皇族の男、感情を知る
起こった現実に追いつけない僕が、いつまでも反応を示さないでいると目の前の少女は怒って威嚇していた瞳を和らげ、首を傾げて不思議そうに覗いてきた。
「どうしたの?」
「え、・・・あ、いや・・・」
殺していなかったから驚いた、なんて言える訳もない僕が意味のない音を口から発すると、少女は心配そうに剣を下ろしてもっと近くで顔を眺めてきた。殺そうとしてきた人間を心配するなんて、この少女は何を考えているのだろうか。
近付いて来た少女が覗き込んでくる瞳は威嚇してきた時と同様にとても真っ直ぐで、今まで感じてきた親族の視線とも、刃を向けた人達の視線とも違って、僕の歪んだ部分まで見られて居る様な感覚に僕は居心地が悪くなった。
「シーナ、お父さんとお母さんをボロボロにしないなら怒らないよ?」
僕の放心状態をどう捉えたのか、そう言って隣に腰掛けた少女は自らを“シーナ”と名乗り笑顔を見せてくれた。その表情は子供らしいのに、出てきた言葉に僕は笑顔を返してあげることが出来なくなった。
(・・・両親・・・だったのか・・・)
腐敗し、白骨化の進んだ二人の死体の正体は少女の両親。こんな姿になっていても側に居るのは、きっととても家族の事を愛していたのだろうと知れる。何故かわからないけれど、心臓がぎゅっと握られた様に痛くなった。
「・・・ボロボロには・・・しないよ」
「うん!約束!」
感じたことがない胸の痛みに、そっと手を当てるが痛みが治まる事はない。倒れる訳でもなく、苦しい訳でもない妙な痛みを感じたままだった。
少女が僕の言葉に約束を勝手に取り付けると体をくっつけて胸を抑えた僕を心配そうに再びのぞき込んでくる。僕はその真っ直ぐで居心地の悪い視線に耐えられず、顔を背けて意識を逸らそうと違う会話を切り出した。
「そういえば君、シーナっていうんだね」
先程口にしていた名前を聞くと、少女は首を縦に勢い良く振る。
「うん!シーナ、シーナっていうの!お名前は?なんていうの?」
「僕・・・?僕は・・・その・・・クレスタだよ。その、君は、ずっとここにいるの?」
隣で僕の名前を聞いたシーナは嬉しそうに繰り返していた。僕は落ち着かない視線を感じながらも、質問に答える為に両手を広げ始めたシーナを目が合わないように盗み見る。いっぱいいっぱいに広げたシーナの腕は思っていたよりも小さくて、その姿にまた不思議な痛みが増していった。
(・・・なんなんだ、なんでこんなに・・・)
考えても、思い当たる節もなく僕は初めての感覚に不快感を募らせていた。
「あのね、町がね、火でいっぱいになってみんなみんな燃えたの」
僕の体の事情など知り得ないシーナは、身振り手振りで語り始める。
「お母さんとお父さんとシーナでここに来たけど、途中でお母さんもね、お父さんもね・・知らない、男の人にね、この剣でね」
言葉を続けようとする度にシーナの瞳に涙が溜まって呼吸が浅くなっていく。見つめた剣は先程まで握っていた錆びだらけの剣。シーナは両親を殺された剣で、両親を守る為に、生き抜くために、必死に戦ってきたのかもしれない。
(・・・どんな、気持ちなんだろう・・・・)
僕は、両親に笑って欲しくて剣をとった。その為に頑張っていた、けれどシーナにはその希望すら無かったのだろう。
今にも涙を零しそうなシーナは、口をぎゅっと引き締めながら鼻水をすすって続けていく。
「シーナだけ、シーナだけね、見つからなかったの」
必死に涙を耐えて伝えてきたシーナに、僕は何も言えなくなってしまった。どんな状況かと考えただけなのに、胸が苦しくて息が詰まる。
「シーナね、ひとりぼっち。でもね、まだお顔が見えるの。まだ、シーナ頑張れるんだ」
二人の死体を見つめていたシーナは、きっと白骨化の進んだ二人の終も見えているのだろう。その表情は儚くて、僕に剣を向けて来たとは思えない程弱々しい女の子だった。そんなシーナの表情に、悲しげな瞳に、胸の痛みが増して、苦しくて、涙が出そうになる。
(違う・・・こんな感情、僕は知ってはいけない・・・)
苦しくなんて、なってはいけない。別れの哀しみを知ってしまえば、残された人の苦しみを知ってしまえば、僕はもう人を殺す事なんて出来なくなってしまう。
そうなってしまえば、僕は皇族にとっても・・・両親にとっても用無しになる。
(そうなれば、僕はどうしたらいい・・・?)
