楽しみと情報
離れた屋敷から、少しの森道を抜けて村の中を歩いていた頃、目指していた建物にやっと辿り着く事が出来た。夜も更け、静まった暗闇の中で、唯一明るく照らされた一件の建物。その建物からは外にまで聞こえる騒々しい話し声と陽気な音楽、そしてグラスをぶつける音や何人もの足音が途切れることなく奏でられていた。
些細な事をリジュから聞いていた私は眩しく輝く光を目を細めて見つめ、歩いていた足を止めた。中の様子が窓から見え、楽しそうに笑っている村の人々に私も楽しみになってくる。止めていた足を一歩前に踏み出して酒場の入口を開こうと扉へ近づくが、隣に並んでいた足が動かないことに気づく。
「・・・リジュ?入らねぇのか?」
止まったままの足を確認する様に振り向くと、リジュは綺麗な笑顔で頷いて返してくれた。
「私ね、お酒が飲めないの。オーリンが迎えにくるから、私はここで帰るわ。シーナさん、他のみなさんも楽しんで」
後から来た騎士団も奴らも、それには少し驚いて、アクリアは引き止めたりもしていた。
「えー!リジュちゃん一緒に行かねぇの?絶対楽しいって、お酒飲まなくてもいいしさ!」
アクリアが必死に誘うが、リジュは困った様に笑うだけで首を縦に振ることはなかった。せめて迎えが来るまで待っていようと思ったが、時間が経つ間もなく沢山の荷物を抱えたオーリンが私達が来た方向とは違う方からやって来た。
「騎士の皆様、お嬢様、大変お待たせ致しました。いやはや、買い物が手間取ってしまいまして。では、お嬢様、お供致します」
手にもっている荷物は買った物らしい。辺も暗くなっているのにご苦労な事だ、と思いながら意思がはっきりしているリジュをこれ以上引き止める訳にもいかず、私はリジュの片手をとって警告した。
「気を付けて帰れよ、リジュ、オーリン。何かあればここまで帰って来い、私が送ろう」
リジュは嬉しそうに笑い、オーリンも頷いてくれた。
「頼もしいのね。ありがとう、シーナさん」
「お気遣い、痛み入ります。ではお嬢様、参りましょう」
二人連なって、来た道を戻っていくのを騎士団で見届け終わると、アクリアが我慢できずに腕を小突いてくる。
「シーナ!いこうぜ!」
嬉しそうににやけるその顔は、もう我慢の限界なのだろう。私は呆れたように笑って、「あぁ」と短い返事を返した。
酒場の扉を開くと太陽の様に明るい光に一瞬目が眩んでしまう。目の前が真っ白になった後、見えた光景はそれこそ別世界、といっても不思議は無いほどだった。静寂した外とは違い、がやがやと騒がしい声や音に消されて、扉が開いた事を誰も気付きはしない。
こんなに居たのか、と思う程の人、人、人。そして楽器に料理に酒が所狭しに詰まっていた。アクリアが一歩踏み出したところで、丁度酒を運こびながら近くを通った女の店員が気づいたらしい。
「あら、見ない顔ね。旅の人?」
両手に酒瓶を持ち、忙しそうに立ち回る女にこれ幸いと返事をするのはもちろんアクリア。
「ちょっとこの村に用事でね、俺にもお酒をくれるかな?」
自然にチラッと腰の剣を見せて自分の職業を女に知らせると、先程まで忙しそうにしていた女の瞳はキラキラと輝きを増していった。
(相変わらず、女の扱いに慣れてるな・・・・)
感心しながら横目で流れを見ていると、女は置くの席を慌てて指さした。
「あ、あっちに座っておくれよ!もしかしてあんたら、王都の人かい?!わぁ・・・!剣を持ってる人なんて初めて!!」
そう言った女が私たちの分の酒を用意する為に離れようとすると、アクリアは引き止める様にその手をとった。運び途中だった酒瓶を取り上げ、近くの机に無造作に置いて握った女の手の甲にそっとキスを送る。
「ねぇ、酒もいいけどさ。俺は君みたいな可愛い子と・・・お話したいんだけどな」
突然の誘いに驚いた女の腰に手を添え、手馴れたエスコートにうっとりし始めた女の頬を撫でて一歩、アクリアが進み始めると女はまるで紐でもつけられたかの様に同じ方向へとつられて歩いていってしまった。嬉しそうに笑って後ろ手で手を振ったアクリアは、帰る時までああやって女を引っ掛けていくのだろう。
