ー第5節 崇められる解脱者。望まぬ信仰と、それでも変わらぬ漬物への情熱と平穏な夜
第5節 崇められる解脱者。望まぬ信仰と、それでも変わらぬ漬物への情熱と平穏な夜
翌日から、翠微宮を取り巻く環境は激変した。
李花は無実の罪を晴らしただけではない。
「何もせずして巨悪を滅ぼした、生ける聖女」として、後宮中の崇拝の対象となってしまったのだ。
庭に出れば、どこからともなく拝む妃たちが現れる。
「李花様、どうか私の悩みをお聞きください」
「李花様の爪の垢を煎じて飲ませてください」
贈り物として、宝石や絹織物が山のように届く。
「……迷惑だわ」
李花は山積みの貢ぎ物を前に、げんなりと呟いた。
欲しいのは宝石ではない。新鮮な大根と、静かな時間だ。
『クックック……「現世の解脱者」様じゃな。お主の放つ「どうでもいい」オーラが、逆に神秘性を高めておる』
おつまみは、宰相の邪気をたっぷり吸って、一回り大きくなっていた。毛艶もピカピカだ。
「笑い事じゃないわ。畑仕事がしにくいじゃない」
「李花様! 大変です! 今度は他国の使節団が、李花様の教えを乞いたいと……!」
春蘭が血相を変えて飛び込んでくる。
李花は深いため息をついた。
私はただ、美味しいものを食べて寝たいだけなのに。なぜこうも、周りが騒がしいのか。
夜。
いつものように皇帝・蒼龍がやってきた。
彼の手には、李花がリクエストした「最高級の茶葉」と、南国の果物「マンゴー」があった。
「……拝まなくていいんですか、陛下?」
「私は神など信じぬ。だが、マンゴーを信じるお前は信じる」
蒼龍はそう言って、いつもの長椅子に寝転がった。
彼だけは、李花を「聖女」ではなく、「食い意地の張った変わった女」として扱ってくれる。
そのことが、今の李花には唯一の救いだった。
「さあ、マンゴーを切りましょう。おつまみ、あなたも食べる?」
『儂は人間の食い物は食わんと言っておろうが』
月明かりの下、李花は黄色い果実を切り分ける。
甘い香りが部屋に満ちる。
外では、李花を讃える詩が詠まれているかもしれない。
だが、この部屋にあるのは、果実の甘さと、皇帝の寝息と、毛玉のあくびだけ。
「虚空の賢者」と呼ばれようと、李花の本質は変わらない。
彼女は一口マンゴーを頬張り、とろけるような甘さに目を細めた。
「……うん、幸せ」
悟りとは、案外こういう瞬間に宿るものなのかもしれない。
李花はそう結論づけて、二切れ目を口に運んだ。




