皇族の男、希望を夢見て
「目的地に到着いたしました」
肩を優しく叩かれて、瞳を開くと眩い光と同時に付き人の不安そうな顔が映る。僕がまだ怒っていると思っているのかもしれない。
「・・・あぁ、ありがとう」
適当な返事を返しながら周りを見ると、僕が眠っている間に座っていた馬車は止まっていて、付き人が扉を開けてくれていた。段差を降りて馬車を出ると、荒地と呼ばれていた目的地の町は既に栽培地へと開拓されているようだった。
「もうすっかり栽培地だね」
「えぇ、もう種を撒き始めていると聞いています。もうこの町が荒地となってしまったのは四年ほど前ですから、瓦礫などの処理を終え、やっと栽培へと近づいたのでしょう」
一見すれば畑に見えないこともないが、植えられているのは人を狂わす草花。
(植えている連中は、何の種など知らないのだろうな)
見るだけでわかる植えている人々の裕福ではない服装や仕草。きっと貧しい身分の連中が高給で雇われているのだろう。栽培中に何か異変が起きても、切り捨てられると思ったのかもしれない。そういう面を考えると自分と少しだけ似ている気がした。
「問題は特になさそうだね、帰るのは明日の午後だろう?僕は少し見回りをしてくるよ」
僕は否定的になりながらも行動を起こしている自分を思い知らされる事が嫌で、見回りと称してこの荒れた地を隠している森林の散策することにした。身体を動かして、その一瞬だけでもいいから狂った人間だって事を忘れたい。
付き人の些細な引き止めを遮って僕は町とは違う方向へ足を向ける。来た道以外に道は無かったが、静かで人と遮られた場所に行けるのならどんな足場でも構わない。
歩けば歩く程木の数も増え、踏んでいた草も足首丈だったものから腰くらいまで成長しているものが増えてきた。さく、さく、と草をかき分ける音が大きく聞こえ始め、周りをゆっくり見渡すと町も見えない、人も見えない、少しだけ木々が離れて一面長い草に囲まれた場所に出てきている事がわかった。
(・・・まるで世界に一人きり)
足を止めて、瞳を閉じた。風に吹かれて揺れる草の音が大きくなり、どこからか聞こえる鳥の囀りは心を穏やかにさせてくれる。頬を撫でる風が気持ちよくて、照らす太陽が心地よくて、僕の皇族という枷まで無くなってしまうのではないか、そんな気さえしてしまった。
(そんなはずないのに、でも・・・もし、僕が皇族ではなかったら、もし・・・ただの男の子だったら・・・)
考えても意味はない、そう思っているのに役割を与えられる前の生活を夢見てしまう。笑って欲しくて頑張って、笑ってくれると嬉しくて。今では、その笑顔さえ苦しい、笑顔さえ悲しい。
閉じていた瞼の裏に浮かんでくる親の笑顔。嬉しかったあの笑顔、その残像を消し去るように瞳を開いて眩しい太陽の光を浴びる。
(・・・笑って欲しくない訳じゃない・・・ただ、夢をもう一度見させて・・・人殺しじゃない人生を僕にも見させて・・・)
僕は輝く太陽の光が、周りを輝かせていて自分もその一部になれるのではないかと妙な希望を抱いて太陽に手を伸ばした。
手から透ける美しい太陽を手にすればこの人生から逃れられるかもしれない、もしかすればきっかけが、奇跡が起こるかもしれない。そう思って広げていた手を握っても届くはずのないその距離が僕に現実を教えてくれる。
(馬鹿な事を考えてた・・・かな。悩んでいても苦しいだけ・・・もっと感情をなくせばいい。もっと何も不思議に思わなくなるくらい人を・・・殺してしまえばいい)
暗殺者として役割を与えられて四年。人を殺す事において、表面上感情を消すのは上手くなったけれど、内側は何時まで経ってもかわらない。最初の頃は発狂しそうになった事だってあったし、今だって前日は手が震える。募っていく罪悪感が僕の心を少しずつ重くして、少しずつ狂わせていく。
(もう・・・止めることなんて出来ないのかもしれない)
握って上に上げていた手を降ろし、結局一人になって身体を動かしても考えてしまった事に諦めを感じつつ、感情を打ち切る為に再び足を動かし続けた。足場が草だらけだった場所は次第に坂道へと変わり、景色も緑から茶色、木が生い茂る場所へと出てきていた。
そろそろ道を見失ってしまいそうな場所までたどり着いてしまった僕は足を返そうとした時に左の奥に緑でも茶色でもない肌色が見えた事に違和感を覚える。
(?あれは・・・足?)
