戦地から帰らぬ夫のことを、愛人と語った
シャンデリアの後光が粒となって降り注ぐパーティー会場の中を、私は彷徨うように歩いていた。
寒がりの私にコートを羽織ってくれる、親切な令嬢など、何処にもいない。せいぜい、顔見知りか茶会で同席したのみだ。
「あ…、リリアナ伯爵夫人だわ」
「夜会には一度も出席しない主義だと思っていたわ」
葡萄酒や香水の香りが宙を舞う。権力にすがりつく取り巻きや、扇子を広げた令嬢たちは優雅に踊り始めた。――私は相変わらず、壁に寄りかかって、ワインを揺らしていた。馴染めるはずもない。婚約を公表した以来、訪れていなかったのだから。てっきり、もう縁のない場所だと思っていた。
アナリア小国。
帝国が軍を仕掛けてきた、大戦争からはや二年。様々な国と同盟を組んでは、決裂し、崩落寸前の国の一つだ。王都には、様々な庶民が駆け寄り、教会は戦死した人々を弔う場所へと変わって行ったという。そんな場所に――夫は、放り込まれた。
今隣には、夫も誰もいない。
すると、私の様子を見かねたのか、複数の令嬢が話しかけてきた。
「リリアナ様、お初にお目にかかります。マリア商会の娘、ガーリエと申します。」
「こんにちは、わざわざご挨拶ありがとうございます」
そう一礼すると、宥めるようにこう続けた。
「ツリューシェ様、まだお戻りになっていないそうですね。リリアナ様がかわいそうだわ…」
「そうですわ、人命救助を優先するなんて…」
人命救助――夫のツリューシェは小部隊の衛生兵として戦地の最前線に立たされ続けている。赤い旗を靡かせた、前線後方施設で死致命傷の手当てをしている。数人の衛生兵と、永遠と運ばれてくる負傷兵。
彼は、伯爵子息にしては勉強熱心な人だった。男所帯の騎士団寮で学んだ「戦う為の剣術」より、治療法や医療方法を模索する、変わり者だったという。宮廷医 としての天性が芽生えたときには、戦争が始まり、衛生兵となった。絶望に震え、項垂れた横顔を今でも思い出せる。
「はぁ…本当に可哀想」
「いっその事、今すぐ届を出せばいいのに」
令嬢は口々に、自分勝手なことを言う。
「離婚届…ですか…」
政略結婚が数年続くと、すぐさま届の話になる。令嬢の瞳には、旦那を思う気持ちなど微塵もなかった。
「お気遣いありがとうございます、しかし、私はツリューシェを待つつもりですから」
「そう…、わかったわ。ごきげんよう」
彼女らは、つまらなそうにその場を去る。出征したきりの夫に婚約届を突き付ける、逆転劇でも観たかったのだろう。
「こんにちは、貴方が…リリアナ伯爵夫人ですか?」
「はい…なんでしょうか?」
「私、ナナリー・テンペレスと言います」
すると、今度は一人の女性がやって来た。
覚束ない公用語を喋る彼女は、自ら、ナナリーと名乗った。アナリア小国の治癒師として、戦前に立たされていた「戦場の聖女」という団体の一人だと言う。彼女の功績は、聖女府からの報告書で目にしたことがある。自身の悪筆を恥じていた夫が、署名を代筆してくれ、と回してきた書類だ。
彼女の髪は、帝国特有の金色が光っている。
各国から夜会に招かれた一人だろう。
「リリアナ様、申し訳ないのですが場所を移動しても…宜しいでしょうか?」
「え?ええ…わかりました」
ナナリーは誰にも聞こえないように、耳打ちすると、白薔薇の咲き乱れる中庭を案内した。周りの令嬢は「あら」「何をするおつもりかしら」とお互いに視線を合わせながら、二人の様子を伺っていた。
*
頭上には薔薇が無数に散らばっている。
