ユーリガン
―――レジスタンス組織『ユーリガン』本拠地・通称サイレントヒル 司令官室
突如として現れた侵略国家・神聖ユリドニア帝国。
奴らはその強大な軍事力によって、混乱の渦中にあった世界の主要都市を瞬く間に制圧していった。
当初、粗暴な侵略者に対して多くの国で反ユリドニア勢力が組織され、立ち上がった。
ユリバン、ユリカイダ、ユリチザン……。
しかし、彼女たちはその奮戦も虚しく、淘汰されていった。
そして……世界中の百合を受け入れられない何万人もの女性たちは難民となり、ここ……もとは日本と呼ばれていた地。
そこを拠点として、粘り強く抵抗している我がレジスタンス組織『ユーリガン』を頼って流れてきた。
私たちを頼ってきてくれるのは、素直に嬉しい。
嬉しいけど、この基地のキャパシティではそんな人数、とても賄いきれない。
すでに基地の食料は底をつきかけてる。
このままでは―――
「司令殿っ! リリィ司令官殿ぉーーーーっ!! 百合豚どもがっ!! 司令っ!! うべぇ!?」
私こと、巌流・F・リリィの名を呼びながら、副官のユリオーラが慌しく司令官室へと転がり込んできた。
脚にはなぜかショーツが絡まり、まるで掃除用モップのようなウェーブヘアをかき乱しながら、文字通り“転がり込んで”きた。
「落ち着け馬鹿者。まず下着をちゃんと履け。オナニーの途中だったのか? 下品だぞユリオーラ副官」
「す、すいませんっス……うひひっ……」
「『うひひっ』じゃない。まったく……」
ユリオーラ副官……。
戦闘面では目覚しい才能を発揮する女であるが、どうも彼女は性に関して乱れている。
敵であるユリドニアが公共の電波を通して放送している下品な百合アニメを観ながらの自慰行為など、注意しても全くやめる気配がない。
……そう、ユリドニア帝国は、政治や軍事だけではなく、この世界の文化までもその手中に収めようとしている。
ここ、日本でおなじみだったアニメもその対象だ。
アニメは幼い子供たちに、歪曲された百合思想を植えつけるのにはうってつけだ。
話の内容が女の子同士の友情物語になるなど可愛いもので、深夜になれば過激なレズセックス描写が乱舞するアニメがビシバシ放送される。
私が毎週楽しみにしていた『キテレツ大百科』が突如として打ち切られ、『ゆるゆり』になったときなど、思わずホログラムTVをぶち壊してしまった。
そんな姑息で穢れたプロパガンダ放送が、全世界へ発信されていると思うと身の毛もよだつ。
「そ、そんなことよりリリィ司令っ! 大変っス! 今、テレビですごいのやってるっスよっ!」
「はぁ……またそれか。言っておくが私は百合アニメなど観んぞ。目が穢れる」
「百合アニメじゃないっスよぉ! 今、YHKで緊急特番やってて……ほらっ!」
そう言いながらユリオーラが取り出したのは、ピンク色のマルチ端末。
それを2~3回タッチしたかと思うとホログラムTVが起動し、YHK(ユリドニア放送協会)の番組が映し出される。
『はい、今わたくしは神聖ユリドニア帝国の首都・ネオ東京に来ております! ご覧くださいこの広大で煌びやかな会場をっ!』
画面の向こうでは、無駄に大きなイベント会場のようなものをいかにも百合くさい感じの女性レポーターが中継していた。
……これだから百合豚どもの番組はいけない。
観ているだけで吐き気がしてくる。
「……なんだこれは。また百合系アイドルのコンサートでもするのか? くだらんな」
「違うっスよぉ! これは、リリィ司令の……」
「私の……?」
『3日後この会場で、神聖ユリドニア帝国皇帝『ユリア・Z・ユリアーナ・オ・ユリドニア』陛下と、レジスタンス組織ユーリガンの総司令官である『巌流・F・リリィ』両名の、結婚式が執り行われるのです!』
「……は? え? なっ……お、おい、今、私の名前が……」
「ええ! 司令殿の名前っス!」
「ちょ、ちょっと待て! なんだこれは!」
「ご結婚おめでとうございますっス!」
「違う! 待てぇい! 私は聞いとらんぞこんな茶番!」
「私も初耳っス! 結婚するならするで一言言ってくださいっス! ひゅーひゅー!」
「茶化すなこの痴れ者が!!」
「いたっ!」
鬱陶しいユリオーラの頭を乱暴に小突くと、私は頭を抱えた。
なぜこの私が敵の総大将と結婚せねばならない。
我々反百合組織に対する精神攻撃か?
