第5章 第1節 月下の求婚と青ざめる李花。皇帝からの最高位の打診は、彼女にとって残業と過労の宣告でしかない
第5章 花散りて食卓は咲く
第1節 月下の求婚と青ざめる李花。皇帝からの最高位の打診は、彼女にとって残業と過労の宣告でしかない
季節は巡り、翠微宮の庭には再び桃の花が咲き誇っていた。
春の夜風が甘い香りを運ぶ中、李花はいつものように東屋で夜食の準備をしていた。今宵の献立は、春野菜と白身魚の蒸し物だ。
「……李花」
向かいに座る皇帝・蒼龍が、箸を置いた。
その顔はかつてないほど真剣で、どこか緊張しているようにも見えた。
李花は首をかしげた。
「お魚、骨がありましたか?」
「違う。……重要な話がある」
蒼龍は居住まいを正した。
周囲の空気までもがピリリと張り詰める。
李花は(また面倒な政治の話かしら。それとも予算の削減?)と身構えた。
「皇后になってくれ」
直球だった。
蒼龍の瞳は真っ直ぐに李花を射抜いていた。
それは、後宮の女ならば誰もが夢見、血で血を洗う争いをしてまで欲しがる最高位の座への招待状だ。
李花の手から、箸がぽとりと落ちた。
頬が薔薇色に染まる……ことはなかった。
逆に、さあっと血の気が引き、土気色になっていく。
「……はい?」
「皇后だ。お前ならば、私の隣に立つに相応しい。あの王宰相の一件以来、重臣たちも民も、お前を『生きる聖女』として崇めている。反対する者はいない」
蒼龍は自信満々に告げた。
だが、李花の反応は予想外のものだった。
彼女は深々と頭を下げ、震える声で言ったのだ。
「……謹んで、お断り申し上げます」
「なっ……なぜだ!?」
蒼龍が卓を叩いて立ち上がる。
李花は顔を上げ、涙目(恐怖による)で訴えた。
「陛下、皇后という地位がどれほど過酷かご存知ですか? 毎朝誰よりも早く起きて祭祀を行い、膨大な書類に目を通し、三千人の妃たちを統率し、笑顔で外交を行い……それはもう、ブラック……いえ、地獄のような激務ではありませんか!」
李花にとって、「皇后」とは「栄光」ではなく「終わらない残業」と同義語だった。
美味しいご飯をゆっくり食べる時間も、昼寝をする時間も奪われる。
そんな人生は、死んでいるのと同じだ。
「私はただ、ここで畑を耕し、美味しいものを作って食べていたいだけなのです! 出世などしたくありません! 責任なんて負いたくありません!」
あまりの剣幕に、蒼龍はたじろいだ。
袖の中のおつまみは、李花の必死の形相を見て、腹を抱えて笑い転げていた。
『傑作じゃ! 天下の皇帝からの求婚を「仕事が増えるから嫌だ」と断る女など、前代未聞じゃぞ!』




