ー第4節 皇帝の変貌と二人の距離。愛とは呼べぬが、愛よりも確かな信頼で結ばれた食卓の風景
第4節 皇帝の変貌と二人の距離。愛とは呼べぬが、愛よりも確かな信頼で結ばれた食卓の風景
夕暮れ時。
公務を終えた蒼龍が、いつものように翠微宮へやってきた。
その足取りは軽い。
かつての近寄りがたい暴君の面影はなく、今ではすっかり「仕事終わりの夫」のような風情である。
「ただいま。……いい匂いだ」
「おかえりなさい、陛下。今日は豚の角煮ですよ」
李花が鍋の蓋を開けると、湯気と共に濃厚な醤油の香りが立ち上った。
蒼龍は上着を脱ぎ捨て、李花の向かいに座る。
給仕はいない。二人きりの時間だ。
「……政務の間で、また古狸たちが小言を言っていた」
「左大臣様ですか? あの長い眉毛の方」
「そうだ。『後宮が楽しすぎて、陛下が腑抜けになったのでは』などと。……誰のおかげで国が安定していると思っているのだ」
蒼龍がぼやく。
実際、蒼龍の精神が安定したことで、政治的判断も冴え渡り、国はかつてない繁栄を迎えていた。
皇帝の不機嫌という最大のリスクが消えたことで、官僚たちも働きやすくなったのだ。
「眉毛が長いのは長寿の証拠ですけど、小言が長いのはカルシウム不足ですね。今度、小魚の佃煮を送りつけておきましょう」
「ふっ……頼む」
蒼龍が笑い、角煮を口にする。
とろけるような脂身の甘さ。
李花は彼に酒を注ぐ。
二人の間に、「愛してる」などという甘い言葉はない。
身体を重ねるような情熱もない。
だが、同じ釜の飯を食い、同じことで笑い、互いの疲れを労り合う。
それは、「熱愛」よりもずっと強固で、静かな「信頼」だった。
前世の李花が見たら、地団駄を踏んで悔しがるだろうか。
「なんで手も握らないの!」と。
いや、きっと驚くだろう。
「皇帝陛下が、こんなに無防備に笑うなんて」と。
「李花」
「はい」
「……ずっと、こうして側にいろ」
蒼龍がポツリと言った。
李花は杯を置き、にっこりと微笑んだ。
「美味しいご飯がある限り、どこにも行きませんよ」
「現金なやつめ」
二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。
窓の外では、満月が優しく世界を照らしていた。