「なっ・・・アク、」
騎士団は半ば呆れ顔で手を振ってやっていたが、ラルにとっては衝撃的だったらしい。顔を真っ赤にしてアクリアに手を伸ばそうとしたラルの頭をぺちんと軽く掌で叩く。
「酒場ってのはああいう交流もアリなんだよ。邪魔してやるな。・・・もしくは、混ざってくるか?」
笑って言えば、更にラルは顔を赤くする。
(お前は乙女か)
危うく口になりそうになったのを控えて、ラルが何か文句を言い始める前に足を進めた。そうすれば、今度はヴィスタが服を引っ張ってくる。
「シーナ、美味そうなのがいっぱいあるよ」
指を差したところには料理が所狭しと並んだテーブルだった。誰かが注文したものだろうが、騒いでいれば誰が何処にいようが一緒だ。ヴィスタの言いたいことを理解してひらひらと片手を振った。
「食いすぎるなよ。あと揉め事は起こすな」
「わかってるさ!」
とたとたと音を立てて料理へと走っていったヴィスタにラルはまたしても口を挟もうとしていた。
「ちょっ、あれは違う人が、」
「いーんだよ。揉め事は起こすなって言ってある」
納得がいかない様子で、ピーピーと言い始めたラルをそのまま再び足を進める。奥に行けば行くほど照明も暗くなってきた。むさくるしい男達が増え、この村の労働者達が集まっているのが見てとれる。マロンがポンッと私の肩に手を置いてその辺りに置いてあった酒瓶を持った。
「俺はあの辺に行くか。ラルは任せたぞ、あと・・・呑まれるなよ」
「あぁ、行ってこい。・・・マロンは飲みすぎたっていいんだぞ?」
ふざけて笑ってやると、マロンもフッと息を漏らして笑っていた。
「そりゃあ嬉しい忠告だな」
手を振って離れて行ったマロンに、ラルは既に口をはさむ気はないらしい。違う人の酒だ、と目で語っていながらも声に出すことはなかった。そんなラルを引き連れて私はさらに奥へと進んでいく。最奥へと到達すれば、小奇麗なカウンターがあった。キョロキョロと周りを観察するラルを呼んで、席に座らせる。どうやら周りに客もいない・・・ということは私達は従業員達と話が出来るってことだ。
「酒は飲んだ事あるか?」
ラルの隣に座って聞けば、膝に手を置いて大人しくなりながらも一応、小さく頷いていた。
「はい。稀に呼ばれる食事会や誕生会などでは良く出てきてましたし、食前酒も好んで飲んでいます」
「・・・・・なるほどな」
考えていなかった訳じゃないが、これ程まで想像どおりの答えが帰ってくるとも思っていなかった。そんな高級そうな酒は、こっちが飲んだことがない。
「いらっしゃい。珍しいわね、可愛い子が二人もいるなんてお姉さんは嬉しいわ」
そうこうしてる内に、カウンターの向こうから現れたのは出てきたのは綺麗に化粧をした女だった。入口でアクリアに連れて行かれた女同様、髪を一つに纏めた女は笑いながら酒瓶一本とグラスを二つ用意し始める。頼んでもいないのに、と驚いていたラルだが、ここを何屋だと思ってるのか一度聞いてみたいものだ。
女は二つのグラスにいっぱいいっぱい酒を注ぐと、私とラルの目の前に置いた。それを受け取り、ラルの方へ置いたグラスに軽く音が鳴る程当てて、私の口へと運ぶ。ゴクッと喉を鳴らして流し込むと、口いっぱいに酒独特の風味が広がった。
「っはー、酒を飲むのは久しぶりだ。ラル、お前も飲めよ」
「あ、は、はい」
ボケっとしていたラルを促して、グラスを持たせもう一度コツンとぶつけるが、これは一体なんの乾杯だろうか。
「・・・ラルの入団に、乾杯・・・か?」
「き、聞かないでくださいよ。どれだけ前の事を言ってるんですか」
少し顔を赤くしているのは照れているからだろうか、あんな小っ恥ずかしい台詞や憧れ何かを平気で口にするくせに妙な奴だ。ラルも一口、酒を含んで飲みこんだ。高級な酒とはどう違うのだろうか、と反応を楽しみにしていれば、ラルの眉毛がどんどん歪んでいく。
「やっぱりお前が飲んでいたのと比べると、まずいのか?」
