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次の日の朝。いつも通りの時間に宿舎から屯所へと向かっていれば、ぼろい壁が見えた辺りであの小煩い新入りの声が外にも聞こえてきた。
(・・・確かにうちは壁薄いけどよ・・)
内心でため息を漏らしつつ扉を開けば、新入りは昨日と同じく顔を真っ赤にして怒りを露にしていた。
「どうした、何をそんなカッカしてんだ?」
中を見渡せば、昨日は居なかったヴィスタとアクリアがだるそうに椅子へ座り、マロンが新入りにずっと青い顔で「すまない・・」と呟いている。
(マロン・・・悪いことしたな・・顔色が尋常じゃねぇ)
この場所をなくしたくないマロンにとって、坊っちゃんのご機嫌取りは大事なものなのだろう。側に居た後の二人はそんなマロンすら気にする風でもなく、のらりくらりとしていた。
「別にどーもこーもねーよ。あぁ、おはよ。シーナ」
ひらりと手を上げながら姿勢を良くして挨拶してきたのは女ったらしのアクリア。男にしては長めの茶色い髪を左耳下でまとめている彼は巷で甘いマスクの持ち主と評判らしい。常に女の子、女の子と呟く彼だが、このむさ苦しい騎士団を気に入っているのは間違いない。
「そうだよ。何にもないさ、ただこの坊やが騒いでるだけ」
アクリアに続いて、真っ赤な新入りを指さし“坊や”と呼ぶのはヴィスタ。女の私より身長が低いのに、目線はいつも上からだ。それも当然の事、黒髪でまるっとした輪郭と大きな瞳は童顔を強調しているのに、年齢は騎士団の最年長であるのだから、最初は誰もが驚いた。
「な、坊やって何ですか!!団長といい・・僕にはちゃんとした名前があるんです!」
坊やもだめなのか、と思いながらもしょうもない争いに呆れてため息がでる。
「お前らなぁ・・・あんまり遊ぶなよ。まぁ、紹介をしてなかった私も悪いな。聞け、昨日からの新入りだ。」
私の言葉に異論を唱えようとする新入りを遮り、椅子に座っていた二人は大きく頷いた。
「わかった、新入りね。」
「わかった、新入りな。」
(はっ、ざまー見やがれ皇族野郎)
視界の端でマロンがまたもや胃を抑え始めたが、これはもう諦めてもらうしかないだろう。普段から遊び呆ける二人に加え、私まで混ざればマロンだって抑える手はない。厳つく筋肉質な見た目とは裏腹に気優しい男のマロン。周りにばっかり気を使っているから、いつか精神的に病んでしまうんじゃないかと自分も加わっていてなんだが、今回ばかりは心配になる。
そんなマロンを他所に、新入りは再び声を荒らげた。
「・・・っ、貴方方!ぼ、僕には名前があると言ってるでしょう!それと、何をしているんです!軍ではもう既に訓練が始まってると言うのに・・!こんなにダラダラとして・・給料泥棒もいいところです!早速、報告書に書けそうですね!!」
フン、とやりきった顔で笑われると少しこっちが笑えてしまった。
「給料泥棒ねぇ・・・じゃあ訓練するか。お前の実力知らないしな、外でやるぞ。・・・・・マロンは・・・・休んでていいからな。」
そう告げればさらにピーピーと鳥のように喚き始めた新入りを置いて、先に屯所から出る。騎士団の屯所は軍の本拠地からかなり離れた所にあり、屯所の裏には広々した草原が広がっていた。訓練にはもってこいだし、町に抜け出すにも絶好の場所だ。
その草原にぽてぽてと歩いて行けば、後ろから付いてきた人物が声をかけてくる。
「まさかシーナが相手をするの?」
ヴィスタに右側から、
「俺がやってもいいぜ?いいとこの坊っちゃんなんだろ?現実ってヤツ、教えてやるよ」
アクリアに左側から話しかけられ、そして更に後ろから付いてきた足音に振り向けば、
「もちろん、あなたが相手してくださるんでしょう!?」
と、リズム良く続いた新入りには笑いがこみ上げた。
「はは、調子良いじゃねぇか。まぁ私がやってもいいが・・・そうだなぁ、せっかくの立候補だ。アクリア、やってやれよ」
屯所の壁にもたれながら胡座をかいて座れば、横にちょこんとヴィスタが席を埋める。
「あなた、僕を相手に出来る自信がないのでしょう。・・まぁ偉そうな物言いのわりに・・・女性ですしね」
ハッと鼻で笑って横を通り過ぎる新入りにヴィスタが噛み付こうとするが、しっかり止めておく。
(・・・・・・数年前と同じ・・・か・・・)
