後編
――翌々日の昼過ぎ、王城のガーデンテーブルに座り、花を愛でていたイルゼの目の前にやってきたのは、もっさりした髪の毛とメガネの男子学生だった。
頬にはそばかすが散っていて、十五歳にしては小柄であどけない。オドオドとした態度と震える小声でかろうじて「ごきげんごにょごにょ」と挨拶された。おそらく「ごきげん麗しゅう存じます女王陛下」と言われたに違いない、と脳内で補完しておく。
「座るが良い」
扇の先端で向かいの席を指し示すと、ヨーゼフはぺこりとお辞儀をしてから腰掛ける。それからおどおどと視線を彷徨わせ、イルゼの背後にいるリッターが視界に入るなり、びくっと肩を振るわせ下を向く。
それでも彼は勇気を振り絞った様子だ。深呼吸の後で大きく唾を飲み込むと、口を開いた。
「ほほほ本日はお招きいただき、ありあり、ありがちょ。あだっ」
「楽にせよ。甘いものは好きか?」
勇気は認めるが、緊張以前の問題だ、とイルゼは息を吐く。
テーブルを見たまま相手の顔を見ず、覚えただけの挨拶言葉を話されても、気持ちは乗っていない。
(なるほど、コミュ障)
イルゼとて、対人コミュニケーションは好きではない。許されるならば、部屋の片隅でひたすら本を読んでいたい。
だが人間は、一人では生きていけない。誰かの世話になりつつ、意思疎通をして、迷惑を最小限に抑えなければ、とイルゼは思っている。
「ヨーゼフよ」
「は、はい」
「われの目を見よ」
「っ!」
恐る恐る顎を上げたヨーゼフのメガネと前髪の向こうに、とても綺麗な緑の瞳が見えた。
「ふむ。そなた……モサいな」
「え?」
「リッター」
「は」
「短剣を貸せ」
「……は」
イルゼは立ち上がると、顔面蒼白にしているヨーゼフに近づき、問答無用で短剣の刃を向ける。
「ひっ」
「女王の名にて命ずる。動くな」
「ひう」
がくがく震えるヨーゼフは、極刑すらも覚悟するかのようだ。唇を真一文字に結び、膝の上で両拳を痛いほど握っている。
(ごめんね。たとえ髪の毛でも、傷害罪だけど)
それでもイルゼは、女王の命令ならば何もかも罷り通るこの世の理を、あえて利用する。
短剣を器用に動かし、ヨーゼフの髪を切った。さすがリッターの手入れの行き届いた短剣は、さほど力を入れずともするする切れる。前髪だけでなく、全体のボリュームダウンのためにレイヤーを入れる。人の髪の毛を切った経験はないはずだが、なぜか手がするすると動いた。
「これでよし。リッター、鏡を」
「は」
侍従も兼ねているリッターは、騎士服の懐から手鏡を取り出す。イルゼは短剣をリッターへ返す代わりに鏡を受け取り、ヨーゼフの背後から抱きしめるようにして鏡に顔を映してやる。
「さあ、目を開けるがよい」
「は、はい」
ヨーゼフは、鏡の中の自分を見てひどく狼狽した。
前がよく見えているからか、それとも自分の頬に触れる距離に、女王の頬があるからか。
「ヨーゼフ。そのように前髪で顔を覆い隠していたら、そなたの綺麗な目が見えぬ」
「は、え、きれ、い?」
「ああそうだ。エメラルドのようだ。われは、それを愛でたいと思った。誰かに何か言われたら、『女王のお気に入りの目』と答えよ」
「陛下の……お気に入りの、目」
正しく復唱されたので、イルゼはヨーゼフの肩をぽんと軽く叩き、体を離す。
リッターに鏡を返しつつ、自席へ戻った。
「その通り。われの手で髪を切られた、と言えば良い」
「あ、あ、ありがたき……」
「いや。われのワガママだ。そなたの優しさが、目に表れている。それを見たいだけだよ」
「っ、はい、陛下」
エーミールとリッターによれば、ヨーゼフへの壮絶ないじめが始まったのは、野良猫の世話がきっかけだ。
アカデミーで最も美しいと評判の公爵令嬢がその猫を気に入り、エサやりなどでヨーゼフと交流をしていたところに、嫉妬から横槍が入ったというものである。