先に席に着いたナナリーは、さっきと違って、穏やかな笑みを浮かべると、私に席に着くように促した。ここは社交界の中心地なんですね…、そう呟くナナリーを見れば、私よりもずっと若く、綺麗に見えた。
「中庭にお招き、ありがとうございます」
間をおいて問い掛けると、彼女は困った様子で、言葉に詰まった。扇子の隙間から覗かせる顔は、少しばかり歪んでいる。
「私ね…この場所に初めてきたの」
「ええ。」
「実は…貴方の夫、ツリューシェ様から教えていただいたの。王宮の仕組みや間取りについて」
――あの人が。
医学にしか興味のない夫が、戦場の聖女に自国の王宮のことを教えたそうだ。かつて同盟国だった小国とはいえ、機密情報を教えるなどらしくない。
「『君もいつか、私の王宮に来るかもしれない。いや、この戦争を生き延びれば、必ず連れて行くよ』と健気に語ってくださったわ」
「健気に…?」
「ええ、胡散臭いでしょ」
私は何を言えばいいか分からず、手元の婚約指輪を強く握りしめた。随分と手汗をかいている。
私とツリューシェが出会ったのは、騎士団寮の一角だった。婚約者をこの目で見ようと、偵察を装って出掛けた日。共に出掛けていた継母や侍女と逸れ、南棟を彷徨っていたとき、彼に出会った。
『リリアナか?』
最初は誰か見当もつかなかった彼だが、やがて、婚約者だとわかると、サッと敬礼してみせた。地位や権力に縛られることなく生きてきた、優しい瞳の彼に、私はみるみると惹かれていったのだ。
ナナリーは私の様子を気に留める訳でもなく、淡々と語り始めた。
「彼は、私のことを愛人と呼んでくださったの」
「そうですか…愛人…」
芳醇な果実茶の香りが辺り一面に漂う。私は一口飲むと、甘すぎるせいか目眩を感じた。
*
ナナリーは明くる日も、小国の定期報告と土地の治癒を目的として、教会から街へ出向いていたという。そんな生活が二カ月ほど続いた折、帝国軍の快進撃が凄まじく、管理していた領地内の侵入を知らされた。
そんな時、敵軍の剣戟から身を守ってくれたのが、ツリューシェ様だったこと。衛生兵として、短剣くらいは支給されていたからかも知れない。
「ツリューシェ様は…婚約指輪をしてたから、妻帯者と言う事は直ぐに分かったわ」
「ええ…」
「私…かつて、帝国の小領主の娘だったの。だからかしら、ツリューシェ様は跪いてきたの」
彼女の話し方は何処か拙い。
話の順序が彼方此方に散らばってもなお、私の鼓動は不規則に脈を打ち続けていた。
「『それじゃあ、皇立総合病院 は知ってるか』と。聖女として、医療学は躾けられてたから…勿論存じ上げていた」
彼女の口数が少なくなっていく。
皇立総合病院――あの人の憧れの場所。その話をするときは、いつも子供じみた口調に戻っていた。それ相応の資金も、技術も、地位も持ち合わせているのに、何故か夫は病院に出向こうともしなかった。
――「何故か」と問うてみても、返ってきたのは微笑みだけだ。
「ツリューシェ様は私のことなど視界にないのよ。利用しているのは『国属聖女』という地位だけ…」
ナナリーのドレスには、確かに紋章の刺繍が縫われている。彼女は、その刺繍を手で覆い隠した。
「話さなければならない…そう思って、今日は貴方をお呼びしましたの。知っておくべきだわ…」
「知っておくべきこと…」
少し、背筋が冷えた。
「そう身構えなくていいわ、ツリューシェ様を好きだった気持ちはよくわかりますもの…。」
「ええ…そうね、その通りだわ」
そう言うと、ナナリーはほっとした顔をした。
*
これは夕食時の事だ。侍女が離宮から運んできた、豪華な夕食を前に、記憶の中の彼は話し始める。