町の場所から考えると人が居る事は可能性として低い。不思議に思って携えていた剣を腰から抜きながら近付いていく。足音をたてないように進むが、近づくに連れてその肌色の足が生気を発していないとわかると僕は剣を収めて、忍び足も止めた。
露出していた肌色は奇跡的に残っていた部分の様で、足元まで近づいたその肌色の正体は腐敗が進み、白骨化しかけている女性の死体だった。隣に同じ様な男性の死体もある事からこの二人は親しい関係だったのだろうとわかる。
(・・・内乱で巻き込まれた人達・・・?四年も前のはずなのに一部分とはいえ、こんなに綺麗によく残ってるな)
二体共に刺し傷があることから町で起きた内乱に巻き込まれたと考えるのが一番自然と言えば自然だ。しかし、環境が良かったかもしれないという仮定を置いても形が残っている事だけ引っかかる。
そう、思案していた時。
「ち、近づかないで!!!」
死体の側の木陰から小さな少女が声を荒らげて飛び出してきた。
「もう二人とも死んでるの、これ以上ボロボロにしないで!」
慌てた様子で出てきた少女は剣を携えている僕に怖じ気付く事もなく睨みつけてきた。少女の容姿は酷く、長い髪の毛はボサボサで、着ている服も薄汚れている。おまけに体も泥だらけで少し酸味のある臭いまでしてくる。僕は慣れていない獣の様な臭いを塞ごうと顔を覆う為に片手を上げれば、少女は勘違いしたのか一歩後ろへ下がった。
「ボロボロにしないでって言ってるのに!」
少女は隠れていた木陰に手を忍ばせると、身の丈には合わない剣を小さな手に握っていた。それを見た僕は、鼻を抑えようとしていた手の方向を咄嗟に剣の柄に変える。
「君、どこでそれを」
僕が言葉を発しても少女は引こうとしない。両手で剣の柄を持ち、重さの為か体の右側で刃を地面に引きずりながら近付いてくる。
「やめなよ、僕は別に、」
「近づかないで!!!!」
凶器を引きずってどんどん近付いてくる彼女に僕は剣を引き抜いてしまった。それと同時に、僕はこの少女も殺してしまうのかもしれないと罪悪感の重みが身体を重くする。
(皇族に関係もない、何か命令された訳でもない、こんな幼い少女も僕は殺すのか・・・僕は、ただの人殺し・・・!)
勝手に動く体が少女の首をめがけて速度を上げながら刃を振ってしまう。
(やめろ・・・やめろ、嫌だ!!僕は人殺しになんて!!!!)
少女の首が宙を舞い、怯える顔のまま体と離れる映像を僕は幾度となく見てきたものと重ねた。
けれど、幾度となく経験してきた時の様に手応えが無い。
気づいた時には遅く、僕の刃が空気を斬ったと認識した瞬間に少女は体勢を低くしていた状態から一気に刃を振り上げた。顔スレスレに感じた剣先の風に、息が詰まる。
(ッ、速い・・・!!)
少女が繰り出す想像以上の速さに驚いて引いた体は後ろに傾き、バランスをとるために一歩後ろに足を置くが、既に少女は僕の懐へと場所を移し体重の流れと共に後ろへと押されてしまった。
「っわ!」
そのまま尻餅を付いてしまった僕は首に剣の刃を向けられた。
「これ以上、近づかないで」
チャキ、と金属音が鳴った剣を向けられた僕は恐怖を感じなかった。小さな手に握られた剣は少し強く弾いただけで離れていく事がわかる。それに、首に置かれた刃は錆び付いていて斬れ味はほとんど無い。
現実的な要因を上げると様々な理由が出てくるが、僕が一番恐怖を感じなかったのはそれを勝る程の興奮と興味が湧き出ていたからかもしれない。
(・・・・殺して・・・ない・・・)
偶然かもしれない、わかっているのに、目の前の少女が僕の行為を止めてくれた様に思えて、昂揚していく気持ちが重くて苦しかった心をほんの少しだけ崩してくれた気がした。