話だけ聞けばよくある校内トラブルだが、イルゼは捨ておけなかった。猫は好きだし、猫好きに悪い奴はいない、である。
「さあ。お茶を飲もう。甘いものは好きか?」
もう一度冒頭と同じ質問をすると、ヨーゼフは満面の笑みで答えた。
「大好きです!」
後日、執務室を訪れたエーミール曰く、ヨーゼフは鍛治ギルドを頻繁に訪れているらしい。
髪の毛を整えるだけで性格が明るくなり、散髪専用の道具を開発している、と熱弁された。
「陛下! 私はドレスを、ヨーゼフは髪の毛を。いつか、そんなサロンを開きたいです!」
「それは良いアイデアだな、エーミール。われを最初の客にしてくれるか?」
「はい! もちろんです!」
*
大臣たちとの会議を終え、城内でイルゼの横を歩くリッターは、相変わらず不機嫌そうだ。
従来、女王の横並びは王配のみ。だが、上下左右前後どこからの奇襲も対処するためと、専属騎士のリッターだけは隣でエスコートすることを許されていた。
高いヒールを履いても、目線が合わないぐらい高身長なリッターを、イルゼは自然と見上げる形になる。
「どうしたリッター。一層不機嫌だな」
「人たらしも、いい加減にしていただきたい」
「ん?」
「またお茶会希望者が殺到しています」
「殺到? エーミールだけじゃ?」
「……見れば分かります」
リッターが仏頂面で開けた執務室の机の上には、遠目から分かるぐらいに書類が積まれている。
「え。なにあれ?」
「拝謁許可証です」
「全部?」
「全部です」
イルゼは、疑いの眼のまま席に着き、自らの手で書類を持ち上げ、ぺらぺらとめくってから「げえ」と唸った。
「カエルが死んだみたいな声はおやめください、ユア・ハイネス」
「その呼び方やめてよ、リッター」
「……いっちゃん、でしたか」
「ぶっは。覚えてたの」
強面に『ちゃんづけ』される破壊力に、イルゼの腹筋がぷるぷる震える。
「すべて覚えております、ユア・ハイネス」
ところがまったく顔色が変わらないので、すんと頭が冷えた。
「えーと……ん……デボラ・ファッシュ……?」
「ファッシュ男爵家のご令嬢ですね。ファッシュ家は、王都随一の大劇場のオーナーです」
目についた名前を呟いただけなのに、すべて把握しているリッターには、もう慣れた。
「名前に聞き覚えがあるわ。デボラ、デボラ、デボ……あ」
確か夜会で、体型に関するあだ名をつけられていたのを耳にしたのを思い出す。そんな本人は一体? と目で探すと、非常にふくよかなボディラインで、なんとか締められているコルセットが弾け飛びそうなドレスだったことも。
「ファッシュの劇場って、オペラとかやってるのよね。歌手や役者を大量に抱えてて」
「はい。月ごとに演目を変えるので、客足も途絶えません」
王国貴族たちの娯楽として、非常に有用な場所だ。無駄に財産を持っていると、楽しみがなければ、悪事に走る。歌手や役者に傾倒して貢ぐ機会は、あった方が良い。
「会うかぁ」
イルゼはペンを持ち上げ、デボラ・ファッシュの拝謁許可証にサインをした。
――その数日後招いた、デボラ・ファッシュとのお茶会は、精神的にも肉体的にも疲れるものとなる。
「はあ、はあ。ごきげんよう、女王陛下。ふすー。ふすー」
城内は広い。さらにガーデンに据え付けられたテーブルまでも、やや歩く距離である。
それを差し引いても、息が荒すぎではないのかデボラ、と心の中でのツッコミが止まらない。
「この、たびは。大変、光栄な。はあ、はあ。お招きに預かり、ふーふー」
「ああ、よい、よい。楽にせよ。それへ」
扇の先で目の前の椅子を指し示すと、デボラはあからさまにホッとした顔をして、「ヒッ、ヒッ、フー」と腰掛けた。
(何か産むのか!?)
