第9話 警告(マグナードside)
「ふふ、いい気味でしたね。あのイルリア・ルヴィードの顔……今思い出しても、滑稽です」
「まあ、過ぎたることをしたのですから、その報いを受けたのでしょう」
「でもナルネア様、あれで解放してもいいんですか? もう少し遊んでもいいのに」
ナルネア・オルガー侯爵令嬢は、満足そうな顔をしながら廊下を歩いていた。
彼女にとって、イルリア・ルヴィード子爵令嬢が教室で見せた顔は楽しいものだった。ナルネアの目には、マグナードが離れて行く様にイルリアが絶望していたように映っていたのだ。
実際の所、イルリアが考えていたのは別のことである。
しかし、それを知らずにナルネアは満足していた。自分の望みはなんでも叶う。今のナルネアは、そんなことを思っていた。
「まあ、確かにそれも面白いかもしれませんね……」
「ナルネア様、どうされたのですか?」
「い、いえ……」
しかしそこで、ナルネアは足を止めることになった。
止めざるを得なかったのだ。彼女は蛇に睨まれた蛙のように震えていた。
「あなたの行動は目に余る。これ以上、余計なことをするというなら、こちらも容赦せざるを得ません」
ナルネアは、自分の後方から聞こえてきた声に振り向こうとした。
だが彼女にはそれができない。背後から感じる冷たい視線に、動けなかったのだ。
「これは警告です。あなたがこれ以上何もしないというなら、こちらも何もするつもりはありません。あなたが不当な理由で、他者を害する動きを見せた時点で、こちらも動きます」
言葉を受けた次の瞬間、ナルネアの体からは力が抜けた。
自由に動けるようになったナルネアは、すぐに後ろを向いた。しかし、既にそこには誰もいない。
周囲を見渡したナルネアは、ゆっくりと汗をかいていた。一体誰が声をかけてきたのか、彼女は理解していなかったのだ。
「ナルネア様、どうかされましたか? 先程から、なんだか変ですよ?」
「い、いえ、なんでもありません」
「な、なんでもないって……」
「うるさいですね……私がなんでもないと言ったら、なんでもないのです!」
「あ、す、すみません……」
困惑する取り巻きに対して、ナルネアは激昂していた。
それから彼女は、ゆっくりと首を振る。先程受けた恐怖を、頭から振り払おうとしたのだ。
ナルネアは、どこの誰かもわからない相手からの警告に対して耳を貸すつもりなどなかったのである。
「……まったく、どこの誰だか知りませんが、まったく持って不愉快です」
ナルネアは、取り巻きを連れて再び歩き始めるのだった。
「警告とは、ご苦労なことだな」
「……ブライト殿下」
マグナード・ビルドリム公爵令息は、第二王子のブライトに呼び止められていた。
少しばつが悪そうな顔をするマグナードに対して、ブライトは呆れたような笑みを浮かべる。
「相変わらず甘い奴だな。俺なら、警告なんてしないぞ」
「わざわざことを荒立てる必要はありませんよ。丸く収まるのならその方がいい」
マグナードは、争いを好まない。その性格は、ブライトもよく理解している。
それを甘いと思いながらも、ブライトはそんなマグナードのことが嫌いではなかった。同じ高い身分を持つ者として、そういった姿勢は見習いたいと思っている程だ。
「まあ、今回は相手が侯爵である訳だしな……噛みつかれたら、いくらビルドリム公爵家でも厳しい相手だ」
「……その辺りは、伯父様に相談すればいいだけのことです」
「父上に助力を求めるか。まあ、父上はブラコンだからな。弟の息子であるお前には、俺達以上に甘い」
ブライトは、マグナードの性質を思い出していた。
あくまでも平和的な解決を望む彼だが、それが叶わなかった場合は全力を持って相手を叩き潰す。それがマグナードという男なのだ。
それは彼の優しさがそうさせているという面はある。ことが拗れて実態が悪化するくらいなら、すぐに解決できる程の権力をぶつけようとするのだ。
その躊躇いのなさこそが、ブライトがマグナードを怖いと思う一番の理由である。
「まあ、狙っている張本人に警告されたのだから、いくらナルネア嬢でも少しは躊躇いを覚えるものか……」
「……心配なのは、彼女が僕を認識しているのか怪しいという所なのですが」
「……なんだって?」
マグナードの言葉に、ブライトは面食らっていた。
いくらなんでも、ナルネアがマグナードを認識していないことなんてあり得ない。ブライトは、そう思っているのだ。
「あり得ないだろう。曲がりなりにも、狙っている相手の声がわからないなんて」
「その割には、反応が薄かったような気がするのです」
「あのナルネア嬢とかいう奴は、とことんとどうしようもない奴なのかもしれないな……」
ブライトは、ゆっくりとため息をついた。
それを見ながら、マグナードが笑みを浮かべる。今度は彼の方が、呆れたような笑みを浮かべていた。
「それにしても、ブライト殿下も人がいいですね」
「なんだ、藪から棒に」
「イルリア嬢のことが心配でこんな所まで来ていたのでしょう? あなたは上級生ですからね。よく考えてみれば、こんな所に本来いる訳がありません」
「……まあ、一度見てしまった以上はな」
マグナードの視線から、ブライトは目をそらした。
そんな風にしながら、高い地位を持ついとこ同士は放課後を過ごすのだった。