そもそも結婚ってなんだ?
女同士だぞ?
そう思っていると、不意に私の胸ポケットにしまってあったマルチ端末が『お料理行進曲』を奏でだした。
「ん? なんスかそのだっさい歌は」
「くっ……! 最近の若いのはキテレツも知らんのか……!」
「若いのって……司令だって20代じゃないっスか。てか、電話出ないんスか?」
「む……いや、しかし……」
ホログラムに映し出された発信者の名前を見て、私は通話ボタンを押すのを躊躇う。
しかし……このまま間誤付いているのは私らしくない。
だが、相手は……。
「ええいっ! 考えても始まらんっ!」
意を決して、私は“彼女”とのホログラム回線を開いた。
『………』
「………」
『……お久しぶりで御座いますね、リリィ。こうやって電話でお喋りするのはいつ以来かしら?』
「うひゃあ!? し、司令っ! こ、こここ、この人って……!」
「あぁ……ユリアだ」
ユリオーラは彼女の姿を見て、顔を真っ青にした。
当然だろう。
私が今から話をしようとしている女は、神聖ユリドニア帝国皇帝、ユリア・Z・ユリアーナ・オ・ユリドニア。
世界を百合地獄へ叩き落した、史上最悪のバイオテロの首謀者。
我々の仇敵、敵の総大将なのだから。
『髪型を変えましたのね。学生時代のポニーテールも可愛らしかったですが、ショートカットもお似合いで御座いますわよ?』
「黙れこの百合豚。今更この番号にかけてきてご機嫌取りか? ユリドニアの皇帝陛下は恥も外聞もないのだな」
『ふふっ、相変わらず口だけは威勢が良う御座いますわね。ドブネズミ集団の大将様は』
「な、なんだとっ! き、貴様ぁ!!」
『そうやってすぐカッとなる子供っぽいところも、昔とちっとも変わらないですわね』
「くっ……! こんなくだらん言い争いなど不毛だっ! サッサと用件を言えっ!」
『まぁまぁ、自分から口論の口火を切っておいて逃げるおつもりで御座いますの? くすくすっ、その負け犬根性はいつになったら直りますの?』
「貴様のそういう粘着質なところも相変わらずだっ!!」
『うふふふっ……』
私は顔を真っ赤にしながら、涼しげに笑うユリアと舌戦を繰り広げる。
この女がこういう低俗な口喧嘩が大好きだということは、子供の頃から嫌というほど思い知らされている。
それでも、こいつのペースにズルズルと引き込まれてしまう自分の単純さが恨めしい。
『さて……このまま昔話に花を咲かせたいところですが、本題に入りましょうか? リリィ?』
「百合豚が気安く私の名を呼ぶな!!」
『あらあら、話をする前からそんな横柄な態度をとってよろしいのですか? とっても有益な取引をしようと思いましたのに』
「ハッ! 取引だと!? ふざけるな! 下劣で穢れた百合豚と交わす取引など―――」
『……では、難民を見殺しにするつもりで御座いますの?』
「なっ……! なんだと……!?」
『サイレントヒルのキャパシティでは、そろそろ食べ物が尽きる頃じゃ御座いませんこと? どうしますの?』
「そ、それは……」
『私としましても、貴重な10万人の百合少女達を餓死させるのは本意では御座いません』
「くっ! わ、私だって彼女達を助けてやりたい! し、しかし―――」
『でしたら、ここは一時休戦になさいませんこと? 帝国も食糧を支援させて頂きますし……よろしいですわね?』
「っ……!」
『よろしいですわね?』
言葉に詰まる。
憎たらしい女の言葉だが、確かにユリアの主張は正しい。
こんな状態では、ユリドニア相手にレジスタンス活動など出来ようがない。
しかし、だからといって仇敵に一方的に助けられたとあっては、ユーリガンの……誇り高き反百合レジスタンスの面子は丸潰れだ!
