後輩不明 傍観者楽
学校の帰り道。
薄暗いアスファルトの道を二人で歩く。
隣には、部活の後輩。
見た目が酷い私によく喋りかけてくる。
私が言うのもなんだが…変わってる、と思う。
後ちょっとチャラい。
苦手な部類の人間だけれど、屈託のない笑顔は好きな方だ。
彼は私と同じ電車通学だから、部活の日は一緒に帰ることが多い。
駅も近いし。
私は不純な理由で部室に通っている。
だから、教室より居心地が悪い。
友達がいるし、大切な人が話しかけてくれるからまだ平気だけど。
ぶっちゃけ、あの人がいるから部活に入部したんだけどね。
片思いの相手。
私が好きな人。
誰よりも大切な人だ。
私は部活を真面目にやってないから部員からは悪評ばかり。
あんまり気にしてないけど。
文化部なんて適当にやるものだ。
…そういう考えがダメなのかな?
よくわかんない。
「―でですね、アイツがまた馬鹿やって教師に怒られたんですよ!」
「うん。」
後輩は大きなジェスチャーを交えて話を盛り上げる。
沢山喋る子だけど、私は唇が切れて痛いから返事が短い。
しかもマスクをつけているから、くぐもった音しか出せない。
殆ど頭を小さく動かして相槌を打つしか反応できないが、彼はずっと楽しそうにニコニコしてる。
笑顔は好きだけど、彼の視線は苦手だ。
真っ直ぐ私を捕らえて逃がさない。
思わず目を逸らしてしまうのは仕方ないよ。
自分の全てが汚いのを自覚してるから。
だから、そんな目で見ないでほしい。
私の現在の容姿は異常だ。
首や手足には痣を隠すように包帯を巻き、左目は青紫色に腫れてるから眼帯を装着。
衣類の下は花火のような痣のオンパレード。
手首にはリスカ、腕にはアムカの生々しい痕。
これらを自分以外の他人に観られたくないから、包帯やガーゼ、マスクとかが必需品。
今の冬とかは制服が長袖だから、夏よりは苦労しない。
痣や打撲とかは一昨日の夜“傍観者さん”がつけたモノ。
リスカとアムカは自分でやった。
傍観者さんは掲示板で知り合った男の人。
私がお願いして体を傷つけてもらう、そんな関係。
傍観者さんは後で手当てしてくれるから助かる。
ぶっきらぼうだけど、根は優しい人。
いい人に出会えたと心のそこから思っている。
昨日の朝に帰宅した時、玄関の立ち鏡に映った自分の姿は醜かった。
化粧も何もしてない顔は更に不細工に。
あの行為を痛くないと言えば嘘になるけど、私が望んだ結果。
後悔はしていない。
カンカンカン
踏み切りを待つ。
電車が風を生み、髪やネクタイが舞い踊る。
手を上げるのも億劫な私の気持ちを汲み取ったのか、彼が手櫛で整えてくれた。
また二人で歩くと駅が見えてきた。
私が歩くのが遅いから余計時間がかかってしまう。
後輩には申し訳ない。
コンビニを通り過ぎようとした時、彼がゆっくり立ち止まった。
どうしたのだろう?
振り返る私。
真剣な顔が訊ねた。
「あの、付き合ってくれませんか?」
腕時計で時間を確認する。
後数分で電車がきてしまう。
今日も、傍観者さんと会う約束をしている。
けれど、今夜は傍観者さんが働いている会社まで行かなくてはならない。
仕事終わりに食事に連れてってくれるそうだ。
正直嬉しい。
無駄口を叩かない人なだけに、こういうお誘いを受けると緊張する。
でも、楽しみ。
「すぐ終わる?電車に間に合うならいいよ。」
「できれば、一生。俺の隣で。」
「……。」
駅を出入りする人混みが遠くに聞こえた。
顔を上げた先の後輩は、綺麗に笑っていた。
明らかに作り物の笑み。
背筋に悪寒が走った。
何コレ?
気持ち悪い。
いや、それより、怖い。
手をあげる傍観者さんよりも、今の彼が断然コワイ。
後退る一歩を彼の大きな一歩が埋める。
嫌だ、近づかないで。
「俺、前々から先輩のこと気になってたんですよね。傷だらけで、あんま喋らないし、なのに副部長と友達と話す時だけ嬉しそうで。どうしても俺の方に振り向かせてみたくて、だから頑張りました。
ねぇ、先輩。俺が先輩のこと好きだって、気づいてましたか?」
「いや…全く。」
「ですよね。だって、副部長しか見てませんもんね。俺なんて雑草と同レベルですもんね。」
ヘラヘラした顔。
チャラい見た目にはよく似合っている。
だが、その目だけは別物のように感情が込もっていない。
人々が駅前に居座っているホームレスに向けるのと同じ、無感情。
…何なんの?
