新米騎士、覚悟を知る
ラル視点です
決して弱いはずのない騎士団の皆が次々と床へ転がっていく姿を見て、僕の体は勝手に震えていた。それは、大会の時に感じた興奮を通り超え、敵うはずのない相手に指先ひとつも動かせない恐怖からだとわかるのに、そう時間はかからなかった。
飛竜に乗っていた時の様に突然起こったものではなく、じわじわと迫る逃れられない死がリジュ嬢の思惑通りに脳内を絶望へと導いていく。
本能で感じるどころか、クレスタ様への剣筋、騎士団への攻撃一つも予測出来なかった僕は、避ける事も受け止める事も難しいという事実くらいはわかっているつもりだ。そうなれば、僕の運命はただ一つ。シーナの剣で良ければ体の一部を、悪ければ心臓を貫かれるのだと予想できる。
安易に想像出来る未来に、僕は足がすくんで一歩、また一歩と後ろへと後退してしまった。
そっと背中に触れた冷たい物に驚いて後ろを振り返ると、雨に振られて冷気を帯びた窓だった。比較的に低い位置からある窓は開ける為のものではなく、光を入れる為のものの様だが、今はその大きさ故に雨の冷気が滲み、僕の体を更に固くさせた。
僕もクレスタ様程戦う事が出来れば、状況も変わっていたのかもしれない。けれど、僕は何も出来ない。
シーナを目の前にするだけで体が震えて、体が動かなくなってしまう。
いっそもうこの窓から身を投げ出してしまいたいと思う程、僕はすぐ先の未来が怖い。哀しそうに、苦しそうに、剣を振るうシーナを僕は止めることが出来ず、その刃を身に受けるのだろう。
未来から逃げ出す思いで窓の外を見ると、僕の心の中を聞いていたかの様にシーナの叫び声が聞こえた。
「逃げろっ、」
驚いた僕はシーナの方へ向き変えると、その言葉はどうやらクレスタ様に向けられたものだとわかった。シーナがクレスタ様へと剣先を向けて、命を奪う直前だと現状を見るだけでもわかる。
こんな恐怖に怯える僕の前に、守りたいと思う人に剣を向けてまで止めようとするクレスタ様が殺されてしまうのだ。
目の前で、憧れの人が殺される。
目の前で、憧れた人に大切な人を殺させてしまう。
シーナの剣を振り上げた光景が目に焼き付いて、シーナの流す涙が、クレスタ様の滲む瞳が、僕の心臓をうるさくさせる。
けれど・・・僕には何も出来ない。
心で思っているのに力の入る拳を緩める事は出来なかった。違うのだ、何も出来ない、その言葉は今の僕には間違っている。
「・・・違う、僕は・・・何も出来ないんじゃない・・・・」
すくむ足を、震える体を理由に何も出来ないと思っていた。そう決めていたけれど、僕はシーナの為に何をしたのだろうか。
「僕は・・・・まだ何もしていない・・・!」
逃げて、生き延びて、僕のやるべき事を成すという未来も一つの道だとは思う。でも僕は、クレスタ様に剣を振り上げたシーナの姿を二度と忘れる事は出来ないだろう。
忘れる事がないのであれば、そんなこともあったと言える様になりたい。僕が今出来ること、些細な事でもいい、何か一つくらいはあるかもしれない。
そう考えた時には、体は走り始めていた。
うるさく鳴る心臓は耳に直接響いて周りの音も聞こえなくなる程高鳴っているのがわかる。今、僕が考えられる中で一番やらなければいけない事は、シーナの武器を無くすこと。シーナにクレスタ様を殺させない事だ。
絶対に、殺させない・・・!
「・・・させません・・・!!」
まるで自分では動かしていないのではないかと錯覚するほどお構いなしに進んだ僕の体は、クレスタ様へと振り下ろしたシーナの剣に自分の剣を当てて、大きな音を鳴らして振り払っていた。
勢い良く振り払われた剣は、目をつぶっていたシーナの右手を離れて廊下の奥へと飛んでいく。床に剣が落ちる金属が響くと、驚いて見開いた瞳をシーナが僕へと向けてきた。
「・・・・・ラル」
ここまで驚いたシーナの顔は初めて見たかもしれない。そう考えながらも、僕はやっぱりシーナを目の前にするとカタカタと小刻みに震え、刀身の金属音を響かせてしまう。剣を飛ばして武器を無くしたのに、本気で殺しにくるシーナを考えると、恐怖で足元が崩れそうだった。
「どこからどこまでも邪魔ばかり・・・でも、もうあの男がいなければ・・・順番が変わるだけね」
倒れたクレスタ様を嘲笑いながら見つめる冷めた視線に、シーナがクレスタ様の状況をちらりと確認した。クレスタ様の胸がわずかではあるが動いている事に少しだけ表情を和らげた後、拳を強く握り再び苦しそうな顔をして視線を床へと逸していた。
きっとまた、同じことをしてしまうと思っているのだろう。そうかもしれない、僕が止められるとは思えないけれど。
それでも――――
「・・・させません・・・!シーナにクレスタ様を殺させはしない・・・!!」
言葉と同時にシーナへと剣先を向けるが震える刀身が止まる事はなく、その事実にシーナは顔を上げて困った顔をし、リジュ嬢は笑を深めた。
「ねぇ、シーナ。そこの震えたお坊っちゃんからにする?それとも転がった馬鹿な皇族からにする?私はどちらでもいいのよ」
リジュ嬢にも僕の震えは滑稽なのだろう。リジュ嬢は嬉しそうに笑うとそのままシーナへとゆっくり近付いていく。リジュ嬢の言葉にすっかり反抗する意志を弱めてしまったシーナは僕から視線を逸して泣きそうな顔をしていた。
何も言えなくなってしまったシーナの姿が、雨の中泣いていた不安定な状況を思い出させる。今のシーナは自身に満ち溢れていて、強い、憧れた姿ではなく・・・守らなくてはいけない、手を差し伸べなければいけない、そう思わずにはいられなかった。
「リジュ嬢やシーナが、どれ程の苦しみを味わって来たかは・・・僕には予測することは出来ても、感じる事ことは出来ません・・・」
一歩、震えながらも僕の足が前へと進む。
「・・・正直、色々な話を聞いて・・・今の僕には何が正しいか・・・何が間違っているのかすらわかりません・・・でも、僕は・・・僕は、シーナにクレスタ様を殺させたくはない・・・!シーナの震える姿をこれ以上見たくはありません!!!」
そう言い切った僕の手こそ恐怖で震えているのに、おかしな光景だとわかってはいても、言わずにはいられなかった。どれだけ震えても、恐怖で座り込んでしまっても、僕は絶対に意思を変えるつもりはない、と伝えたかったのかもしれない。
僕に出来ることは必ずある、そう自分に言い聞かせて僕はシーナから視線を逸らさなかった。
ここで死ぬことは怖い。走って逃げ出したい気持ちだってある。
でも・・・・それ以上に僕はシーナを助けたい。
そのために、些細な事でもいい。
何か、したいんだ。