「ふ……いいだろう。一時的な休戦を受け入れよう。私の首と引き換えにな」
『……はい?』
「敵に情けをかけられるなど武人として最大の屈辱! それに、考えなしに難民を収容したのは私の失策! このままでは同志への示しがつかん!」
「し、司令っ! いきなりなに言い出すっスか!?」
「ユリオーラ、介錯を頼むぞ」
「ええーーっ!?」
私は座して懐から電磁刀を取り出す。
この失態は、私自らの死をもって償う他ない。
なるほど、ユリアの奴は相変わらず聡明であると言わざるを得ない。
この私とユーリガンの組織力をいち早く見抜き、先に諸外国のレジスタンスを叩いて圧力をかけ、それによって発生した難民を我々に押し付けて自滅に追い込むとは。
「見事な策略だったぞ、ユリア……」
『ちょっ、お、お待ちなさいっ! なに勝手に変な解釈してますのっ!? 私は別にリリィの首なんて望んでませんわっ!』
「百合の花 乱れ咲く世に 別れ告げ」
『変な辞世の句を読むのはおやめなさいっ! っ、も、もうっ! 自殺なんてしたらその基地もろとも難民も全員殺しちゃいますよっ!? いいんですかっ!?』
「なっ、なんだとっ!? 卑怯だぞユリアっ! 脅してまでこの私に生き恥を味あわせたいのか!?」
『えっ!? いえ、あのっ、わ、私は別にそんな……』
「なんて狡猾で嫌な女なんだおまえというやつは! 見損なったぞ! 恥を知れ!!」
『あ、あう……』
ホログラム画面の向こうで、悪女が栗色のウェーブヘアを揺らしながら困惑している。
いや、おそらくこれも演技なのだろう。
なんて卑しい女だ。
私の感情は、そんな百合豚の醜悪な心根を目の当たりにして激しく猛っていた。
『ど、どうしてこうなりますのっ? せっかくリリィと仲直り出来ると思いましたのにっ……これじゃあのときの二の舞っ……』
「ん? なんだ? なにを小声でボソボソ言ってるんだ? そんなに私が悔しがる姿が面白いのか?」
『ふ、ふふっ……いいですわ。リリィがそういう態度に出るのでしたら、私にだって考えが御座いますのよ……!』
突如としてユリアの雰囲気が変わる。
先ほどまでの落ち着いた物腰は消え失せ、怒りに満ちた面持ちで睨んでくる。
『人道的支援の見返りとして……リリィ、あなたには、この私と結婚して頂きます』
「な……なんだとっ!? で、ではあのふざけた報道は―――」
『その通りですわっ! すべてはこの為のもので御座いますのっ! 反百合レジスタンスのカリスマである巌流・F・リリィが、ユリドニアの皇帝である私に結婚を哀願する情けなーい姿を、全世界に向けて中継するっ!!』
「そ、そんなことをされたらっ……!」
『そうっ! それを観た全世界の反百合分子は一斉に戦意を喪失、これで名実共に神聖ユリドニア帝国の世界征服が完了しますのよっ! おーーーっほっほっほ!!』
「ま、負けた……」
そこまで考えていたとは、敵ながら天晴れとしか言いようがなかった。
私は青ざめた顔でがっくりと肩を落とす。
視界がぐらぐらと揺れる。
耐え難い喪失感に、もうなにも考えられなくなってしまっていた。
『結婚式は三日後、迎えの飛行機を寄越しますので必ず来てくださいまし。来なかったら……分かって御座いますわね? では、御機嫌よう』
それだけ言うと、ユリアとの通話は切れた。
直後、基地全体を揺るがすほどの轟音が鳴り響いてきた。
「……なんだこれは。爆撃か?」
「違うっス。基地上空からユリドニア帝国のメスプレイが、食糧コンテナを投下してる音っス」
「ふん、ユリアの奴……結納金代わりとでも言いたいのか?」
超大型輸送機・メスプレイ。
その編隊からいくつものコンテナが投下されていった。
モニター越しにざっと見ただけで、その規模の大きさが分かる。
10万人の難民が、たっぷり1か月分は食べていけるほどの膨大な食糧支援だった。
「し、司令……あの……」
「なんだ? ユリオーラ副官」
「ほ、本当にするんスか? 結婚……」
「愚問だな。武人は交わした約束は必ず果たす」
「で、でもっ―――」
「しかし、結婚した後はなにをしようが私の勝手だ」
「……え?」
「まだ分からんのか? よくよく考えれば、敵の親玉に肉迫出来る絶好のチャンスだと思わんか?」
「司令、ま、まさか……自ら鉄砲玉になるおつもりっスか!?」
そうだ、私はまだ負けたわけではない。
ユリアさえ消せれば、この戦いは勝ちなのだ。
これは入玉。
よくよく考えれば、こんなチャンスは滅多にない。
敵陣深く切り込み、王と王の一騎討ちに持ち込めればまだ勝機はある。
勝負は、これからだ!