『昨晩、通達が来たんだ…』
『そうなの?誰からなのかしら』
『騎士団寮時代の戦友からだ。私は剣術も学ばず、医療を突き詰めていた変わり種でな、彼とだけは、不思議と治療法について話せたものだ』
『それで、どんな内容だったの?』
『宮廷診療所の准教授に出世したらしい…。彼も変わったことだ。人を助けたい、人を助けたいなどと喚いていた癖に、金をばらまき、色気を使い…結局は権力に縋り付いている…。』
『貴方はそんな風にはなりたくないの?』
『ああ…。宮廷など、戦争を引き起こそうとしている魂胆じゃないか。人を助けるなら、堂々と助けたい。それに比べて、衛生兵はどうだ。戦争のためにこき使われてるだけじゃないか…。』
『でも…』
『でも?』
『これから先…意地汚い手を使う事になるはずだ…』
いつも理屈くさく、戦争を何より毛嫌いした夫は二ヶ月後、戦地に送られることになる。出征の朝、彼の後ろ姿は、別人と思うほどに丸く縮んでいた。
『必ず…帰ってくる』
『ええ、待ってるわ』
*
屋敷。
顔なじみの伝令が、彼の革手袋を差し出す。
言葉を交わすことなく受け取った遺物は、損傷が激しく、酷く縮れて渡された。
――雷鳴轟く山岳地帯で、衛生兵のうち一人が谷底に消えた。上層部にさえも伝えられず、縁人にのみ知らされた。
北方戦線にて名誉の戦死…。
彼の遺体は、見つからなかったという。谷底の奥深くへと潜ってみても、足跡すら見つからなかった。
「リリアナ様…」
背後で弱々しい声が聞こえて、振り返ってみれば、古参の侍女が俯いている。
――戦争を誰よりも嫌う人が、戦争によって殺された。
「うっ…ぅっ…」
私はその場に崩れ去った。
その後は何も覚えていない。
布団から起き上がった時には、二週間が過ぎ、埃の被った配膳台には、幾つもの豪華な食事が並んでいた。
ナナリーという聖女が、本国にまで押しかけてきた意味が今ならわかる。夫の職業病は、屋敷内でも有名だった。出世の為なら、権力のある聖女と夜伽をし、世間に汚れていく彼の友人は数え切れない程いる。
やがて、彼は孤独になった。
子宝に恵まれなければ、愛人を。
権力に恵まれなければ、金を。
『リリアナ…私たちは…子宝には恵まれなかったな』
『すいません…』
『いや、謝ることはない。ただ、寂しくなっただけだ』
あの横顔を、片時も忘れたことはない。
――ここからは、ナナリーから聞いた話だ。
*
戦場、立ち込める湯気と、渦立つ圧気が混じり合う。アナリア小国の軍隊は苦戦を強いられていた。第三小隊の衛生兵と国属聖女の治癒師であるナナリーが、戦地で会う機会など全くない。
久々に会ったのは、皇立総合病院からの通達が届けられた時だった。
帝国でも死傷者は一定数いる。人手が足りないと嘆いていたところに、多大な功績を持つ者が現れた、それだけで喉から出るほど欲しかったのだろう。敵国といえど、医療学には関係のないことだ。快く、受け入れてくれた。
彼らは火を囲い、野営をしたという。
「この国での、最後の夜になりそうだ」
そう言ったツリューシェの手を握り返そうと、彼女が動くと、彼は凄い形相で睨見つけてきた。
「すみません…」
「ああ…以後気をつけろ」
「通達…読んでくださいましたか?」
通達の内容は、皇立総合病院の准教授として彼を招くこと。そして、私領の一部を引き渡すという内容だった。戦地で食べる野営食や命懸けの生活とは程遠い程の扱いだ。生き延び、本国に帰るためにも、彼は頷いた。
「帝国では…ツリューシェ様が前から願っていた、最先端の治療が出来ます。行かないという選択肢などないでしょう?」
