1-9.アフター・デューティーズ
俺が休憩室でコーヒーを飲んでいると山際さんがやってきた。
「お疲れ様です。順調ですね。」
「あ、お疲れ様です。」
山際さんは自分の分のコーヒーを入れると、にこにこと俺の正面に座った。
ちなみに休憩室のコーヒーはタダである。そこそこ美味い。しかし、残念ながらお菓子は有料だ。富山の薬売りのように置き菓子が置いてあるだけだ。頭脳労働者のためには糖分が必要なのだから、お菓子くらいタダで配ってくれても良いのに、残念だ。
「なかなか人間関係が良好のようですね。」
「田舎の人はフレンドリーですよね。」
「好意的な人間が周りに多いと言うのは良い事です。」
「それにしても、ヒロモンのNPCは凄いですね。人間と変わらないじゃないですか。今のところ何の違和感も感じません。自警団の人なんか、好奇心と職務的義務感からわざわざ俺を訪ねて来ましたよ。」
「実は、私も驚いています。初期のAIは見てましたが、あそこまで感情が豊かではなかった。」
「そうなんですか。」
「ユーザー行動の反映によるAIの進化が行われた結果でしょう。」
そう言えば、さっき人間のサンプルを集めるためにゲームを作ったと言っていたな。
「具体的にはどういう仕組みなんですか。」
「そうですね、函崎さんは、GMの仕事は何だと思いますか。」
「イベントの企画とか新しいモンスターの開発とかですかゲーム内トラブルの調停役とかですか。」
「ゲーム内トラブルの調停役が主な役割ですね。ゲームにログインしている運営チームをGMと呼んでいます。イベントの企画とか新しいモンスターの開発は、運営側の企画・開発チームが担っています。では、開発した後、ゲーム世界におけるバランス調整やアップデート管理は誰が行っていると思いますか。」
「それは、やはり企画・開発チームですか。それともアプリチーム?」
「どちらも違います。例えば、モンスターを追加します。すると、プレイヤーが冒険者ギルドや図書館で閲覧できるモンスター図鑑の内容を全て書き換えなければなりません。冒険者ギルドに掲示される討伐クエストにも反映が必要です。そもそも、モンスターの生態系のバランス調整は非常に難しいです。将来的にはNPCの記憶にも影響するでしょう。これを人の手で漏れなく行うのは手間ですし、不可能でしょう。」
まあ、そうだろう。
「なので、ゲーム世界を管理するAIを使っています。函崎さんもご存じのAIですよ。」
俺が知っているシステムAIはひとつしかない。
「OASISですか。」
「はい。OASISは、インフラ管理からアプリのバージョン管理からゲーム世界のバランス調整まで全体を管理しています。」
「そうだったんですか。」
「はい、OASISは、World of Heroes & Monsters Onlineにおける絶対神みたいな存在なのです。正確にはOASISは全体管理用AIであって、サブモジュールとも言うべきAIが複数いるのですがね。」
まったく知りませんでした。
OASISが一番上の神様として、天使なり別の神様なりを従えているイメージだろうか。
「AIの進化の話に戻りますが、ユーザーの行動パターンを分析、AIのコアモジュールに反映、テスト環境をアップデートと言うのを毎日のようにOASISに行わせています。ただ、正直、AIがここまで人間らしくなっているとは我々も驚いているのです。」
「山際さんはヒロモンをプレイしたことないんですか?」
「ええ、私はテスターのプレイを脇で見ることはあっても、自分ではプレイしていません。また、今回ほどじっくりと見たこともありませんでした。」
まあ、そうかも知れない。山際さんはマネージメント層の人間だ。現場で手を動かすことは通常ないだろう。
「山際さんもプレイしてみると良いですよ。俺もゲームなんて久しぶりにやりましたが、これは凄いと感じてます。」
「ええ、私もしてみたくなりました。自分用のカプセルを用意させようかと考えているところです。」
山際さんはかなり乗り気である。ゲーム会社に勤めているのだ、ゲーム好きでもおかしくない。若干、職権乱用な気もしないではないが。
「そうだ、山際さん。いくつか気になる点があるので質問して良いですか。あとお願いも。」
「ええ、良いですよ。」
俺は、最大の課題について聞いてみることにした。