††† ユーリガン †††
「いいかいリリィ、よく聞きなさい。百合は社会の癌だ」
それは、亡き父の口癖だった。
百合豚になって家を出て行ってしまった母を、父はずっと恨み続けていた。
「同性愛なんて非生産的だ。分かるね?」
母がいなくなってから、父はよく酒を飲むようになり、二言目にはそれだった。
「よしよし、いい子だね。じゃあ父さんとキテレツを観ようか」
そして、父が眠りに落ちるまで、延々とキテレツ大百科を観た。
父との思い出は、アルコールの匂いと……キテレツ大百科だった。
百合は癌である。
父の言葉は正しいと思っていた。
だけど、同性の友達と仲良くするだけなら、問題ない気がした。
ユリア。
幼い頃からの、私の友達。
頭が良くて、家柄も良く……だからと言って気取ったところもない。
いつも笑顔で、落ち着いていて、ひとを惹き付けるなにかがある子だった。
無愛想で、他人に興味を示さない私に、唯一出来た友達……ユリア。
思えば私は、彼女に憧れていたのかも知れない。
でも、私達の友情は……長くは続かなかった。
きっかけは、父の死だった。
長年の深酒がたたったのだろう。
高校最後の夏に、私の父はこの世から去った。
お酒を飲んでは百合の悪口とキテレツの話しかしない父だったけど、私はそれでも父が大好きだった。
だから、何ヶ月もの間、父がいなくなったショックから立ち直れずにいた。
そんな私の心の隙間に付け入ろうとしたのが……ユリアだった。
「好きっ……大好きっ! リリィのことが……大好きなのっ! 私、リリィの為だったらなんでも―――」
私はこの時初めて、心の底から、百合は癌だと思った。
人が弱っているというのに無遠慮にすり寄ってくるユリアが、百合女が、汚らわしく見えた。
それ以来、ユリアとは口を利いていない。
毎晩のようにやりとりしていたメールも、返さなくなった。
寝る前に欠かさなかった数分間の電話も、しなくなった。
それから数年後、私は軍隊に身を置いていた。
世界各地で過激化する百合テロリストと戦うのが、私の使命だと思ったからだ。
しかし、ある日を境に……彼女達、百合テロリストが官軍に成り代わってしまった。
記憶に新しい、凶悪な細菌兵器『ゴールデン・デスクラッシャー』によるバイオテロによって、男性は滅んだ。
男のいなくなった世界で、まるで見計らったかのように台頭したのが『神聖ユリドニア帝国』。
その馬鹿げた新興国の皇帝を名乗っている女の顔を、声を、私ははっきりと覚えていた。
彼女の名はユリア。
私の、友達であり、憧れだった人。
††† ユーリガン †††
「ユリア・Z・ユリアーナ・オ・ユリドニア、汝は病めるときも健やかなる時も……」
百合シスターが百合ったるい声で、お決まりの口上を述べている。
それを、私の隣にいる糞女……もうすぐ三十路に差し掛かるというのに年甲斐もなくミニスカウェディングドレスなんて着ている百合女、ユリアは小さく頷きながらその言葉に聞き入っている。
とんだ茶番だ。
いい年こいてこんなくだらん結婚式ごっこをしたがるとは、妙なところで乙女趣味なのは昔とちっとも変わっとらん。
しかもなんだこの巨大な祭壇は。
こんなピラミッドみたいなものまで拵えて、頂上まで登るだけでもバカみたいに時間がかかったぞ。
古の神を祭るための祭壇を模した結婚式場とは、この糞百合女め……神をも恐れぬ痴れ者だな。
「はい……誓いますわ」
声も昔のままだ。
人の心に響くような、涼やかなウィスパーボイス。
顔つきは少々大人びた感じになってはいるが、昔と変わらず柔和で品があって、見ているだけで安心する―――
って、いかんいかん!
