ー第4節 入宮後の初夜(仮)。食事を楽しむ李花と、それを覗き見るおつまみ、そして予期せぬ訪問者
第4節 入宮後の初夜(仮)。食事を楽しむ李花と、それを覗き見るおつまみ、そして予期せぬ訪問者
入宮の手続きが終わり、李花にあてがわれたのは後宮の北外れにある「翠微宮」の一室だった。
日当たりは悪くないが、皇帝の住まう正殿からは最も遠い場所だ。
前世では、この配置に激怒し、部屋中の調度品を投げつけたものだった。「私を冷遇する気か!」と。
だが今世の李花にとっては、これぞ求めていた桃源郷だった。
「静かだわ……」
窓を開けると、手入れこそ最低限だが、自然のままに伸びた草花が風に揺れている。
他の妃たちの宮からは遠く離れており、あの煩わしいお茶会や、腹の探り合いに巻き込まれる心配も少ない。
李花は荷物を解くと、真っ先に寝台の硬さを確かめた。
ふかふかだ。
「合格」
侍女たちは、主人のあまりのやる気のなさに戸惑っていたが、李花は気にせず夕餉を所望した。
運ばれてきたのは、下級の妃向けの質素な食事だ。
白粥に、青菜の炒め物、鶏肉の蒸し物、そして瓜の漬物。
かつての李花なら、「こんな犬の餌のようなものが食えるか!」と膳をひっくり返していただろう。
「美味しそう」
李花は目を輝かせた。
温かい粥の湯気。ごま油の香り。
一口食べると、体に染み渡るような優しい味がした。
毒の入っていない、ただの食事。それがどれほど尊いか。
「……んーっ」
思わず声が漏れる。
箸が進む。青菜のシャキシャキとした歯ごたえ、鶏肉の淡白だが深い旨味。
李花は一心不乱に食べた。生きる喜びを噛み締めるように。
袖から這い出してきたおつまみが、卓の上で跳ねた。
『よい食いっぷりじゃ。お主のその「満足」の感情、ほんのり甘くて悪くない』
「おつまみも食べる?」
『だから食わんと言うておろう。儂の好物は、今まさにこの後宮に満ち満ちている「嫉妬」じゃ』
おつまみは空気を嗅ぐように体を震わせた。
『うむ、今夜は特に濃厚じゃな。新入りの妃たちを値踏みし、自分より美しい者を呪い、皇帝の渡りを待ちわびる女たちの怨念……ああ、美味い』
「……悪趣味ね」
『お主を守るためじゃよ。儂が周囲の嫉妬を食らえば、お主への害意も薄れるというもの。感謝せい』
そう言って、おつまみはどこからか飛んでくる黒い靄のようなものをパクパクと食べ始めた。
どうやら、李花が「皇帝の目に留まったらしい」という噂が、早くも広まっているようだ。
やれやれ、と李花は肩をすくめ、最後の一粒まで粥を平らげた。
「ごちそうさまでした。さて、寝ましょうか」
まだ宵の口だが、やることもない。
李花が寝間着に着替えようとした、その時だった。
「陛下のお渡りです!」
廊下から、宦官の甲高い声が響いた。
翠微宮の空気が凍りついた。侍女たちが悲鳴を上げんばかりに慌てふためく。
李花は、帯を解きかけた格好で固まった。
「……は?」
お渡り? 誰に?
まさか、私に?
ここは北の果てだぞ。皇帝が来るような場所ではない。
前世の記憶では、最初の夜、皇帝は宰相の娘の元へ通ったはずだ。
なぜ。
扉が開かれる。
夜風と共に現れたのは、日中と同じ冷徹な仮面を貼り付けた皇帝・蒼龍だった。
彼は部屋の中を見回し、呆然と立ち尽くす李花と、その卓上に置かれた完食済みの食器を見て、口の端をわずかに歪めた。
「……食欲旺盛なことだ」
李花は思った。
(私の安眠を返して)
そしておつまみは、李花の影に隠れてケタケタと笑っていた。




