第3章 第1節 深夜の訪問者。月明かりの下、独り酒を楽しむ李花と、夜伽に現れた不機嫌な皇帝との遭遇
第3章 月下の酒と皇帝の安眠
第1節 深夜の訪問者。月明かりの下、独り酒を楽しむ李花と、夜伽に現れた不機嫌な皇帝との遭遇
その夜、月は高く昇り、蒼白く澄んだ光を地上に投げかけていた。
翠微宮の庭にある小さな東屋。そこには、一人の妃と、一匹の白い毛玉の姿があった。
「うん、今年の桂花陳酒は出来が良いわ」
李花は手酌で杯を満たし、くいっと飲み干した。
口の中に広がる甘い花の香りと、酒精の熱。喉を通り過ぎる時の爽快感。
卓の上には、厨房からくすねてきたピーナッツの辛子和えと、干し肉が盛られている。
『お主、また飲んでおるのか。昼間は畑、夜は宴会。どこの隠居老人じゃ』
卓の上を転がるおつまみが、呆れたように言った。
李花は頬杖をつき、ふふっと笑う。
「いいじゃない。今日は風も気持ちいいし、誰も来ないし。これぞ至福の時よ」
『まあ、お主の心が満たされていれば、儂としても文句はないが』
李花は幸せそうに夜空を見上げた。
前世では、こんな風に月を愛でる余裕などなかった。いつ皇帝が来るかと毎晩のように化粧を直し、来ないとなれば枕を濡らし、他の妃を呪ったものだ。
だが今は、ただ酒が美味い。
その事実だけで、世界は輝いて見える。
その時だった。
東屋の入り口に、長い影が落ちた。
「……何をしている」
氷のように冷たい声。
李花がのんびりと振り返ると、そこには眉間に深い皺を刻んだ皇帝・蒼龍が立っていた。
背後には護衛の兵も、宦官もいない。お忍びだろうか、それとも振り切ってきたのか。
その顔には「疲労」と「苛立ち」が張り付いている。
普通なら、ここで悲鳴を上げて平伏するか、あるいはあられもない姿を恥じて隠れるところだ。
しかし、すでにほろ酔いの李花は、思考の回転が少しばかり緩やかになっていた。
「あら、陛下。こんばんは」
「……こんばんは、だと?」
蒼龍は絶句した。
夜伽に来た皇帝に対し、友人に挨拶するような気安さ。
李花は杯を置くと、手招きをした。
「陛下も、一杯いかがですか? 月が綺麗ですよ」
その瞳には、恐怖も媚びもない。
ただ、「美味しいお酒があるから、一緒にどう?」という、純粋な善意だけが浮かんでいた。
蒼龍は毒気を抜かれたように、ふっと肩の力を抜いた。
「……お前という女は、本当に」
「立ち話もなんですし、どうぞ。ここ、風が通って涼しいんです」
李花は自分の向かい側の席をポンポンと叩いた。
天下の皇帝を、まるで通りすがりの旅人のように扱う。
蒼龍はため息をつきながらも、その椅子に腰を下ろした。
彼自身、なぜそうしたのか分からなかった。ただ、この場所の空気が、宮廷のどこよりも軽く感じられたからかもしれない。




