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【異世界恋愛】短編集

戦地から帰らぬ夫のことを、愛人と語った

掲載日:2026/03/02

シャンデリアの後光が粒となって降り注ぐパーティー会場の中を、私は彷徨うように歩いていた。


寒がりの私にコートを羽織ってくれる、親切な令嬢など、何処にもいない。せいぜい、顔見知りか茶会で同席したのみだ。


「あ…、リリアナ伯爵夫人だわ」

「夜会には一度も出席しない主義だと思っていたわ」


葡萄酒や香水の香りが宙を舞う。権力にすがりつく取り巻きや、扇子を広げた令嬢たちは優雅に踊り始めた。――私は相変わらず、壁に寄りかかって、ワインを揺らしていた。馴染めるはずもない。婚約を公表した以来、訪れていなかったのだから。てっきり、もう縁のない場所だと思っていた。


アナリア小国。

帝国が軍を仕掛けてきた、大戦争からはや二年。様々な国と同盟を組んでは、決裂し、崩落寸前の国の一つだ。王都には、様々な庶民が駆け寄り、教会は戦死した人々を弔う場所へと変わって行ったという。そんな場所に――夫は、放り込まれた。


今隣には、夫も誰もいない。

すると、私の様子を見かねたのか、複数の令嬢が話しかけてきた。


「リリアナ様、お初にお目にかかります。マリア商会の娘、ガーリエと申します。」

「こんにちは、わざわざご挨拶ありがとうございます」


そう一礼すると、宥めるようにこう続けた。


「ツリューシェ様、まだお戻りになっていないそうですね。リリアナ様がかわいそうだわ…」

「そうですわ、人命救助を優先するなんて…」


人命救助――夫のツリューシェは小部隊の衛生兵として戦地の最前線に立たされ続けている。赤い旗を靡かせた、前線後方施設で死致命傷の手当てをしている。数人の衛生兵と、永遠と運ばれてくる負傷兵。


彼は、伯爵子息にしては勉強熱心な人だった。男所帯の騎士団寮で学んだ「戦う為の剣術」より、治療法や医療方法を模索する、変わり者だったという。宮廷医 としての天性が芽生えたときには、戦争が始まり、衛生兵となった。絶望に震え、項垂れた横顔を今でも思い出せる。


「はぁ…本当に可哀想」

「いっその事、今すぐ届を出せばいいのに」


令嬢は口々に、自分勝手なことを言う。


「離婚届…ですか…」


政略結婚が数年続くと、すぐさま届の話になる。令嬢の瞳には、旦那を思う気持ちなど微塵もなかった。


「お気遣いありがとうございます、しかし、私はツリューシェを待つつもりですから」

「そう…、わかったわ。ごきげんよう」


彼女らは、つまらなそうにその場を去る。出征したきりの夫に婚約届を突き付ける、逆転劇でも観たかったのだろう。



「こんにちは、貴方が…リリアナ伯爵夫人ですか?」

「はい…なんでしょうか?」

「私、ナナリー・テンペレスと言います」


すると、今度は一人の女性がやって来た。

覚束ない公用語を喋る彼女は、自ら、ナナリーと名乗った。アナリア小国の治癒師として、戦前に立たされていた「戦場の聖女」という団体の一人だと言う。彼女の功績は、聖女府からの報告書で目にしたことがある。自身の悪筆を恥じていた夫が、署名を代筆してくれ、と回してきた書類だ。


彼女の髪は、帝国特有の金色が光っている。

各国から夜会に招かれた一人だろう。


「リリアナ様、申し訳ないのですが場所を移動しても…宜しいでしょうか?」

「え?ええ…わかりました」


ナナリーは誰にも聞こえないように、耳打ちすると、白薔薇の咲き乱れる中庭を案内した。周りの令嬢は「あら」「何をするおつもりかしら」とお互いに視線を合わせながら、二人の様子を伺っていた。




