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僕が自分の感情に疑問を抱いているなど知らないシーナは包み込まれた手の中で、僕の肌の感触を楽しむようにもぞもぞと動いていた。その顔は悪戯心満載の子供らしい表情で思い通りにさせまいと僕は包んでいた手をそっと離した。
「くすぐったいよ」
もうやめてという気持ちを伝えるのだけれど、どうしてかシーナの楽しそうな顔を見ると完全には否定できない、不思議な気持ちだった。
感じたこともない気持ちに浸って、感じたこともない温もりに触れて、時の存在を忘れていた僕は、シーナの問いかけで辺りが暗くなっている事に気がついた。
「ねぇ、クレスタはどこから来たの?どこに帰るの?もう真っ暗になっちゃうよ」
見渡すともう陽は陰りはじめ、夕暮れへと変わりつつある。月明かりを遮ってしまう葉で覆われた森の夜を歩くことはあまり慣れていない僕には危険だ。
(日が暮れるまで時間がないな・・・面倒だけど帰らないと)
そう考えると、目の前のシーナの存在が引っかかった。暗くなって、野生の獣も食べ物を求めて奥から出てくるだろう危険な夜をシーナは今までどうやって過ごしていたのだろうか。
「僕は・・・帰ろうと思う。ねぇ、シーナは?シーナは何処にいつもいるんだい?」
「・・・?ここにいるよ?」
僕の質問にシーナはきょとん、と目を丸くして当然の様に答えてくれたが、その言葉に現実味はほとんど無い。こんな所にいて、今まで四年もの間過ごして来たのならば目の前で小さな子供のシーナが生きている事は奇跡の様な出来事だ。
「そんなまさか、野生の獣だっているだろう?」
言っている意味がわからないのか、シーナは理解していないような顔で頷いていた。
「うん、おっきいのもちっちゃいのもいたよ?」
「そうじゃなくて・・・いや、うーん・・・」
言葉を変えて言っても伝わらないのかもしれない。どうやって過ごしてきたのかはわからないが、こんな所で一人にさせてしまってはいけないと考えた僕はシーナの手を再びとった。
「危ないだろう?シーナも一緒に森を出よう。僕が泊まるところは人も居るし、野生の獣もいないよ」
シーナが元いた町、姿かたちを変えて畑になっている所へと誘うがシーナは首を横へ振った。
「いかない。シーナここにいる」
「いや、今までどうだったかはわからないけど・・・ここより安全だし、」
「行かないったら行かない!シーナはここにいるの!」
頑なに行こうとしないシーナに僕も何故連れていこうとしているのかわからなくなる。思い通りにいかない事に苛立ちが募って、僕は思っているよりも強い口調になっていた。
「じゃあ、いつまでもここにいたらいいよ。もう会うことだって無いだろうから」
握っていた手を払って僕は立ち上り、体に付いた砂埃を落としてもういくつか文句を言ってやろうとシーナを見下ろすと先程まで意地を張っていたとは思えないほど落ち込んで顔を俯かせ、ぎゅっと手を握り締めていた。
(・・・そう俯かれると僕が悪いみたいじゃないか・・・!)
僕は色々な感情から振り切る様に、別れの言葉も告げずにその場から駆け出した。
(知らない、どうなったって僕には関係のないし、僕が、これ以上おかしくなる事だってないんだ・・・!)