「今日は、いつ家に帰ったら良いですかね。」
「業務時間が過ぎれば、いつでも良いですよ。」
質問の仕方がまずかった。
「いや、言葉足らずでした。ヒロモンの世界はリアルの4時間で1日ですよね。俺が帰宅して、翌日、再ログインするまでに12時間くらい経ってしまう。そうすると、俺はゲームの世界で3日間、不在もしくは眠り姫状態になるんじゃないでしょうか。」
「ああ、そう言うことですか。函崎さんがログアウトした後、テスト環境の一部を停止するつもりです。ちょうど函崎さんの居る村です。翌日、ログインする前に起動しますので、明日、寝坊されてもタイムラグなくプレイできます。」
結構、力技だった。
「そんなことをしたら、他の町と時間がずれてしまいませんか?」
「函崎さんが村を出た後で村のシミュレーション速度を上げますから、すぐに時間が追いつきますよ。」
訂正、かなりの力技だ。
「それから函崎さんが村を出てからの予定ですが、王都で冒険者登録をしていただく予定です。冒険者であれば、宿から数日姿を消したとしても周りは変に思うことはないでしょう。王都は村と違って、研究者やスタッフが入り込んでいるので時間を停止するわけにはいきません。」
なるほど、そのための旅人であり冒険者なのか。今回の設定のように1ヶ月分ほど前払いで部屋を借りておけば、仮に俺が現れなかったとしても宿屋に損はない。冒険者であれば失踪も珍しくないだろう。
「他の人たちも冒険者なのですか?」
「いえ、スタッフは宗教団体を運営しております。」
「宗教団体?」
「マニュアルにもありますが、幸運の光と言う団体です。幸運の神様を祀って、カードの頒布を行っています。」
「ああ、カード屋。」
カードバトルができるMMORPGなのだから、カードを作って売る施設が必要だ。カードを売っているのは運営なのだから、カード屋はゲームマスターの集団である。考えてみれば当たり前だ。
「宗教団体の顔と商人の顔の両方を持っていると色々便利なのです。どちらもどこの国に居てもおかしくないですから。宗教に排他的な国には商人として、商業に排他的な国には宗教団体として入り込むことができます。」
さすがヒロモンを文明シミュレーターと言い切るだけのことはある。とても良い隠れ蓑だ。
「実際に行ってみると怪我の功名もありました。幸運の光の運営もスタッフばかりですることは不可能ですので、ほとんどNPCに運営を任せています。すると、スタッフがログアウトすると何日も不在になり不審に思われます。むしろ、街中でなく同じ建物の分、不信感が増します。ところが、NPCは勝手に考えてくれたのです。宗教上の理由で姿を消しているのだと。どうやら祈祷や儀式を行っていると思われているようです。」
「宗教団体で良かったなと。」
「ええ、宗教団体で良かったです。」
世の中の謎と言うのは、本人が意図しないところで他人の深読みによって自然と解かれるものらしい。
「そういう意味では、神が居て魔法のある世界と言うのも世界の矛盾を吸収してくれる良い環境になっています。村ごとに時間の流れを変えた後、元に戻さなかったとしても、恐らく魔法的な現象と言うことで済まされてしまうでしょう。」
ヒロモンだって、そもそも人が作ったシステムなのだ、バグが無いわけがない。だが、世界の矛盾を神や魔法で解釈できるなら、バグによる不自然な現象すら問題になることはないだろう。なんてご都合主義な世界なんだろうか。
「そこまで考えてヒロモンをファンタジーの世界にしたのですか?」
「いえ、違います。世界がファンタジーと言うのは、ロード・ブリティッシュの時代からの決まり事なのです。」
「?」
山際さんもゲーム会社の人だけあって、マニアックな人なのだろう。言っていることが理解不能だ。
微妙な空気になったが、俺は気を取り直した。
「次の質問です。」
「はい。」
「リアルとヒロモン世界の時間のズレについてなんですが、NPC側の感覚的にどうなってるんでしょうね。例えば、NPCとの会話はリアルの時間と同じ速さで行われてますよね。なのに夜はリアルの2時間半でやってくる。NPCとしては、一日が短く感じているのじゃないでしょうか。」
2時間半で1日だなんて、テストプレイじゃないが1日が午前中しかないのである。時間がないなんてものじゃないだろう。眠らなくて良いなら問題なが、ヒロモンの世界には隠しパラメーターとして睡眠の充足度も実はある。