人殺しになんてなりたくない。でも、いざその道を外されそうになると怖くて仕方がなかった。両親の笑顔が、ライア家の糧になる事が、僕の意義だと言われてきた僕が、それを失ってしまえば僕の意義は何になる。
(わからない、わからない・・・嫌だ、もう・・・)
いっそ感情なんて本当に捨てられたらいい。そう、本気で思った瞬間、頬に柔らかいものが触れた。
「クレスタ、どうしたの?」
シーナに言われて、小さな手で触れられて、僕は頬に流れる雫を知った。
「かなしいの?クレスタ、泣いてる」
涙を流したのなんて何年ぶりかもわからない。だけど、吐き出せない感情が代わりに溢れていく様で、女の子の前だと言うのに恥だとわかっていても止める事なんて出来なかった。
「僕はっ、どうしたらいいんだろう・・・」
あったばかりのシーナに何を言っているんだ、と自分でも思ったけれど僕の涙を必死に拭うシーナの瞳は居心地の悪かったはずの真っ直ぐな瞳なのに、今はその強い瞳を縋るように見つめてしまう。
(た・・・すけて・・・)
「クレスタはかなしいの?」
そう、問いかけられた言葉に自然と首を縦に振っていた。もしかしたら何も知らないシーナだからこそ、自分の気持ちをぶつけられたのかもしれない。
「クレスタはつらい?」
「・・・つらいよ、幸せに、僕だって幸せになりたいんだ・・・」
こんな話しても無意味だ。やめよう、そう思った時涙を拭ってくれていたシーナの手が頬から離れると、手をぎゅっと握られた。
「シーナ、ひとりぼっちなの」
「・・え?あ、あぁ・・・そう、聞いたよ」
突然の行動に驚いた僕は返事も疎かにその手を見つめてしまう。
(冷たい・・・ずっと外に居るんだ)
触れた手から伝わるのはシーナの冷たい体温。その体温は外の厳しさに耐えている事実を伝えて来て、胸の奥がまた痛くなる。だめだ、だめだと思ってもシーナと居ると自分をコントロール出来る自信がなくなっていた。
「でもね、シーナ、クレスタに会えたの。ひとりぼっちじゃなくなったよ」
シーナが言った言葉は、まるで僕に会った事を喜んでいる様に思えて、確認する為に手から視線をあげた。
視線と視線が混じり合う瞬間、シーなの幼い顔がふわりと嬉しそうに笑う。シーナが悲しい表情をしていないのに、その幸せそうな笑顔にまたおかしな感情が溢れ出していく。
「シーナね、とっても嬉しい。クレスタはね、嬉しくない?」
そう訊ねてくるシーナに、僕は自分の感情とか、過去とか、運命とか全部忘れて、その単語を繰り返していた。
「・・・・うれ、し・・い・・・?」
この気持ちは、両親が笑ってくれた時とは違う。もっと苦しくて、もっと胸が痛くて、それでいて・・・・ほのかに暖かい・・・。
自然と口からでた言葉にシーナはまた笑顔を見せてくれる。その顔を見るだけで、何故か胸が苦しくなって、何故か体が熱くなる。
(あの時見た・・・太陽みたいだ)
届かないはずの太陽。僕まで輝かせてくれた太陽。
僕は、伸ばして届かなかった太陽にシーナを重ねて、近くに居るシーナなら、あの温もりに触れる事が出来るかもしれない。そんな事を考えて、僕の手に乗せていたシーナの手を両手で包み込んだ。じわりと伝わる体温は冷たいのに、触れた手はどんどん熱を帯びていく。
「クレスタの手、あったかい」
ふふ、と笑いを零すシーナに、体の力が抜けて心臓からホッと温もりが全身に広がっていく。苦しい胸の痛みですら、こんなに暖かくなれるのなら感じていたいとも思ってしまった。
「・・・・シーナの手は冷たいね」
(なのに・・・こんなに・・・暖かくなるのはなんでだろう・・・)