彼がこんな性格だったなんて知らない。
明るいのは表だけで、裏に本性が隠されていた。
一歩、後退る。
「副部長が好きだって知ってましたよ。でも、俺は先輩が好きです。これだけは誰にも譲りませんよ。
それに、傷ついてボロボロの先輩を見てると……ゾクゾクする。興奮します。俺も先輩を酷く虐めたくなるんだ。
ねぇ、どうです?手加減してほしくないなら無茶苦茶にしてあげますよ。もっと痛めつけてあげますから。勿論、愛を込めて。…どうです?俺と付き合いませんか?」
「…先約いるから。ごめん。」
「先輩を痛めつけている人ですか?確か…傍観者さん、でしたっけ?」
ニイィと厭らしい笑みが深まる。
電車の時間、とっくに乗り過ごした。
今は目の前の彼から逃げられない。
可笑しいよ、この子。
話してる内容とか、雰囲気とか、もう全て。
狂ってる。
私よりイカれてる。
暴力に愛情なんかない。
傍観者さんだって、好きでやってる訳ではない。
私への同情や哀れみだって気づいてる。
だって、首を締める手が毎回震えているんだ。
心臓や子宮などの急所は外してくれる。
本人は自覚無いだろうけど。
骨折だってないし、鼻血とか切傷、出血は一度もない。
大人だから力だって加減を考えてくれるし、私が気絶してからは手当てするくらい。
強姦なんてもっての他。
性行為なんて全くしてない。
衣服を脱がすのは、間違って呼吸を止めないために。
行為が終わった後は布団に寝かしてくれる。
寝てる私の髪をそっと撫でてくれたり、私を起こさないよう涙を指先で拭ってくれるんだ。
傍観者さんはさりげなく優しくしてくれる人。
甘えさせてくれたりもするし、次が土日だとたまに泊めてくれる。
そんな傍観者さんと後輩を比べるなんて愚考。
加減も知らない。
ただの自己満足で暴力を振るいたいだけ。
歪んだ愛の押し付け。
好きな人がいると知ってての言動。
頭が可笑しいとしか思えない。
この子、怖い。
何を考えてるのか全くわかんないから、余計恐い。
逃げないといけないのに、足が思うように動かない。
キキィッ。
私の後ろに青い車が停まった。
中からスーツを着こなした三十路前後の男性が現れる。
ガードレールを跨いで、私の隣に立ち止まった。
後輩とはまた違う感じの明るい印象を受ける男性。
この人、誰?
「君が“不明”ちゃんかな?俺は傍観者の友達の“楽”だ。
傍観者に頼まれて君を迎えにきたんだけど、お邪魔だったかな?」
自らを[楽]と名乗る男性は私にではなく、少し離れた距離にいる後輩に問いかけた。
物腰柔らかい話し方に此方にホッと安心感を持たせる。
現に私は先ほどの緊張感から解放されていた。
けれど、横目で盗み見た後輩の、まるで威嚇をするような睨みにゾッと背筋を凍らせた。
真っ直ぐ楽さんを牽制する。
彼の一変した表情に怯えを隠すことなく一歩後退ると、私に気づいた彼がパッと笑顔に戻す。
無理矢理といったモノに違和感。
嫌悪さえ覚えるそれからスッと目線を外す。
「じゃあ、俺達は先を急ぐから。じゃあね。」
「じゃあまた明日、先輩。」
「……。」
返事に迷っていると楽さんに優しく手を引かれた。
大きな手は温かい。
ガードレールを越える時、足をそんなに上げられない私を労るように楽さんは抱き上げ、そっと車の助手席に置いてくれた。
驚いたけど、有り難かった。
運転席に乗り込んだ楽さんに礼を言う。
「ありがとうございます。」
「どういたしまして。」
窓から外を確認すると後輩はもうおらず、人の波が行き交うだけ。
それに安堵の息を漏らす。
「じゃ、行こうか。」
BGMを流しながら、車はその場を後にした。
もう、後輩のことを考えるのはやめよう。
―――
着いたのは、見上げると首が痛くなるほど大きなビルの前。
品の良さそうな大人が出入りしている。
…場違いだよね。
それより、傍観者さんがこんな大手企業っぽい会社で働いていたとは。
あの部屋はそこそこ汚いし、独身男性一人が暮らすには普通の広さだから想像してなかった。
普通の中小企業のサラリーマンくらいにしか思ってなかった。
…お金幾ら持ってきたっけ?