「詳細な分析はこれからですが、NPCは意外と気にしていないと私は思っています。なぜなら、NPCは産まれた時からそう言う時間の流れの中で生きてきたのですから。」
「ん~、そう言うものですか。」
「それと、彼らも色々と考えて生活しているようで、不自由は少なさそうですよ。」
山際さんが笑顔で言った。
山際さんは、いつもにこにことしているのだが、どうやら、更に上の「笑顔」と言うのがあるようだ。
山際さん豆知識。
「金さんからの話なのですが、生活において魔法があるとは、こういうことなのかと思わされる技術がいくつも生み出されているようです。世界観は中世ヨーロッパですので文明レベルもその程度と考えられがちですが、作業効率や生活レベルはリアルよりも上かも知れません。」
魔法か、まだ使ってないが便利なんだろう。
「例えば、彼らは街道魔法と言うのを生み出しています。村と村、町と町を結ぶ大きめの街道では、専用の乗り物を使うことで移動速度が馬車の2倍にも達します。街道を移動している本人には分かりずらいですが、外から見ると凄いスピードですよ。」
「魔法って生み出せるものなのですか。」
「正確に言いますと、NPCが新規に魔法を作り出すことはできません。NPCはシステムを改変する権限を持っていませんから。彼らが行っているのは、既存の魔法を組み合わせることで、あたかも新しい魔法のようなものを生み出しているのです。街道魔法の場合は、高速移動と言う魔法をベースに、結界と呼ばれるモンスター除けの魔法、隠ぺいの魔法等の複数の魔法と、人が介在しなくても魔法を発動させるための魔石を組み込んだ装置を使っているようです。」
「装置ですか。」
聞いていても、どうやって作るか不明な高度な技術のようだ。
「魔法と魔石を使った装置は多数開発されているようです。発熱の魔法と魔石を組み合わせたコンロや暖房器具もありますし、冷却の魔法を使った冷蔵庫もあるみたいです。」
「色々と考えてますね。」
「まさに魔法文明です。」
シミュレーションを200年分回したとのことだが、確かに文明が発展しているようだ。
「でも、それって、テスト環境の文明だけが発展してたりしませんか。」
「そうですね、現状を見るとそうなってます。ただ、全世界のNPCに自我を持たせる際には、大幅にパッチを当てて文明レベルに大きな差が出ないように調整するつもりです。今も、OASISが他国へのアイテム追加を随時していますし、本番環境とテスト環境の誤差は少なくなるように調整しています。」
NPCをAI化すると言うが、今まで自我がなかったNPCが、ある日突然、自我に目覚めるってどんな気分なのだろうか。それも世界全体が。色々と大混乱が起きそうだけど大丈夫なのだろうか。まあ、今のテスト環境は200年前に乗り越えてきたことなのだから、次も問題ないのだろうな。
「それと、小さなお願いなのですが。」
「何でしょうか。」
俺は大きな話を考えるのは止め、小手先の話をすることにした。
「生産系のアイテムについてですが、デザインテンプレート等はありますか。できれば家具とか装飾品とか、いくつか欲しいのですが。」
ヒロモンでは、生産系のスキルは実は難易度が高い。ポーション系や通常の武器、防具の作製は、スキルを身に付ければ良いだけだ。しかし、服とか道具とかで凝ったものを作ろうと思うとリアルのスキルが必要となる。
例えば、一般的な机であれば、4本の脚と天板があれば机になる。デザイン性を考えなければ、机の機能としては充足する。これに装飾を施すとなると、デザインツールを使用して設計図を書かないとならなくなる。デザインには、CADや3Dグラフィックを操るリアルなスキルが必要となってくる。
どこのMMORPGでもそうだが、服飾や家具には職人と呼ばれるプレイヤーが居て、とても素人では作れない素晴らしい出来のものを作る。デザイン関係の仕事をしている本職から学生さんも居れば、純粋に趣味でしている人も居るが、まさに素人離れしている人たちは多い。
だが、世の中、そんな人ばかりではない。なので、運営側で基本的なデザインであればタダで配るし、複雑なものであれば課金アイテムとして用意するのが普通だ。ヒロモンでもあるだろうから、そいつを戴きたいと思ったわけだ。