*





頭上には薔薇が無数に散らばっている。

先に席に着いたナナリーは、さっきと違って、穏やかな笑みを浮かべると、私に席に着くように促した。ここは社交界の中心地なんですね…、そう呟くナナリーを見れば、私よりもずっと若く、綺麗に見えた。


「中庭にお招き、ありがとうございます」



間をおいて問い掛けると、彼女は困った様子で、言葉に詰まった。扇子の隙間から覗かせる顔は、少しばかり歪んでいる。


「私ね…この場所に初めてきたの」

「ええ。」


「実は…貴方の夫、ツリューシェ様から教えていただいたの。王宮の仕組みや間取りについて」



――あの人が。


医学にしか興味のない夫が、戦場の聖女に自国の王宮のことを教えたそうだ。かつて同盟国だった小国とはいえ、機密情報を教えるなどらしくない。


「『君もいつか、私の王宮に来るかもしれない。いや、この戦争を生き延びれば、必ず連れて行くよ』と健気に語ってくださったわ」

「健気に…?」

「ええ、胡散臭いでしょ」


私は何を言えばいいか分からず、手元の婚約指輪を強く握りしめた。随分と手汗をかいている。


私とツリューシェが出会ったのは、騎士団寮の一角だった。婚約者をこの目で見ようと、偵察を装って出掛けた日。共に出掛けていた継母や侍女と逸れ、南棟を彷徨っていたとき、彼に出会った。


『リリアナか?』


最初は誰か見当もつかなかった彼だが、やがて、婚約者だとわかると、サッと敬礼してみせた。地位や権力に縛られることなく生きてきた、優しい瞳の彼に、私はみるみると惹かれていったのだ。




ナナリーは私の様子を気に留める訳でもなく、淡々と語り始めた。



「彼は、私のことを愛人と呼んでくださったの」

「そうですか…愛人…」




芳醇な果実茶の香りが辺り一面に漂う。私は一口飲むと、甘すぎるせいか目眩を感じた。




*




ナナリーは明くる日も、小国の定期報告と土地の治癒を目的として、教会から街へ出向いていたという。そんな生活が二カ月ほど続いた折、帝国軍の快進撃が凄まじく、管理していた領地内の侵入を知らされた。


そんな時、敵軍の剣戟から身を守ってくれたのが、ツリューシェ様だったこと。衛生兵として、短剣くらいは支給されていたからかも知れない。


「ツリューシェ様は…婚約指輪をしてたから、妻帯者と言う事は直ぐに分かったわ」

「ええ…」

「私…かつて、帝国の小領主の娘だったの。だからかしら、ツリューシェ様は跪いてきたの」


彼女の話し方は何処か拙い。

話の順序が彼方此方に散らばってもなお、私の鼓動は不規則に脈を打ち続けていた。


「『それじゃあ、皇立総合病院 は知ってるか』と。聖女として、医療学は躾けられてたから…勿論存じ上げていた」


彼女の口数が少なくなっていく。

皇立総合病院――あの人の憧れの場所。その話をするときは、いつも子供じみた口調に戻っていた。それ相応の資金も、技術も、地位も持ち合わせているのに、何故か夫は病院に出向こうともしなかった。



――「何故か」と問うてみても、返ってきたのは微笑みだけだ。



「ツリューシェ様は私のことなど視界にないのよ。利用しているのは『国属聖女』という地位だけ…」



ナナリーのドレスには、確かに紋章の刺繍が縫われている。彼女は、その刺繍を手で覆い隠した。


「話さなければならない…そう思って、今日は貴方をお呼びしましたの。知っておくべきだわ…」

「知っておくべきこと…」


少し、背筋が冷えた。


「そう身構えなくていいわ、ツリューシェ様を好きだった気持ちはよくわかりますもの…。」

「ええ…そうね、その通りだわ」


そう言うと、ナナリーはほっとした顔をした。





*









これは夕食時の事だ。侍女が離宮から運んできた、豪華な夕食を前に、記憶の中の彼は話し始める。




『昨晩、通達が来たんだ…』

『そうなの?誰からなのかしら』

『騎士団寮時代の戦友からだ。私は剣術も学ばず、医療を突き詰めていた変わり種でな、彼とだけは、不思議と治療法について話せたものだ』

『それで、どんな内容だったの?』

『宮廷診療所の准教授に出世したらしい…。彼も変わったことだ。人を助けたい、人を助けたいなどと喚いていた癖に、金をばらまき、色気を使い…結局は権力に縋り付いている…。』