ちゃんと足りるかな?
楽さんは車を置いてくるらしいので、今は一人。
ゴソゴソと鞄から財布を探して、確認。
うーん、厳しいかも。
ファミレスとかなら充分な額だけど。
高級な場所にならないことを祈りますか。
もう空は真っ暗だ。
コートや手袋はしているけど、朝急いでたからマフラーを忘れた。
首が冷える。
でも、眩しいほど明るい街の光が綺麗で、ぼーっとその場に突っ立って見上げる。
夜空を仰ぐようにしていると、会社の入口から見知った顔が二つ。
スーツを着ている姿は初めてだな。
クラスの男子のように着崩さずにカッチリしているのがあの人らしい。
仕事だからかな?
眼鏡をかけて、髪を整えている姿はちょっとだけ可笑しい。
口に手を当て小さく笑う。
やっぱり傍観者さんはスーツより部屋着の方が似合ってるや。
「すまん、待たせた。」
「いえ、それほど待っていません。今夜は楽さんも一緒ですか?」
「楽さん…ああ、お前あの時のまだ根に持ってんのか。」
「気にしてはないけど、俺もハンドルネームつけたかったから手頃なのをつけただけ。楽っての俺にピッタリじゃない?」
「好きにしろ。」
呆れたというか、少し困ったような顔を楽しそうな楽さんに向ける傍観者さん。
ハァと一つため息を零した。
二人の間に何かあったのかな?
携帯電話で時間を確認すると19時を回っていた。
最後にスッパリと会話を終わらせた傍観者さんが私を見下ろす。
人差し指で楽さんを差したまま淡々と経緯を説明してくれた。
「コイツに酒に誘われ、今晩の君とのことを話して断ったら、何故か同行することになった。
君が三人が嫌なら遠慮なく言うといい。」
「えぇー、そりゃないよ。俺に一人で酒を飲めっていうの?」
「そうだ。」
肩に回った楽さんの手をパシン払い落とす力は容赦ない。
しかも楽さんの方一切振り返らずに。
傍観者さんズバズバ言うなぁ。
それだけ仲良し、なのかな?
うんうん、そう考えると微笑ましい限りだな。
傍観者さんはウンザリしてるけど。
「私は三人でも、構いません。何を食べに行くんですか?」
「君が決めるといい。私は特に好き嫌いはないから、君の好きな物を言え。それに従う。」
「言い方キツイぞー。女の子には優しく、丁寧に。これ当然。」
「元からこんなだ。愛憎良いのはお前で事足りてるだろ。」
二人って、性格真反対だ。
何だかコントみたい。
楽さんがボケで傍観者さんがツッコミ。
観客の私は笑いたいけど、唇が痛むから我慢。
マスクの下でこっそり笑む。
傍観者さんとは傍観者さんの部屋でしか会わないから、今日は新しい一面を知れたかも。
嬉しいな。
たまにはこういうのも良いかもしれない。
結局行き先は楽さん行きつけの店に決まり、それほど遠くないので歩いて行く。
二人の歩幅が広いからついていくのに一苦労。
痛む足に鞭を打ち、小走りで追いかける。
キュッ
色々とキツくなり、思わず傍観者さんの指先を握ってしまった。
すると、今まで楽さんと話していた傍観者さんのペースがゆっくりになり、鞄を持つ手を替える。
腕を貸すように突きつけられ、顔を見上げると楽さんと喋っていて私を見ていない。
でも、隣を歩く歩幅が私に優しくて、それが嬉しくて。
傍観者さんの腕に抱き着き、軽く体を預けながら歩く。
この人に会えて本当に良かった。
何も言わない優しさがじんわり広がり、涙を誘う。
まだ子供のうちは、この人に甘えさせてもらおうかな。
副部長を諦めても、この人との関わりを失いたくない。
そう思えるようになった。
傍観者さんに触ると心が安定する。
優しくされると泣きそうになる。
不思議な人。
明日、ちゃんと後輩に伝えよう。
怖がらずに、怯えないで。
「傍観者さん。」
「何だ?」
「明日、頭が可笑しい後輩を叱れたら、誉めてくれますか?」
「いいぞ。まあ、何だ、…頑張れよ。」
「はい。ありがとうございます。」
傍観者さんの応援の言葉。
それはとても小さく、騒音で簡単に掻き消さてしまった。
でも、これでもう怖いものはない。
なんだってやれそうな気分だ。
だって、私には強い味方がいてくれる。
友達よりも心強い人が。