私は既に一杯目を飲み干し、同じく反応を楽しみにしていた女に瓶から次の一杯を注いでもらっていると、ラルが難しい顔をしながら答えはじめる。
「なんと・・・言ったらいいのでしょう。まずい、のではなく・・・風味が、その・・・強いですね」
「・・・それは、うまいのか・・・?」
無理に飲まなくてもいいぞ、と勧めようとした時、店員の女がにこりと笑いながら飲んだ分だけ、またラルのグラスに酒を注いでいった。
「あはは、ここらで造った酒だからねぇ、香りも味もこの村独特よ。大丈夫、すごく美味しくなるわ」
多少強引な気もするが、ラルも嫌そうではなかったし何しろ女が会話に加わってきたのは好都合かもしれない。
「ねぇ、二人とも見ない顔よね?・・・さっき入口の女の子達が騒いでたから・・・お仲間さんかしら?」
カウンターに頬杖を付いた女はここから離れる気は無いのだろう、怪しまれずに聞くことが出来そうだ。
「だったら、サービスしてくれるか?」
ごくり、一口酒を煽りながら笑えば女はグラスもう一個差し出してきた。
「お酒を奢ってくれるなら、何でもしてあげちゃうわ。ね、いいでしょ?」
片目をパチリと瞑ってウインクを投げてきた女に、ラルはびくりと震えて顔を真っ赤にしていた。それに口元が緩まりそうになるのをしっかり抑えて、私は話を進める事にする。
(ラルが女にびびって固まってやがる・・・おもしれぇじゃねぇか・・・!!)
「そりゃあこっちこそ、綺麗なおねーさんを独占出来て嬉しいってな。じゃあ、この村の事教えてくれよ。ここはどんな所なんだ?」
「あなたはお上手ね。もう、村のことなんかでいいの?まぁでも・・・うーん・・・ここの村って言ってもねぇ・・・・最近は物騒って事くらいかしら」
女は酒をちょっとずつ飲みながら考えて、あまり良いことではない事柄に眉を歪めて困ったように話を続けてくれた。
「知ってるかもしれないけど、ここ最近突然いなくなっちゃう人がいるの。しかも誰も原因がわからないから、色んな噂がたってるのよ」
「・・・噂・・・ですか?」
聞いてばかりだったラルも、女の言葉に首を傾げた。
「色々あるのよ。森に迷ったとか居なくなっただとか、攫われたとか、あとは村の祟りとかも言われてるわ。でも・・・・そうね、一番影で言われてるのは・・・屋敷の魔女よ」
「屋敷の・・魔女?」
その言葉には、私も疑問が沸いた。
(屋敷の魔女・・・屋敷に住んでいるのは、リジュとオーリンのはずだが・・・?)
「あら、これは知らないのね。ふふ・・教えてあげるわ」
女は得意げに笑って酒をぐいっと煽り、グラスを空にした。
「村で一番大きな屋敷があるんだけど・・・昔ね、そこには老夫婦が住んでたの。もう5年程前だったかしら・・・魔女は養女みたいな感じでやってきたのよ。老夫婦は優しくって、気前も良くて、とってもいい人達だった・・・なのに、あの女が来てから逃げるように旅行へ出かけるとか言って出ていったわ。・・・・帰って来ないのよ?・・・・もう何年も経つけど、一度もね」
新しい瓶をカウンターの下から出した女がラル、私、そして自分のグラスへ酒を注いでいく。
「だから、その老夫婦が最初の被害者だったんじゃないかって噂してるのよ。オーリンも老夫婦にベッタリだったのに、今じゃあの女の付き人でしょ?みーんなあの美貌にやられたんじゃないかってねー。・・・・しかも、居なくなった人、居なくなる一週間くらい前に屋敷に行った人ばっかりって聞いたわ」
思わず、ラルと顔を見合わせてしまった。ラルはキョトン、としていたけれど女の話を聞けば聞くほどリジュの存在が不思議に思えて、背中に一瞬寒気が走った。
「まぁ、ただの噂・・・だけどね?ねぇね、あなた達のお話も聞かせてよ!」
「・・・あぁ・・・ラル、何か話してやれよ」
そう言って私は席を立った。
「へっ!?ちょっとシーナ!」
「ラルって言うのね?ふふ、お姉さんと少しお話しましょ」
カウンター越しに腕を掴まれて逃げれないラルをそのまま残して、私は夜風に当たって頭をスッキリさせようと、入口へ再び足を向けた。