思わず腰を浮かせかけたイルゼは、せかせかとハンカチで額の汗を拭うデボラの様子に、内心ハラハラしている。
「ふひー」
「気分でも悪いのか」
「ああいえ、普段、歩かないものですから。えへへ」
水分不足で倒れられたら困る、と察したイルゼは、背後のリッターへ指示を飛ばす。
「リッター、水を」
「は」
差し出されたグラスを一気飲みして、ようやくデボラの息は落ち着いた。
「申し訳ございません、お見苦しくて」
「いや。気分が悪くなったら、すぐに言うが良い」
「……ありがとう存じます」
途端にデボラが目を潤ませたので、イルゼは焦る。やはりどこか具合を悪くしたのだろうかと心配すると、ついには泣き出した。
「どうした。やはり休むか」
「ぐしゅ。いえ、人に、心配していただくのが。ぐしゅ、ぐしゅ。久しぶり、でした」
「そうか」
「いつも。ブタだデブだと。挙句の果てにはデブラなどと。わたくしのこの体が、悪いのです。でも。ひっく。ひっく」
「そうだな。少し太り過ぎで心配になる。まずは歩くことから始めないか」
「陛下が、わたくしを、しんぱい?」
「ああ。あの劇場の演目は、すべてデボラが脚本を書いているのだろう?」
「ひっ」
デボラの目がまんまるくなり、息が止まった様子だ。
イルゼが手を軽く挙げると、リッターが滑らかに水の入ったグラスを差し出す。
デボラはそれをまた一気飲みして、ようやくぶはーっと息を吐いた。
「な、なな、なぜそれを」
「情報源は、女王の秘密だ」
「っ、さ、左様ですか」
「われが察するに。そなたは、その体型を逆に利用することを思いついたのではないか? 賢いことよな」
デボラは、潤んだ瞳でまっすぐにイルゼを見返す。そこには、確かな覚悟が載っている、とイルゼは感じた。
「嘲る人々は油断し、そなたを軽んじる。本性が出る。見聞きしたことを、戯曲にする。真実味と人間味があり、素晴らしい演目になる。だが……」
「だが、なんでしょうか」
「そなたの心が心配だ。創作そのものは素敵なことだが、精神を磨耗してまで、することではないのではないか?」
すると、デボラの両頬から滝のような涙が溢れ始めた。持っているハンカチでは到底足りないだろうと、イルゼは自身のを差し出す。素直に受け取ってくれた。
「ここ一年で、急激にその体型になったと聞く。ストレスで、ドカ食いが止められなくなったのか。家族も、良い脚本を書くならと黙認しているのではと思ったが。どうだ?」
「さすが、陛下。ご明察です」
「ふむ。このままでは、そなたの心の臓が病んでしまうぞ」
「このまま死んでも構わないのです」
「なに?」
先程までぐじゃぐじゃに泣いていたはずが、きりっとした表情になって、デボラは顎を上げる。
「戯曲は、わたくしが死んでも残ります」
「そのようなことを……われは、そなたの新作を楽しみにしているのだぞ。死んだら、誰が書くのだ」
「代わりは、いくらでも」
「そうだな。いる」
デボラの目を、イルゼはまっすぐに見返す。
「だが、そなたはおらぬ。唯一無二を失わせるな。良いな」
「ゆいいつ……」
「そうだ。われが楽しみにしているのだぞ。早速だ、少し歩こう」
イルゼは立ち上がり、散歩に誘う。
春のガーデンには、様々な花が色とりどりの花弁をつけ、懸命に咲いている。
「見よ、この色鮮やかな庭を。人の情欲も良いがな。自然の息吹も良いものだ」
「綺麗、です」
「そうだろう。陽の光に照らされたそなたも、生命力に満ち溢れていて、綺麗だ」
「こんな体型なのですが?」
「生き物としての強さも、輝かしいものだろう。すべて、物の見方次第だと思わないか?」
散歩の後、今までと違った新作が書けそうです! と息巻いて辞していくデボラの足取りは、軽い。
陰鬱な表情が明るくなって良かった、と後ろを振り返ると、陰鬱な表情になった護衛騎士と目が合う。
「どうしたリッター」
「どうなっても知りませんよ、ユア・ハイネス」
強面騎士の懸念が何か、その時のイルゼは分からなかったが――
「なんだこの書類の山は」
「見てお分かりになるでしょう。拝謁許可証です」
「全部か?」
「全部です」
女王とのお茶会で、抱えていた悩みが解決する人間が続出しているらしい。
そんな噂が貴族の間を駆け巡っているが――イルゼはまだ知らない。
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下記短編も、よろしくお願いいたします。
『転生した原作者、最推し悪役たちをハピエンに上書きする。』
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