『貴方はそんな風にはなりたくないの?』

『ああ…。宮廷など、戦争を引き起こそうとしている魂胆じゃないか。人を助けるなら、堂々と助けたい。それに比べて、衛生兵はどうだ。戦争のためにこき使われてるだけじゃないか…。』


『でも…』

『でも?』

『これから先…意地汚い手を使う事になるはずだ…』


いつも理屈くさく、戦争を何より毛嫌いした夫は二ヶ月後、戦地に送られることになる。出征の朝、彼の後ろ姿は、別人と思うほどに丸く縮んでいた。


『必ず…帰ってくる』

『ええ、待ってるわ』




*




屋敷。

顔なじみの伝令が、彼の革手袋を差し出す。

言葉を交わすことなく受け取った遺物は、損傷が激しく、酷く縮れて渡された。



――雷鳴轟く山岳地帯で、衛生兵のうち一人が谷底に消えた。上層部にさえも伝えられず、縁人にのみ知らされた。


北方戦線にて名誉の戦死…。


彼の遺体は、見つからなかったという。谷底の奥深くへと潜ってみても、足跡すら見つからなかった。




「リリアナ様…」

背後で弱々しい声が聞こえて、振り返ってみれば、古参の侍女が俯いている。


――戦争を誰よりも嫌う人が、戦争によって殺された。




「うっ…ぅっ…」

私はその場に崩れ去った。



その後は何も覚えていない。

布団から起き上がった時には、二週間が過ぎ、埃の被った配膳台には、幾つもの豪華な食事が並んでいた。








ナナリーという聖女が、本国にまで押しかけてきた意味が今ならわかる。夫の職業病は、屋敷内でも有名だった。出世の為なら、権力のある聖女と夜伽をし、世間に汚れていく彼の友人は数え切れない程いる。


やがて、彼は孤独になった。


子宝に恵まれなければ、愛人を。

権力に恵まれなければ、金を。


『リリアナ…私たちは…子宝には恵まれなかったな』

『すいません…』

『いや、謝ることはない。ただ、寂しくなっただけだ』


あの横顔を、片時も忘れたことはない。



――ここからは、ナナリーから聞いた話だ。




*






戦場、立ち込める湯気と、渦立つ圧気が混じり合う。アナリア小国の軍隊は苦戦を強いられていた。第三小隊の衛生兵と国属聖女の治癒師であるナナリーが、戦地で会う機会など全くない。


久々に会ったのは、皇立総合病院からの通達が届けられた時だった。


帝国でも死傷者は一定数いる。人手が足りないと嘆いていたところに、多大な功績を持つ者が現れた、それだけで喉から出るほど欲しかったのだろう。敵国といえど、医療学には関係のないことだ。快く、受け入れてくれた。


彼らは火を囲い、野営をしたという。


「この国での、最後の夜になりそうだ」


そう言ったツリューシェの手を握り返そうと、彼女が動くと、彼は凄い形相で睨見つけてきた。


「すみません…」

「ああ…以後気をつけろ」

「通達…読んでくださいましたか?」


通達の内容は、皇立総合病院の准教授として彼を招くこと。そして、私領の一部を引き渡すという内容だった。戦地で食べる野営食や命懸けの生活とは程遠い程の扱いだ。生き延び、本国に帰るためにも、彼は頷いた。