「分かりました。一通り、お渡ししましょう。ゲーム内で使われているデザインセットを一式お渡しします。」
「ヒノモト国のものもありますか。」
「大丈夫ですよ。ヒノモト国製品も武器や防具以外に、家具や装飾品が出回っています。」
山際さんは、とても頼もしい。
このデザインセット一式と言うのは、まさに開発側に居るからこその話だ。特権と言っても過言ではない。
「そう言えば、ヒノモト国ってあるんですか。」
ジュージュツやカラテのヘルプには出てくる名称だが、今まで見たところ地図には載っていない。
「ありますよ。まだ行くことはできないのですが、世界地図を見ればストアー大陸の北東側に島があるはずです。大陸から船で1日程の距離で、海にもモンスターが、大陸に渡ってもモンスター地帯と言う過酷な環境にある島国と言う設定です。」
「日本ですよね。」
「日本です。」
「日本はヨーロッパで人気が高いので外せません。必ず実装します。」
ヨーロッパにはアニメ好きも多いしな。
と言うことは、ニンジュツみたいなスキルもあるのか。後で試してみよう。
「あと、もうひとつお願いが。」
「はい。」
「ヘルプからモンスターの情報が見られないので、開放してもらえませんか。」
「そうですね、モンスターカードのヘルプはモンスターの取得履歴に紐づいているので開放するのは難しいですね。その代わり、図書館などに置いてあるモンスター図鑑のひとつをお渡ししましょう。」
「それで充分です。ありがとうございます。」
「今晩にでも対応させておきます。」
(アプリチームのどなたかさん、申し訳ない。)
この件に対応するためにアプリチームの担当者が徹夜になるかも知れない。俺は心の中で謝っておく。
「他には何かありますか。」
「地図もできれば。」
お願いのオンパレードである。
「地図もアイテム扱いなのですが、いくつか用意しておきましょう。地図は国や地域ごとに発行されており、通常は国外へ持ち出し禁止なのです。なので取扱いには注意してください。」
重ね重ね、アプリチームのどなたかさんに心の中で手を合わせておく。
「ただ、アイテムとなると仕様上、渡せません。王都に移動した後、教会を訪ねてきてください。そこで手渡します。」
意外と不便である。
デザインはユーザーが自分のキャラクターに取り込んで使う口が用意されている。アイテムそのものはログイン後、ゲーム内でユーザー自身が作製する必要がある。デザインテンプレートと地図の違いはそこだろうか。だが、しかし。
「ユーザーにアイテムを直接配布することはできないのですか?」
「もちろんできますよ。ただ、運営側からのアイテム配布でお渡しすると一般アイテムではなくなってしまうんです。どうするか、そうですね、では、王都で渡すのは止めにして直接アイテムボックスに入れておきます。」
山際さんが迷ったのはこうだ。
ユーザーのアイテムボックスに管理者が直接アイテムを配布した場合、アイテムに特別なフラグが付いてしまう。イベントアイテムや課金アイテムのフラグだ。そうすると、アイテムの使用はできるが他人への譲渡や削除が自由にできなくなる。
一方、王都でGMからアイテムを貰えば通常アイテム扱いになるので、イベントアイテムのような制約が付くことはない。GMのキャラクターはゲーム管理用の機能が付いているので、アイテムを直接配布しても、譲渡や削除に不便はないようだ。
今回の話で言えば、恐らくモンスター図鑑や地図のように特別なアイテムを他人に譲渡することはないだろう。アイテムボックスの枠を専有してしまうが、アイテムボックスは拡張もできるので大したことじゃない。
「急ぎはしないので、アイテムボックスに入れておいてください。」
山際さんに一通りお願いはし終わったので、俺は満足した。
「ところで、本日はこの後どうしますか。」
時間を見ると17時だった。
初日から飛ばして仕事する必要もないだろう。
さすがに今日は疲れたし、ちょっと早めに上がらしてもらうことにする。
「今日はもうあがります。インフラチームの状況を覗きに行って終わりにします。」
「分かりました。本日はお疲れ様でした。明日もよろしくお願いします。」
「はい、失礼します。」
こうしてテストプレイの初日が、ゲーム内時間にして2日間が終わった。