なにを考えているんだ私は!
雰囲気に呑まれるな!
こいつは敵……敵なんだ!
奴らのペースに流れず、あくまでも私のペースを……私が主導権を握るんだ!
「巌流・F・リリィ、汝は―――」
「ああ、誓おう」
「え? あ、あの……まだ私、セリフの途中なんですが……」
「シスター君、私はせっかちな人間でな。眠たくなるようなことをほざいてる奴を見ると、殴り飛ばしたくなるんだが―――」
「あ、す、スイマセンデシタ。じゃ、じゃあ誓いのキスいっちゃってください……」
木っ端神官は小箱に入ったラムネ菓子のようなものを差し出すと、私の眼力に恐れをなしたのかそそくさと退散した。
少しビビらせ過ぎてしまったかな?
しかし、このラムネ菓子はなんだ?
普通なら、ここで指輪とかが出てくるんじゃないのか?
「くすっ、どうしました? iPSタブレットがそんなに珍しいですの?」
「iPSタブレット……?」
いやな予感がした。
そういえば、聞いたことがある。
ユリドニアで、女同士で子を成せる禁忌の薬が完成したという噂を。
よもや、これがそうだというのか……?
「リリィはユリドニア式の結婚式を知らないので御座いますね。さ、これを口移しで飲ませて差し上げますから、動かないでくださいね?」
「ちょ、ちょっと待て! なんだこの怪しげな薬は! 説明しろ!!」
「なにって……ふふっ、分かってるくせに。このⅰPSタブレットに私のDNAを染み込ませてからリリィに飲ませると……」
「の、飲ませると、どうなるというのだっ!?」
「リリィの体内で、出来ちゃいますのよ……? 私とあなたの―――」
「ひっ……!」
私は不覚にも恐怖し、慌ててユリアから飛び退く。
狂気の沙汰としか思えないその禍々しい笑顔に、私の背筋は凍りついた。
「リリィ? どうしましたの? 私達はもう夫婦で御座いますのよ……? さぁ……誓いのキスをしましょう……」
正直なところ、私は今まで躊躇していた。
理想のため、世界の秩序のためとはいえ、ひとりの人間を手にかけることを。
私は今まで何十人ものユリドニア兵と剣を交えてきたが、ただひとりとして命を奪ったことはない。
百合は社会の癌ではあるが、百合豚とて人の子。
殺めれば悲しむ者もいる。
だから殺さなかった。
しかし―――
「貴様だけは、生かしておくわけにはいかない……」
「え……? リリィ? なにを言ってますの? 私達が結婚したのですから、戦いはもうこれで終わり―――」
「バカめ! そんなものは即日離婚だこのアバズレ!」
「リリィ……あなたはやっぱり……」
「神聖ユリドニア帝国皇帝、ユリア……貴様の命、この巌流・F・リリィが貰い受けるッ……!!」
恐怖のためか、それとも絶望からか。
ユリアは先ほどまでとは打って変わって、顔を青ざめて立ちすくむ。
そんなユリアの無防備な首筋に、自分の両手を沿え、そして―――
ゆっくりと、力を込めていく。
アクセスが死ぬほど悪い祭壇なのが幸いした。
おそらく衛兵がこの頂上に駆けつけるタイムリミットまで、およそ5分ほどか。
この百合豚を、地獄の淵へ叩き落とすには十分過ぎる時間だ……!