立場や理由で妙に数年前を思い出すが、こいつが大いに関わっている訳でもないし、苛立ちはするが簡単に流しておくのが賢明だろう。
「・・・そう思っとけ。だが、アクリアは男だ、訓練だからと言って舐めた真似すれば悪いが私は三ヶ月経つ前に正式に契約を切る」
私の強めの発言に新入りは苦虫を潰したように顔を歪ませて、何も言わず歩いていった。
「ねぇシーナ、いいの?女だって見くびられてさ。・・・僕は嫌だ、シーナがどれだけ強いか知らないんだ、アイツ」
ムッと膨れるヴィスタの優しさに、少しだけ頬が緩む。ここは優しい奴等ばかりで、本当居心地が良すぎて困る。
「いいんだよ。滅多に女の剣士なんていねぇ、女だから油断ってのはみっともねぇが。私からしたら嬉しい状況だろ?」
私の言葉にヴィスタは満足したのか、「そっか。じゃあいいさ」と言って腕にべったりくっついてきた。ヴィスタは男だと分かっていても顔も幼いし、口調も男らしくはない。だからか、少し妹のような感覚になってしまう。
微笑ましい環境だ、と笑っていたが遠くにいる奴等を少しばかり忘れてしまっていたらしい。
「はい、そこイチャイチャしなーい!シーナ、早く合図してくれよ!」
アクリアと新入りが剣を構えているのが見え、私の合図待ちだと理解する。
慌てて立ち上がり、真っ直ぐ手を振り上げた。
「悪い、悪い。じゃあやるぞ・・・はじめ!」
上げた手を垂直に降ろすと同時に、新入りがアクリアに攻撃を仕掛ける。
最初の一発目は上段からの振り下したフェイク。アクリアもわかっていてそれを軽く受け止め、剣を弾いた後繰り出された中段からの攻撃も体制を崩さず受け止めている。
アクリアは攻撃には移らない、実力を見るってのを十分理解しているという事だ。そんな思いも知らない新入りは次々と攻撃を繰り出し、キンッとぶつかり合う金属音が鳴る度、生き生きしていくようにも見えた。
「筋は悪くねぇな、それなりに強ぇじゃねぇか。」
攻撃から読み取れる範囲では中々筋が良い。弾かれようが躱されようが型が崩れることもなく次へから次へと攻撃を加えていく姿は中々好感を持てる。
納得したくなかったのか、ヴィスタは隣で「まぁまぁだね。」と呟いているが否定しないところを見ると、認めてはいる様だ。そんなヴィスタに笑って、アクリアに向かって大きく手を振る。
その大振りな合図の内容は簡単だ。
“終わりだ”
体の動きも何となくだが読めてきたし、真面目な新入りが型にこだわってるのも良くわかる。もう十分だ、という意志を込めた私の合図は、アクリアの動きを一変させた。
ずっと受け止めていた体制から一気に隙を突いて反転し、攻撃を切り返して行く。
アクリアと新入りの腕力の差か、見た目以上に重たいアクリアの反撃に、先ほどまでしっかりしていた新入りの型が崩れ始めてきた。
「防御はいまいちだな・・・まぁ“お遊び感”が抜けねぇのは軍から来た奴っぽいか」
訓練は訓練だと思い込んでる、というか任務に行ったことなど数回しかないだろう。しかも皇族ときたら周りに守る奴も数名は居る。
「・・・・・アクリア!本気でやってやれ。現実ってやつを見せてやるんだろ!?負けた奴は全員から顔面に一発!今日のヴィスタは機嫌が悪いからな、キツイぞ」
意味が分かったアクリアはあからさまに嫌な顔をし、新入りはぽかんとしていた。
ぼそぼそと側にいるアクリアが新入りに意味を伝えてやれば、さっきまで生き生きとしていた新入りの顔色は真っ青に変わる。
「なっ!!本気ですかっ!?」
驚いてそう告げるがしっかりと剣を構え直したということは、少なからず信じているのだろう。ここの騎士団は、やると言ったら必ずやる。
「言っとくが、俺が言ったことに偽りはねぇぜ。ヴィスタはキレるとやべぇし、マロンの一発も強烈だ。しかも顔面なんて・・明日は顔が腫れ上がる・・!!」
たらりと流れた冷や汗から、アクリアの本気度が伺える。真剣な表情になった二人は構えを新たにし、次はアクリアから攻撃を仕掛けた。
「ッ、負けません・・・!!貴方達になんて、絶対に・・・!!!」
強い意思表示をするのは結構だが、本気を舐めてもらっては困る。アクリアが仕掛けた攻撃は前の衝撃とは比べ物にならないくらい、速い。
それが、実戦だ。
「っく、!!」
防ぐ新入りは必死だが、アクリアの気迫に負けていられないと思ったのだろう。弾き返して攻防を繰り返した。激しい金属音が鳴り響くが経験の差もあり、決着はすぐについてしまう。
カキンッ!!
