアルタイムでジェネレートしているってところかな。」

「そんなの見た目じゃ大して違いは分からないし、ユーザーにとってはどっちでも良いことだわ。木が揺れているってことが分かれば良いだけだもん。」

「確かにそうだろうね。ただ、そういったひとつひとつの小さな積み重ねは、総合的に見ると大きな違いにはなるだろう。」

「なんかユーザー不在な気がするな。そう言った開発側の(こだわ)りって、コストを考えたら採算取れなくなるだけでしょ。」

 ゲームは商品だ。当たり前のことだが、ゲーム会社は商品を売らないと潰れてしまう。

 ネットゲームには古くから様々な課金モデルが存在する。最初にソフトウェアを買ってから始めるタイプ、基本プレイは無料のタイプ。始めてから、月額いくらのタイプとアイテム課金タイプ、シナリオごとに購入するタイプ。色々な組み合わせでビジネスモデルが作られている。スポーツジムのように、入会費を払った上に、1回のプレイごとに課金するゲームもある。

 大手のMMORPGでは、ソフトウェア購入+月額いくらといった料金モデルが主流である。MMORPGのようにグラフィックやシナリオに()ったゲームとなると開発コストがべらぼうにかかるため、ただでは配れないのだ。最初にお金を払ってもらって開発費の一部を回収し、月額いくらで運用費と次の開発費を稼いでいるのだ。

 小規模なMMORPGだと、SNSゲームのようなライトゲームと同じく基本プレイ無料のものもある。いわゆるアイテム課金タイプだ。ただし、無料のMMORPGはふた昔くらい前のゲームを焼き直したようなものが多い。グラフィックはそこそこ、シナリオもそこそこ、でも気軽にプレイが可能なので需要はなくならないと言ったところか。

 で、ヒロモンはと言うと、困ったことに基本プレイ無料である。大手ゲーム会社が関わっているのにだ。当然、他の大手ゲーム会社のゲームと同等以上の内容を提供している。カプセルモードを搭載していることを考えると、ゲームのスペックは頭ひとつ抜け出ているトップレベルのゲームとも言える。それが無料だ。ゲーム業界に与えたインパクトはすさまじく、価格破壊により他のゲーム会社に大きな打撃を与えたとも言われている。 

 で、ヒロモンが採算が取れているのかと言われると、詩織の言うとおり取れていないのは明らかだ。デザインテンプレートやカードの販売等、アイテム課金の売り上げはそこそこあるだろうが、2年以上もの開発期間があったのだ、元なんて簡単に取れるものじゃない。

「ああ、だから、ゲームじゃないってことなんだろう。」

「そこが分からないのよ。なんで、採算が取れないどころか、大赤字とも思えるゲームを世の中に出したのかってのが。ヒロモンがリリースされて、他のゲームからヒロモンに多くのユーザーが流れたわ。他のゲーム会社からしたらいい迷惑よ。いえ、ゲーム業界からしたら、あれだけの価格破壊は百害あっても一利もないわ。まだリリースされてから半年だけど、この状況が続くようなら他のMMORPGは、いくつかサービス停止するわよ。」

 まったくもって詩織の言うとおりである。ゲーム業界全体のことを考えたら、一社独り勝ちと言う状況は望ましくない。色々な会社が切磋琢磨してこそ、全体が繁栄するのである。

「そこがそれ、ヒロモンはゲーム自体で儲けようと考えてないからだろうな。」

「意味わかんないわ。じゃあ、何のためにヒロモンはあるのよ。」

「最初に戻って、異世界を再現した文明シミュレーターってことだよ。」

 詩織は眉に皺を寄せて考えている。

 詩織は理系だし、ITやゲームの記者をしているのもあって、色気のない会話は得意である。そう言ったところは、俺も理系でオタク気質があるので、気が合うところだと思っている。

 なので、俺たちの話はすぐに小難しくなる。

「それに、MMORPG自体が落ち目なのは時代の趨勢(すうせい)と言うか、仕方ないんじゃない?MMORPGはプレイ時間が長すぎるから、よっぽど好きな人か暇人じゃないとできないでしょ。その証拠に、ユーザー層も大学生以下の子供が大半みたいだし。大人はライトゲームか健康的なスポーツゲームをするんだよ。」