††† ユーリガン †††
「好きっ……大好きっ! リリィのことが……大好きなのっ! 私、リリィの為だったらなんでも―――」
その告白は、私にとっては青天の霹靂だった。
憧れだった友による突然の告白。
それは、へたなコマンド作戦よりも強烈な奇襲となりて大いに私の心をかき乱し、脳を揺さぶり、私から正常な判断力を奪った。
あの時、私は彼女になんと言っただろうか。
口汚く罵ったことだけは確かだ。
しかし、ひどく興奮していたのでなんて言ったかまではよく憶えていない。
「今すぐ私の前から消えろ!」
うん。
言った。
「所詮百合なんてアブノーマルでマイノリティな異常性癖なんだよ!!」
まぁ、言ったな。
「どうした? 反論出来んだろう? 悔しかったら反論して見せろ!! 覆して見せろこの百合豚が!!」
言った気がする。
思えば酷いことを言ったものだ。
だが、そんな私の言葉に彼女は涙を流しながらも微笑んで、こう呟いた。
「それがあなたの望みなら……」
その一言、その涙、その笑顔だけは、今でも鮮明に覚えている。
そして今……私の目の前に彼女がいる。
私に首を締め付けられ、苦悶の表情を浮かべている彼女が。
あと数十秒も圧迫していれば、ユリアは死ぬ。
私の手にかかって地獄へ堕ちるのだ。
何十億人もの男性を殺し、世界を百合色に染めた悪女に今、正義の鉄槌が下される。
しかし……。
しかしだ。
肝心の死刑執行人の手が、震えている。
力が入らない。
何故か。
私は見てしまった。
窒息死寸前のユリアの口が微かに動き、こう囁いたのを。
ソレガ アナタノ ノゾミナラ
気が付くと私は、彼女の白いうなじから、手を離してしまっていた。
††† ユーリガン †††
「げほっ! げほっ……ごほっ! っう……、リリィ……どうして……?」
「ど、どうしてだと!? それは私のセリフだっ!!」
私は怒りに身を任せて叫ぶ。
叫びながら、その拳を石造りの床に叩きつける。
勘違いしないで欲しいのは、私は決してユリアを殺すことを躊躇ったわけではない。
断じて情念が邪魔をしたわけではない。
憎き仇敵を仕留める絶好のチャンスを棒に振ってでも、問い質したいことがあっただけだ。
「貴様は……! 最初から私に殺されるつもりでこんな茶番を仕組んだのか!?」
己が身を護る近衛隊の手が届かないこんな場所で、レジスタンスのリーダーと密接など正気の沙汰ではないと思っていた。
……が、最初から私に殺されるつもりであったなら話は別だ。
問題は―――
「ふふふ……別に目的なんて御座いませんわよ?」
「なっ!? き、貴様っ! 何故私が考えていることを―――」
「分かりますわよ。好きな人の考えていることも分からないで、十年越しの恋なんて出来るものですか」
「ッッッ!?」
ユリアは恥ずかしげもなく、にこやかに微笑みながらそんなことを言う。
思わず私は、そんな彼女から目を背けた。
ダメだ。
あの時と一緒だ。
ユリアの奴、十年前となにも変わっていない。
まったく変わらない調子で、私の心を、平然とかき乱していく。
「私の気持ちはあの日、あの時から、全く変わって御座いません。あなたの望みを叶えるのが、私の生きる喜びですから……」
「じょ、冗談も休み休み言えっ!! 貴様がいつ私の望みを叶えた!? 寝言は寝て―――」
「あなたが『消えろ』と仰ったから、十年間あなたの前から姿を消し……」
「ん……? ん!? ちょ、ちょっと待て」
「あなたがアブノーマルでマイノリティだから百合を受け入れられないと仰ったから、男を排斥し……」
「き、貴様……まさか―――」
「あなたが世の中の常識を覆して見せろと仰ったから、世界のすべてを百合色に染めました」
「そ、そんなバカな……」
なんということだ。
あの告白の直後、乱れた私の心を悟られまいと口走った暴言。