一層強く音が響けば、新入りの剣は宙を舞い、数メートルも後ろに突き刺さった。見事に弧を描いたその剣はアクリアの攻撃で弾き飛ばされたのだ。ゆっくりと新入りの首元にアクリアの剣を当てられた所で、“勝負アリ”。
「決まりだな、・・・でもって、ついでに一発・・アクリア、殴って来い。」
言われると同時にバキッ!と鈍い音がした。
「あースッキリした!っつーか、酷くね?俺せっかく買って出たのにさ!」
と、文句をいいながらも爽やかな笑顔で帰ってきたアクリアの横をヴィスタが通り過ぎ、もう一度響く鈍い音。ドサッと倒れ込んだ新入りの顔はきっと両頬真っ赤だろう。
「アクリア、どうだ。」
ちらり、視線をむければ少し不機嫌そうに顔をしかめた。
「・・・認めたくないけど、中々良かったぜ。坊っちゃんだからって少し馬鹿にしすぎた。最後は俺も本気だったし、使えるんじゃねぇの。」
「・・・後で、本人にも言ってやれよ。」
しっかりと見極め、それでいて認めたアクリアは「男だし、優しくすることねーもん。嫌なこった」とだけ言って、中へ入っていく。
「マロンも呼んで来い。一発殴らせるぞ。」
と言えば聞こえていたのか、真っ青にしたマロンが出てきて、重い足取りで新入りの方へと向かっていった。どうやら、騎士団としての決まり事は皇族と言えども守るらしい。怪我をしたらとか言っていたわりに、譲らないものは譲らない。
その妙な精神は嫌いじゃないがな。
(それで胃痛に悩まされたら、元も子もねぇけどな・・・)
そんなマロンの横を颯爽と走りながらヴィスタが嬉しそうに帰ってきた。
「スッキリしたさ!次は二発にしといてくれよ、シーナ!」
さっきの噛み付こうとしていた不機嫌はどこへやら、ニマニマと顔を喜ばせて中へと入るヴィスタはきっとあったかいお茶でも煎れてくれるだろう。ドアを閉める音と同時にもう一発鈍い音が響く。
新入りは少し後ろに吹っ飛んだ様だ。
歩いて帰ってきたマロンに、新入りの筋が良い事を伝えたくてニヤリと頬を緩ませた。
「マロン、見てただろ。結構使える奴じゃないか、坊っちゃんだが・・・筋がいいぞ」
「・・・まぁな。剣に自信があるって言っても、アクリアの気迫に負ける奴も多い。殺気なんて向けられた事もあまり無いだろうに、しっかり震えずに立ってたのは中々だと思うが・・・俺は・・・・・・・胃が、痛い・・・。」
自分で殴っておいて、と言いたいところだがマロンの今にも倒れそうな足取りに、これ以上すると私まで顔を青くしそうだ。
「・・・・・ヴィスタが、茶でも煎れるだろう。少し、休んでおけよ。」
胃を抑えてなかに入るマロンを見送り、私は草原へと一歩踏み出す。寝そべっている新入りの頭上に足を置いて顔をのぞき込んでやった。
「・・・・どうだ、現実ってやつは」
横たわり、脱力する新入りはぐっと拳を握って、唇を噛み締めている。私の顔を見たくないのだろう、片腕で顔を被っていた。
「・・・わかってます・・・・言われなくてもっ!!わざわざ言わないでくれますかッ!!!」
苛立ちで勢い良く上体を起こした新入りの顔は真っ赤に腫れて、見るからに痛々しい。だが、辛いのはそれだけではない様だ。少し潤んだ目尻は、涙をこぼさない為に必死だった。
「・・・・悔しいか?」
当たり前の質問に、ギッと鋭く充血した目で睨まれる。
「っ、関係ないでしょう、」
精神的ショックと腫れた顔でフラフラしながらも自力で立ち上がろうとする新入りに、私は容赦なく一発、顔面に見舞ってやった。女の拳だ、マロン程ではないのが幸いだろう。
「っぐはッ!」
ドサッと再び地面に転んだ新入りから鼻血まで流れだし、ついにはポロッと一筋、涙が溢れた。
(それほど・・・悔しいか・・・こいつは、強くなるな)
こんな皇族を名乗る、プライドの塊の様な奴が女の目の前で泣くのだ、その悔しさは相当だろう。産まれた血筋のお陰で負けという現実を知らず、自分は強い、自分は負けないと過信している愚かな奴等は溢れるほど居るが、どうやら新入りは違う。
震える唇で、息を吐き出すと同時に新入りはに思いを絞り出した。
「ッ、・・こんなにもアッサリ、こんな騎士団の・・・奴等にッ・・!!」
ボロボロと零す涙はみっともないが、負けを悔しい、と認められる新入りは伸びる。実力主義半分、権力主義半分の軍に居ては確かに勿体ない人材だ。軍にいればこの悔しい気持ちを知ることはなかっただろう。
皇族の機嫌を損ねるのは誰だってしたくないと暗黙の了解ってものがある。
「その感情、大事にしろよ。アクリアもヴィスタも・・・もちろんマロンも。お前より強い。・・・盗めるモノは全て盗め。」
生意気な奴だが、純粋に悔しさをにじませるコイツは、強くさせてやりたい。そう、久しぶりに思えた。
「顔、冷やしとけよ。明日もまたやるぞ・・・・・負けねぇようにな」
ぐしゃっと頭を撫でてやり、一人にさせてやる為、私も屯所へと足を向けた。きっとあたたかいお茶が、私にも待っている事だろう。