 冷たい様だが、普段ゲームをしない俺からすると、MMORPGがなくなることで困ることはない。

「だからこそ、ゲーム業界が一丸となって盛り立てるとかさ、必要なんじゃないの。」

 詩織はちょっとしたことでもむきになる。正義感があり、負けず嫌いなところもあり、基本的に沸点が低い。何かにつけて憤慨している。

「イノベーションが必要なんだろうな。」

 俺は次のビールの缶を開けた。

 詩織は難しい顔をしたままだ。

「イノベーションって、どんなことよ。」

「例えば、ハードウェアではカプセルの普及。」

「でも、カプセルって高い上に面倒なんでしょ。」

「ああ、とっても面倒だね。それに、なんか、脳みそが疲れる。」

「啓治、カプセル使ったことあるの?」

 詩織がちょっとだけ驚いた顔をした。

「ああ、今のテストプレイはカプセルモードを使っているよ。毎日、会社に行くと着替えて悪の組織の下っ端に変身するんだ。」

「うわ、どんな感じ?」

 詩織が難しい顔から好奇心に溢れた顔に変身した。

「かなり現実(リアル)だね。仕組みはさっぱり理解できないけど、風の匂いも感じるよ。」

「どこのメーカーの?型番は?」

 詩織が突っ込んで聞いて来た。

「あ、そう言えば意識してなかった。」

「何よ、信じられない。大事なことなのに。」

「悪かったよ。次までに憶えておくから。」

 社会的な憤懣(ふんまん)はどこへやら、意識はカプセルに行ってしまったようだ。

「SQ社のだったらお台場かどっかにシアターあったわよね。HR社のも探せばあるかな。今度、行ってみようかしら。」

「コンテンツによるけど、試す価値はあるよ。着替えるのだけは面倒だけど。」

「そうよね、一般に普及するには、もっとお手軽じゃないとね。」

「お手軽さはな、あるな。今のままでは普及は難しいかも。ただ、面倒さを超える感動はあるよ。価格がこなれてくれば売れるんじゃないかな。」

 ヒロモンをカプセルで体感してしまうと、カプセルモードは素晴らしいと公言したくなるのは確かだ。

「ただ、ハードのイノベーションもそうだが、ソフトウェアのイノベーションも大事だよな。」

「MMORPGで今以上に何があるのよ。グラフィックもリアル相当、サウンドも充分、ゲームシステムは試しつくされてる、他に何があるのか思いつかないわ。」

 詩織が再びしかめっ面になる。

「ヒントは、繰り返しになるけどヒロモンが異世界シミュレーターだってところかな。」

 俺は、オーソン村の面々を思い浮かべた。

 自我を持ったAIと言うのは、それだけで世紀の発明である。とは言え、だから何だと言われる可能性も高い。MMORPGにおけるインパクトを考えれば分かるだろう。NPCが自我を持ったからと言って、ゲームがゲームとして面白くなるかと言われると、そういうものでもないだろう。

 では、意味がないかと言うと、何かありそうだとも思う。金さんが文明シミュレーターだと言って喜んでいるが、今は研究目的だとしても、良い応用の仕方を考えられれば、画期的に世の中が面白くなるような気がしている。

「それが重要機密なの?」

「まあね。テストプレイの環境は、まったくもって異世界だからな。それがゲームとして面白いと感じるかと言うと人によるだろうけど、本当の意味で仮想現実(ヴァーチャル)=現実と見分けが付かない世界ってのは、存在するだけでインパクトあるよ。」

「具体的には、何のことなのよ。」

 詩織の顔に、クエスチョンマークが見て取れる。

「そこは機密事項なので。」

 俺はにやりと笑ってみた。

「そこが分からないと何も言えないじゃない。」

 詩織が口をとがらせて言う。

「業界の裏読み的なことをするのが記者の仕事だろ。ゲーム会社側の人間から情報を引き出すばかりが取材じゃないだろ。」

 俺は笑いながらに、ちょっとだけ意地悪なコメントをしてみる。

「そうなんだけどさ。ヒロモンは何者なのかって話は、各メディアが社説を出しているけどね、どの説にも決め手がないのよ。」

「ただでは情報は得られないものだよ、詩織くん。」

 俺は自分でも分かるくらいにやにやと笑った。

「もう、何が望みよ。」

 詩織は少し不満げな顔をして見せる。

 詩織は色気のある話が苦手だ。ショートカットで猫目な外観の通り、少々きつめの性格をしている。だが、色気のある話を振ると、とたんに挙動不審になる。

「情報が欲しいなら、やっぱり色仕掛けが必要じゃないかな。」

「な、なにを言えば良いのよ。」

「そうだね、俺を籠絡してみたら?」

 詩織は、口をあーとか、んーとかしながら、顔を赤くしている。

 きっと、頭の中でぐるぐると考えがループしているのだろう。

「例えば、私を好きにして良いわよと言ってみるとか。」

 詩織は色々と躊躇(ためら)ったあと、うつむいてしまった。

 詩織のこういうところが可愛い。

 映話じゃなければ、飛びついていたところだ。

「ま、特にイベントも発生しないようだし、俺は機密情報を漏えいしなくて済んだと言う。」

 俺は詩織をいぢめるのを途中でやめておいた。

 詩織はしばらく落ち着かない様子だったが、話題を変えたことで調子を戻してきた。

 こういう時は、映話ではなく、一緒が良いなとつくづく思う。

 俺が疲れていたのは本当なので、その夜は会話を早めに切り上げて眠ることにした。

 

 

注5:映話えいわ

 言わずと知れた「テレビ電話」のこと。今時、テレビも電話もないが、お年寄りにはテレビ電話の方が通じやすいかも知れない。スカイプとかメッセンジャーとか言っても良いかも。


注6:アバターを使う

 バーチャル映画館に行くのにアバターで入り、アバターの目を通してスクリーンを観ることを指している。使っている俺が言うのもなんだが、意外と需要があるらしい。

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