すべてはここから始まっていたのだ。
「バカな! で、では貴様はっ! 百合嫌いの小娘の戯言を原動力に、世界人口の半分を殺戮したというのか!?」
「……リリィは悪くないです。悪いのは、私。あなたに振り向いてもらおうと、殺チンウイルスまで造った、バカな私が悪いの……」
「そ、そうだっ!! 貴様のテロのせいでっ、罪も無い男性がもがき苦しみ、死に絶え、絶滅したんだ!!」
「……はい」
「挙句にこんな胸糞悪い帝国で世界を席巻するなど……この恥知らずが!!」
「……はい」
「『はい』じゃない!! 本当に悪いと思ってるなら今すぐ死ね! 死んで詫びろこの百合豚!! 私の望みを叶えるのだろ!? だったら死ね!!!!」
「…………」
ユリアは私の罵声に、ジッと耐えている。
小さな肩が、細い指が、薄紅色の唇が、震えている。
そして、ふいに零れ落ちる涙。
「……分かりました。それがあなたの望みなら……」
そう呟いて小さく微笑むユリア。
手には、一振りの短刀。
その銀色の刃は、彼女自身の首すじに添えられていた、
「最期に、あなたに会えて……嬉しかった……」
ほとんど涙声で、今生の別れを告げてナイフを引く。
その動きに迷いは無く、鋼の凶刃は肉に食い込み、鮮血を迸らせる。
白い石床に、どす黒い血が垂れ落ちる。
漂う鉄の臭い。
私は、血というものは苦手だ。
殊更それが、自分の血であるなら尚のことだ。
「え……? り、リリィ……?」
「バカっっっ!! 本気で死のうとするやつがいるかっ!!!」
「ご、ごめんなさ……じゃなくてっ! 手っ! 手から血が……」
よせばいいのに、ユリアの持っていたナイフを咄嗟に掴んでしまった。
そのせいで、右手が滅茶苦茶痛い。
ユリアめ、本気で死のうとしていたな? かなり深く切れているぞ。
はぁ……まったく、なにがユーリガンだ!
なにが反百合レジスタンスだ!
聞いて呆れるぞ巌流・F・リリィ!
自分の手がこんなになってまで庇いたくなるほど!!
ユリアのことを想っていたくせに!!
いちいち『父が死んだばかりだったから』だの、『百合は社会の癌だから』だのと言い訳して!!
肝心のユリアから!! 自分の気持ちから逃げて!! 挙句の果てに愛しの彼女をテロリストにして!!
殺そうとしたうえに結局ビビって殺せなくて!! 情けなくも自殺を懇願したのはどこのバカだ!?
このバカだ!!!
「いいんだ……この痛みは、戒めだ」
「戒め? リリィ、あなた―――」
みっともない話だが、私は今になって……失う寸前になってようやく気付いた。
自分にとってなにが一番大切なのか。
「ユリアを……私の最愛の人を、十年も待たせてしまった……その戒めだ」
「なっ……!? リリィ……な、なななっ、なんのじょうだんで御座いますのっ!? い、いまになってそんな―――」
ユリアが私の腕の中で動揺している。
ああ、なんて可愛いんだ。
こんなに慌てる彼女を見るのは背中にセミが止まって大騒ぎした時以来だ。
テンパるとろれつが回らなくなるところも変わっていない。
いや違う、彼女はきっと……変われなかったんだ。
あの告白のとき、私が停滞させてしまったから。
自分の気持ちと一緒に、彼女の恋心まで。
「今まで素直になれなくてすまなかった。君が自ら命を絶とうとしたあの瞬間、やっと自分の気持ちに気付くことが出来た」
「リリィ……? それ、本当で御座いますの? 冗談でしたら怒り―――んむっ!?」
もじもじしながら私の気持ちを探ろうとするその唇を、強引に塞いでやる。
報道用のビットカメラがその様子をバッチリ捉えているが、知ったことか。
びっくりして目を見開いているユリアのリアクションを楽しむかのように、彼女の口内に舌を滑り込ませる。
そして、思いきり蹂躙する。
