第8話 校舎裏で囲まれて
生徒や教師、その他色々な人が、魔法学園にはいる。
この学び舎は、人に溢れた場所なのだ。もしかしたらこの国で、一番人が多い場所かもしれない。
しかしそんな魔法学園にも、人気のない場所はある。例えば、校舎裏などだ。私は今、そこで複数人の女性に囲まれていた。
「さてと……」
その女性達の中心にいるのは、ナルネア・オルガー侯爵令嬢だ。
彼女は少しだけその表情を醜悪に歪めながら、こちらを睨みつけている。
「あなた、一体どういうつもりなのですか?」
ナルネア嬢は、とても端的な問いかけをしてきた。
それがどういう意味であるかは、理解しているつもりだ。ただ念のため聞いておいた方がいいだろう。彼女が一体、何に怒っているのかを。
「……質問の意図を計りかねます。それは何に対する質問なのでしょうか?」
「白々しいことを言って! ナルネア様に失礼ですよ?」
「そうです。ただでさえ、あなたの行いは目に余るというのに!」
私が問いかけると、ナルネア嬢の周囲の令嬢達が言葉を発した。
彼女達も、ひどく怒っている様子だ。それが本人の意思なのか、それともナルネア嬢への忠誠心からのものなのかはわからないが、彼女達は私との距離を詰めて来る。
「皆さん。イルリア嬢のご指摘はごもっともです。確かに、私も言葉が足りませんでしたから」
「ナ、ナルネア様?」
「す、すみません、出過ぎた真似をしました」
「いいえ、いいのですよ」
そんな取り巻きを鎮めたのは、ナルネア嬢だった。
彼女は、にこにことしながら私の方を見てきている。相変わらず目が笑っていないので、今のは別に私を気遣っているとか、そういうことではないのだろう。
「単刀直入に言いましょう。あなたはマグナード様と親密にし過ぎです」
ナルネア嬢は、短く言葉を発してきた。
それはつまり、私の逃げ道を封じているということなのだろう。
事実を突きつけ逃がさない。そんな意思が、彼女からは感じられる。
「公爵令息である彼には、皆少なからず憧れています。ですが、親密にはしていません。それは所謂淑女協定というものですね。必要以上に彼に近づかない。それがあのクラス引いては学園のマナーではありませんか」
ナルネア嬢が言っていることは、滅茶苦茶だった。
そんな淑女協定など、誰が決めたのだろうか。初耳である。
しかしながら、ナルネア嬢がそうだと決めたら、私は逆らえない。侯爵令嬢に対して、子爵令嬢である私は頷くことしかできないのだ。
とにかくこの場を切り抜けなければならない。私はそれについて考えていた。
しかしそこで、私は気付いた。校舎の方から、一人の男性がこちらに近づいているということに。
「どこを見ているんですか?」
「ナルネア様の言葉に、応えなさい」
遠くを見つめていることに気付いたのか、ナルネア嬢の取り巻き達が怒り始めていた。
しかし、そんな取り巻き達とは違い、ナルネア嬢は私の視線を追っている。彼女だけは、冷静だったということだろう。
「……あなた!」
「え? あっ……」
「あなたの方こそ、どこを見ていたのですか?」
そこでナルネア嬢は、取り巻きの後方にいた令嬢に詰め寄った。
恐らく、その女性は人が来ないか見る監視役だったのだろう。私を詰める方に夢中になって、その役割が果たせなかった彼女に、ナルネア嬢はかなり怒っているようだ。
しかし、その詰め寄りは長く続かなかった。一人の男性がこの場にやって来たことによって、中断せざるを得なかったのだろう。
「……こんな所で何をしている?」
その男性は、鋭い目つきでナルネア嬢に問いかけた。
それに対して彼女は、罰が悪そうな表情をする。それは当然だ。今彼女の目の前にいるのは、この国でも最も権力を持つ一族の一人なのだから。
「これはこれは、ブライト殿下……」
「挨拶など必要はない。俺が聞いているのは、あなた方が何をしているのか、ということだ」
そこにいるのは、このハルバルド王国の第二王子であるブライト殿下だ。
彼は、ナルネア嬢を真っ直ぐに見つめている。それ以外の令嬢など、まるで目に入っていない。誰がこの場を取り仕切っているのかは、よく理解しているようだ。
「こちらのイルリア嬢と話していただけですよ」
「こんな所で、これだけの人数でか?」
「……何か問題でも?」
ナルネア嬢の声は、少し震えていた。
それは先程までの私と同じ状態だ。自分よりも権力を持つ者に詰め寄られて、どうしようもなくなっているのだろう。
「いや、あなたは随分と臆病だと思ったんだ、ナルネア・オルガー侯爵令嬢……あなたは、自分よりも下の地位の貴族令嬢と話すのにも、お友達が必要なんだな?」
「なっ……」
ブライト殿下は、少し口の端を釣り上げて言葉を発していた。
その馬鹿にしたような口調には、ナルネア嬢も表情を歪めている。流石にその侮辱は、許容することができなかったのだろう。
ただ彼女は、すぐに表情を元に戻した。それでも王子には逆らえない。そう思ったのだろう。
「……行きますよ! 皆さんっ」
「え? あ、ナルネア様?」
「お、お待ちください、ネルネア様」
結局ナルネア嬢は、この場から逃げることを選んだ。
その逃走に、私は少し安心する。どうやらこの場は、無事に切り抜けられたようだ。
「……ありがとうございます。お陰で、助かりました」
「……いや」
ナルネア嬢が去ってから、私はブライト殿下に頭を下げた。
この場を切り抜けることができたのは、彼のお陰だ。恐らく偶然、私が連れて行かれる所を見ていたのだろうが、本当に助かった。