シーナと会って、知らない感情が増えて自分のコントロールが効かなくなったのは事実だ。会うことが無ければ以前の自分に戻れる、皇族の要とされる人間に戻ることが出来る。
僕はそう信じて、森の来た道を急いで足を動かした。
(そうだ、これが正解だ。僕は一人の女の子にどうして振り回されそうになっているんだ・・・)
あの温もりを思い出しそうになっても、ふわりと笑った笑顔を思い出しそうになっても、僕は首を横に振って、一心不乱に足を動かす。来たときは少し時間がかかっていたけれど、急いだ事が良かったのか、日がくれて空の灯りが月明かりに変わる頃には町の入口へと戻っていた。
そこに、今朝一緒だった付き人が僕に慌てて駆け寄ってくる。
「ライ・・・失礼、クレスタ軍士、探しました。部屋の準備は既に整っております、どうぞこちらへ」
「っ、はぁ、ありがとう」
息を切らしながら帰ってきた僕に驚きながらも、付き人は今朝声を荒立てた僕の言葉を丁寧に受け取って口調を改めながら町の隅にある家へと案内してくれた。
案内された家はそれなりの大きさもあり、部屋は数える程ではあるが二つ以上もあった。温められた暖炉、用意された食事、今まで外にいたからか、多少の冷えもあって部屋の中がずいぶんと暖かく感じると共に俯いたままのシーナの姿が脳裏に浮かんだ。
(・・・関係ない、いつもあの場所にいるんだろう?・・・寒さなんて慣れてるさ)
「食事も出来てますので、食べられますか?部屋へとお持ちしましょうか?」
付き人の気遣いの言葉にだって考えてしまう。
(・・・・そういえば、何時も何を食べているんだろう・・・体も小さかったし、体温だって低かった・・・)
「・・・?クレスタ軍士・・・?どうかなさいましたか?」
「えっ?あ、いや、何でもないよっ、しょ、食事だね、は・・・運んどいてくれるかな」
顔をのぞき込まれて、普段なら驚きもしないのに擦れ擦れに手を伸ばされるまで気がつかなかった僕は思わずのけぞってしまった。
「・・・?かしこまりました。ではその様に」
僕は慌てる様にして食事を運ばれた部屋へと入ったが、何もない町にしては豪華なその食事に手を付ける気にはなれなかった。
備え付けられたベッドへと座り、天井を見上げながら上半身だけを柔らかい敷物に埋める。
(僕はさっきから何を考えて・・・関係ないって、自分で思ったじゃないか・・・)
頭に掌を乗せ、視界を暗くすると浮かんだのはふわりと笑ったシーナの幼い顔。その顔を思い浮かべただけで心臓が熱くなって全身にその熱が広がっていく。
(・・・・シーナの笑った顔は・・・今まで感じたことのない気持ちになる・・・頬が丸くて、柔らかそうで・・僕に向けて見せる瞳が・・・綺麗で・・・)
真っ直ぐな視線を思い出すと心臓が大きく動いた。僕とただ一緒に居たいと訴えてくる素直な瞳。
人と触れ合うことが極端に少なかったシーナが誰かと居たいと思うことは当然だと理解しているのに、考えただけで、まるで耳へと心臓が移ったのではないかと疑う程脈打つ音が大きくなる。
(・・・なんだ・・・どうしてこんな・・・)
理由を見つけようと思っても、中々答えにはたどり着かない。
(・・・わからない・・・けど、シーナの綺麗な瞳をもう一度向けて欲しい・・・シーナの笑った可愛い顔を・・・・っ!)
「ッ違うっ!!!!」
僕は自分の思考に思わず声に出して否定し、敷物に埋めていた体を勢い良く起こしてしまった。
(ありえない・・・!!!僕は何を考えているんだ、シーナは森に住んでる身元も不明な子供だぞ!それに、そうだ・・・ここにだってついて来なかったじゃないか、あんな子供知ったことじゃない、遺体を側に置いて安心している様な子供・・・・・・・)
両親を側に、と思うとまた胸が締まる。考えれば不思議だった、何故あんなに綺麗に残っているのだろうか。
(確かに生きてるシーナは獣にとって良い餌だけれど、遺体も腐食してるとはいえ、あんなに肉が残っていればそうだろうに)
思い返せば、僕と出会ってそうそうにシーナは“ボロボロにしないで”と言ってきた。それは、もしかして出会うもの全てがシーナと遺体を狙っていたからではないだろうか。
(まさか、シーナが・・・守っている・・・?)
あんなに小さい子供が?斬れない剣で?死んでしまっている両親を?
ありえない、とわかっているのに辿り着いた答え以外に事実を説明出来るものはない。そして、その答えが正しいのであればシーナがあの場所から動かなかった理由は簡単に推測出来る。
(両親の・・・為・・・)
自分の考えの小ささに落胆する暇もなく、僕は慌てて立ち上がり、勢い良く扉を開いて部屋を出た。同時にぶつかりそうになった付き人が驚いた顔で声をかけてくる。
「ッ、クレスタ軍士!?どちらへ行かれるのですか、もう外は」
「黙って。すぐに戻る・・・・もう一人連れてね」
それだけ伝えると僕は付き人の返事も聞かずに駆け出す。昼間に適当で行った道を間違えないように、暗さで足元をすくわれ何度も転けながら森へと足を伸ばす。
(っ、今まで奇跡で生きていたと言うのならば、また奇跡よ起きてくれ・・・!)
シーナに最悪の事態が起こっていない事を祈り、僕は息を切らしながら走り続けた。自分が何故走っているのか、何故心臓が大きな音をたてるのか、何故必ずシーナを連れて帰ろうと思ったのか。
まだ僕には、わからなかった。