「んんんっ!? んっ、んちゅっ……ふっ、ぁ……っ、ぷはっ……ひ、酷いですわっ、私っ、ファーストキスだったのにっ……」
「む……すまん。ユリアが愛し過ぎて。つい調子に乗ってしまった……」
「なっ……! し、仕方ありませんわねっ、で、でしたらっ、もう一度っ……今度は優しく……」
「あ、あぁ……」
再び、ユリアに吸い寄せられるように顔を寄せる。
『今度は優しく』というリクエスト通り、彼女をいたわるように、ソフトに―――
††† ユーリガン †††
数年前、百合至上主義帝国の皇帝と、反百合レジスタンスのリーダーの間で執り行われた結婚式は、世界に衝撃をもたらした。
当然のことながら色々と問題も起こり、大いに物議を呼んだ。
しかし、それ以上に大きな成果もあった。
神聖ユリドニア帝国は百合思想の強制をやめ、思想と言論の自由を認めるようになった。
私のように本音を隠して反百合を唱えていた少女たちも、自分の気持ちに素直になることの大切さを学んだようで、百合豚たちとの諍いも格段に少なくなった。
個人的に嬉しかったのは、キテレツの新シリーズの製作が決定したことだ。
そして私たちは―――
「あーんリリィ! ねぇねぇ聞いてくださいなっ! 聞いて聞いてっ!!」
「……どうしたユリア」
ユリア・Z・ユリアーナ・オ・ユリドニア。
抵抗勢力がほとんど消滅し、名実ともに世界の覇者となった百合皇帝が、私の腕に絡まってくる。
「もうすっかり平和になったといいますのに、ぜんっぜん公務が減りませんのよっ!? 私、もう皇帝なんてやめたいですっ!!」
また始まった。
これはユリアの悪い癖だ。
私と語らう時間が減ってくると、こうやって駄々をこねて『もう皇帝なんてやめたいですわ~』とか言って泣き出す。
麗しの皇帝陛下様のこんなみっともない姿、臣民はおろか3人の可愛い娘たちにすら見せられないぞ。
「そう言うな。私と結ばれるために造った世界だろ? ちゃんと責任を持って最後まで面倒を見ろ。私も支えるから」
「ぐすっ……本当ですの?」
「ああ本当だ」
「そんなこと言ってるくせに、最近はユリオーラちゃんと一緒にいっつもどこか出かけて御座いますわよね……?」
「あのなぁ……奴は私の副官だぞ? だいたい、私たちに世界に点在している反百合自治区との調整役を命じたのは、ユリアじゃないか」
「それはっ、しょ、職務上やむを得ず任命しただけで御座いますし……本当は、大好きなリリィが他の子と仲良くしてるだけで……ぐすっ」
「こらこら、そんなことくらいで泣きべそをかくな」
おまけに結構嫉妬深い。
公私混同しないで公務を粛々とこなすところは流石だが、プライベートでは毎晩こんな感じだ。
相手をしている私としては、もう少し年相応に落ち着いて欲しいものだが……。
「だって……」
「まったくしょうがない奴だな。ならどうしたら泣き止んでくれるんだ?」
「じゃあ……そのっ、えっとですねっ……ひとつ、お願いが御座いますのっ……」
頬を赤らめ、指をもじもじさせてそう呟くユリア。
はぁ……三十路になってもこういう仕草をさせると本当に可愛い。
だから思いっきり甘やかしてしまう。
悪い慣習とは思っていても、やめられない。
惚れた弱みというやつだ。
「なんだ? 言ってみろ」
「そのっ……はしたない女だと、思わないでくださいね?」
嫌な予感がする。
しかし、私には断る術が無い。
きっと彼女のわがままを受け入れてしまう。
何故なら私も彼女と同じ……いや、彼女以上に質の悪い、百合豚なのだから。
おしまい
この短編は、某所で開催されたお題で小説を書く短編祭りに投稿したものに誤字脱字他微修正を加えたものです。
ちなみに使用したお題は『百合と百合癌さん』です。
こんな僕しか得しないような駄文を書く機会を与えてくれた短編祭と、それに携わった方々への感謝の念が尽きません。
本当にありがとうございます。