第2章 第1節 華やかなる後宮の片隅で、鍬を振るう妃と呆れる毛玉。美食のための家庭菜園計画
第2章 後宮の庭師
第1節 華やかなる後宮の片隅で、鍬を振るう妃と呆れる毛玉。美食のための家庭菜園計画
後宮とは、三千の美女が皇帝の寵愛を競う華やかなる花園である。
絹の擦れる音、高価な香の匂い、そして琴の調べ。それらが絶え間なく流れる夢幻の空間。
だが、その北の果てにある翠微宮の庭では、まったく異質な音が響いていた。
ザッ、ザッ、ザッ。
リズミカルに土を掘り返す音だ。
「よいしょ、っと。これで畝は完成ね」
額の汗を拭いながら、李花は満足げに頷いた。
身にまとうのは、動きやすいように裾をからげた古着。手には無骨な鍬。その姿は、高貴な側室というよりは、どこかの農村の娘のようだった。
『……お主、本当に何をしておるんじゃ?』
宙に浮く白い毛玉――おつまみが、呆れを含んだ声で問いかける。
彼は李花の頭上でふわふわと漂いながら、眼下の惨状(美しく整えられていた庭園が、見る影もなく耕されている様)を見下ろしていた。
「見てわからない? 畑を作っているのよ」
『それは見ればわかる。儂が聞きたいのは、なぜ皇帝の妃が、自ら泥まみれになっておるかということじゃ』
「決まっているじゃない。美味しい野菜を食べるためよ」
李花は胸を張って答えた。
後宮の食事は豪華だが、どうしても見た目重視で、素材の鮮度が落ちていることがある。特に青菜類は、李花が求めるシャキシャキ感に欠けることが多かった。
ならば、自分で育てるしかない。
前世では「爪が汚れる」と嫌っていた土いじりだが、今世では「食」への執念が勝った。
「ここに瓜を植えて、あっちには香草を。それから葱も欠かせないわね。薬味は大事だもの」
『……お主の欲望の方向性は、どこかおかしい』
「そうかしら? 権力を欲しがるより、よほど健全だと思うけど」
李花は種籾の入った袋を取り出し、愛おしそうに撫でた。
彼女にとって、皇帝の笑顔よりも、立派に育った大根の白さの方が価値があるのだ。
そんな主人の奇行に、専属侍女の春蘭は頭を抱えていた。
「李花様……もし他の方に見られたら、なんと言われるか……」
「あら、見られたところで減るものでもなし。それに、自分で育てた野菜で作る漬物は絶品よ? 春蘭にも食べさせてあげるから」
「うう、李花様の作る料理が美味しいのは知っていますが……」
そう、李花は厨房にも入り浸っていた。
前世の知識と、今世の食への探求心を組み合わせ、宮廷料理人が思いつかないような「庶民的だが絶品」な料理を作り出していたのだ。
昨晩の「豚バラ肉の甘辛煮込み」は、春蘭が涙を流して完食するほどの出来栄えだった。
「さあ、おつまみも手伝って。そこの石をどかして頂戴」
『儂を使い魔か何かと勘違いしておらんか? 儂は高尚な……』
「あら、今日の夕餉は特製の水餃子にする予定なんだけど」
『……どかせばよいのじゃな?』
食欲という抗いがたい本能の前には、高尚な思念体も形無しだった。
こうして、後宮の片隅で、妃と毛玉による秘密の農耕ライフが始まったのである。
しかし、平和な時は長くは続かない。
目立たぬように生きていても、出る杭は打たれるのが後宮の理なのだから。