「あぁ…」
ツリューシェは、野営用のテントの中で通達を読み続けていた。繰り返し同じ所を読み、呟いた。
「もう戦地に立たなくていいのだな…」
しかし、突然。
彼は、とある文を目の当たりにした折、瞳孔を見開いた。手先がわずかに震える。
――貴方方から見れば敵国である帝国へ出向く事になる。当然、本国へは一生戻っては来れないと思っていたほうがいい。言わば、片道切符だ。
誰かが、寄せ書きでもしたのだろう。
そこだけ筆跡が違っていた。
ツリューシェの友人の中には、帝国へ渡った者もいる。気づけば皆、本国には帰ってきていない。
蝋の独特な香りが中を漂う中、ナナリーは震える彼の横顔に気を取られていた。見たこともない顔。絶望と言うよりかは諦観した顔だった。
「俺は…このまま、現地に残る」
「お待ちください。戦況が悪化している今、最前を行けば必ず殺されます!より良い医療を提供することが、何よりの夢ではありませんか!」
「妻が…待っているんだ…」
「いつか…王宮に案内するって…」
「煩い!黙れ」
それから、二人は決裂した。
ナナリーが気が付く頃には、かつて帝国行きだった馬車に揺られ、最南端へ向かっていたという。
間もなく、夫は人知れず死んだ。
寒かっただろうな…。
助けを待っていたんだろうな…。
――夫は最後に、自ら戦場に立ったらしい。
私はその夜、一睡もできなかった。
*
「奥様…またナナリー様のところへ、いらっしゃるのですか?」
侍女のアンナが、上着を手に持ったまま、遠慮がちに問うた。
「ええ」
「しかし…今のお体では…」
「大丈夫よ」
アンナは何か言いたげだった。
夫が死んだことは、屋敷の者には既に知れ渡っている。それでも奥様がナナリー様のもとへ足を運ぶことが、誰にも測りかねているのだろう。私自身にも、うまく説明はできなかった。
ただ——彼女はまだ、知らない。
それだけが、私を動かしていた。
中庭の白薔薇は、前回よりも幾らか萎れていた。
先に席に着いたナナリーは、私の顔を見るなり、微かに眉を寄せた。
「顔色が悪いわね、大丈夫?」
「旅の疲れかしら」
嘘をついた。旅などしていない。
この数日、屋敷の寝台から殆ど出ていなかった。
ナナリーは暫く私を見つめると、やがて果実茶を勧めた。
前回と同じ、甘すぎる茶だった。
「ツリューシェ様はね」と、ナナリーは話し始めた。
「本当に不器用な方だったわ。愛人などと仰って、手紙ばかり寄越すくせに、戦場では目も合わせてくださらなくて…」
「そうね」
「甘い言葉を綴るのは得意なのに、面と向かうと途端に医師の顔になるの。治療の話しかしないのよ。おかしいでしょう」
「…おかしいわね」
私は笑った。笑えた自分が少し不思議だった。
ナナリーは扇子を広げ、どこか遠くを見るような目をした。
「でも…嫌いにはなれなかった。身勝手で、利用されたと分かっていても。あの方には…何か、こちらの感情を狂わせるものがあったわ」
私は何も言わなかった。
革手袋の感触が、指先に蘇った。
どこからか、低く重い音が響き始めた。
一つ。
二つ。
ナナリーが扇子を閉じた。
三つ。
四つ。
二人とも、黙って空を仰いだ。薔薇の向こうに、鐘楼の影が見える。
五つ。
六つ。
静寂が、音よりも重く落ちてきた。
「…終わったのね」
ナナリーが、静かに言った。その声には、安堵とも悲しみともつかぬ色があった。
私は革手袋を膝の上でそっと握りしめ、空を見上げたまま、口を開いた。
「ツリューシェ、もう戦争は終わりましたよ」
ナナリーは私を見た。
私は、ナナリーを見なかった。