「帝国では…ツリューシェ様が前から願っていた、最先端の治療が出来ます。行かないという選択肢などないでしょう?」

「あぁ…」


ツリューシェは、野営用のテントの中で通達を読み続けていた。繰り返し同じ所を読み、呟いた。


「もう戦地に立たなくていいのだな…」


しかし、突然。

彼は、とある文を目の当たりにした折、瞳孔を見開いた。手先がわずかに震える。



――貴方方から見れば敵国である帝国へ出向く事になる。当然、本国へは一生戻っては来れないと思っていたほうがいい。言わば、片道切符だ。



誰かが、寄せ書きでもしたのだろう。

そこだけ筆跡が違っていた。


ツリューシェの友人の中には、帝国へ渡った者もいる。気づけば皆、本国には帰ってきていない。


蝋の独特な香りが中を漂う中、ナナリーは震える彼の横顔に気を取られていた。見たこともない顔。絶望と言うよりかは諦観した顔だった。


「俺は…このまま、現地に残る」

「お待ちください。戦況が悪化している今、最前を行けば必ず殺されます!より良い医療を提供することが、何よりの夢ではありませんか!」

「妻が…待っているんだ…」

「いつか…王宮に案内するって…」

「煩い!黙れ」



それから、二人は決裂した。

ナナリーが気が付く頃には、かつて帝国行きだった馬車に揺られ、最南端へ向かっていたという。


間もなく、夫は人知れず死んだ。


寒かっただろうな…。

助けを待っていたんだろうな…。



――夫は最後に、自ら戦場に立ったらしい。





私はその夜、一睡もできなかった。





*





「奥様…またナナリー様のところへ、いらっしゃるのですか?」


侍女のアンナが、上着を手に持ったまま、遠慮がちに問うた。


「ええ」

「しかし…今のお体では…」

「大丈夫よ」


アンナは何か言いたげだった。

夫が死んだことは、屋敷の者には既に知れ渡っている。それでも奥様がナナリー様のもとへ足を運ぶことが、誰にも測りかねているのだろう。私自身にも、うまく説明はできなかった。


ただ——彼女はまだ、知らない。

それだけが、私を動かしていた。







中庭の白薔薇は、前回よりも幾らか萎れていた。

先に席に着いたナナリーは、私の顔を見るなり、微かに眉を寄せた。


「顔色が悪いわね、大丈夫?」

「旅の疲れかしら」


嘘をついた。旅などしていない。

この数日、屋敷の寝台から殆ど出ていなかった。


ナナリーは暫く私を見つめると、やがて果実茶を勧めた。

前回と同じ、甘すぎる茶だった。

「ツリューシェ様はね」と、ナナリーは話し始めた。


「本当に不器用な方だったわ。愛人などと仰って、手紙ばかり寄越すくせに、戦場では目も合わせてくださらなくて…」

「そうね」

「甘い言葉を綴るのは得意なのに、面と向かうと途端に医師の顔になるの。治療の話しかしないのよ。おかしいでしょう」

「…おかしいわね」


私は笑った。笑えた自分が少し不思議だった。

ナナリーは扇子を広げ、どこか遠くを見るような目をした。


「でも…嫌いにはなれなかった。身勝手で、利用されたと分かっていても。あの方には…何か、こちらの感情を狂わせるものがあったわ」



私は何も言わなかった。

革手袋の感触が、指先に蘇った。

どこからか、低く重い音が響き始めた。


一つ。

二つ。


ナナリーが扇子を閉じた。


三つ。

四つ。


二人とも、黙って空を仰いだ。薔薇の向こうに、鐘楼の影が見える。


五つ。

六つ。


静寂が、音よりも重く落ちてきた。


「…終わったのね」


ナナリーが、静かに言った。その声には、安堵とも悲しみともつかぬ色があった。

私は革手袋を膝の上でそっと握りしめ、空を見上げたまま、口を開いた。


「ツリューシェ、もう戦争は終わりましたよ」


ナナリーは私を見た。

私は、ナナリーを見なかった。


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