「俺は単に気に入らなかったというだけだ。ナルネア嬢のやり方がな。ああいうのは、俺の嫌いなタイプだ」
「そ、そうですか……」
ブライト殿下は、本当に忌々しそうにしていた。
それだけナルネア嬢のことが気に入らないのだろうが、そういう反応は少し新鮮である。つい先日までマグナード様と接していたからだろうか。こうも堂々と相手を批判する様が、なんだか清々しい。
「所で、マグナードの名前が聞こえたが……」
「ああ、それは……私がマグナード様と親密にしていることで、彼女達が怒っていたというか」
「なるほど、そういうことか」
そこでブライト殿下は、マグナード様のことを訪ねてきた。
マグナード様の父親、ビルドリム公爵は国王様の弟だ。つまり、ブライト殿下とマグナード様は、いとこ同士ということになる。
親戚の名前が聞こえてきたことも、彼が私を助けた理由かもしれない。彼としても、親戚の厄介ごとは避けたいだろうし、その可能性はある。
「あいつは、優しくて人気があるからな。嫉妬に狂ったという訳か」
「そうなのでしょうね……それに関しては、私の失敗だったような気もします」
ナルネア嬢の怒りは理不尽なものではあるが、理解できないという訳でもなかった。
彼女くらいの地位ならば、マグナード様を狙っていてもおかしくはない。そういう人達を刺激しないためにも、彼との関係は考えるべきものだったのだろう。
色々とあって、私は失念していた。エムリーとのことといい、私は駄目駄目だ。
「別にあなたが気にすることではないだろう。マグナードが誰と親密になるのかは、マグナードが決めることだ。そこに他者の意思が介入するなど、歪なだけだ」
「でも、人間関係を円滑にするためには、多少は気に掛けるべきことだったと思ってしまうのです」
「理解できない訳ではないが、ナルネア嬢の行いはよくわからない。あんなことをして、得になることなどないだろう。あなたがマグナードに事実を伝えたりしたら、それこそ一巻の終わりだというのに」
高い地位にあるためか、ブライト殿下には私とナルネア嬢のやり取りが理解できないのかもしれない。本当に悩んでいる彼を見て、私はそう思っていた。
ただ同時に、私はブライト殿下に好感を抱いていた。マグナード様もそうではあるが、高い地位にいる人達が善性を持っているというのは、嬉しい事実だからだ。
「まあ、あなたにとっては災難だったな。今回の件で矛を収めてくれるといいのだが……」
「それは……どうでしょうかね?」
ブライト殿下は、ナルネア嬢が去って行った方向を見つめていた。
正直な所、彼女からの追及がこれで終わるとは考えにくい。例えブライト殿下に注意された前例があったとしても、それを気にするような人達ではないだろう。
「助けてやりたい所ではあるが、生憎俺もあなたと四六時中一緒にいられる訳ではない」
「いえ、こうして助けていただけただけでありがたい限りです。後は、自分でなんとかします。彼女達の望みはわかっていますし、対処することができない訳でもないですから」
「ほう……」
私の言葉に、ブライト殿下は少し驚いたような顔をしていた。
ただ、ナルネア嬢への対処は、実の所それ程難しい訳でもない。私がマグナード様との距離を取ればいいだけなのだ。
そうしていけば、彼女達だって私にちょっかいを出さなくなるだろう。
「まあ、そういうことなら俺が心配する必要もないか。よく考えてみれば、マグナードもあなたの味方である訳だしな」
「はい?」
「マグナードという男は頼りになる。あいつに任せておけば、特に問題はないだろう」
そこでブライト殿下は、マグナード様に対する評価を述べた。
その評価に、納得できない訳ではない。しかし、急にそれを述べられたため、少し面食らってしまっている。
「しかし、あいつを敵に回すなんて考えたくもないことだ」
「……そうなのですか?」
「ああ、あいつ程怖い者もそういないだろうさ」
「怖い?」
続くブライト殿下の評価に、私は首を傾げることになった。
確かに怒った時にはそれなりに迫力があったが、マグナード様はそこまで怖い人だっただろうか。そのような印象はないのだが。
「ピンときていないようだな?」
「ええ、正直あまり同意できません。マグナード様は、怖い人でしょうか?」
「優しい奴程、怒ると怖いものだ。そういう意味において、マグナードは恐ろしい。一度敵であると認識したら、心を痛めながらも、とことん追い詰めて廃除する。奴はそういう男だ。敵に回したくない筆頭だと俺は思っている」
ブライト殿下は、本当に恐ろしいという顔をしていた。
親族である彼は、当然私以上にマグナード様のことを知っているはずだ。その彼がここまで言うのだから、それは恐らく真実なのだろう。
そう考えると、私はマグナード様と友人で良かったと思えてきた。
そこまで恐ろしい人を敵に回すなんて考えたくもない。元よりそのつもりなんてないが、彼を怒らせるようなことはしない方がいいのだろう。
「さて、俺はこれで失礼する。まあ、あなたも色々と大変だろうが、頑張れ」
「あ、ありがとうございます」
それだけ言って、ブライト殿下は去って行った。
その背中を見ながら、私はこれからのことを考えるのだった。
◇◇◇
「何かありましたか?」
ナルネア嬢に呼び出された翌日の放課後、私はマグナード様からそのように言われた。
その言葉に、私は少し焦る。クラスメイトの何人かの視線も気になる所だ。
「はっきりと言ってしまいますが、イルリア嬢は今日一日変でした」
「変ですか……」
私は、ナルネア嬢を刺激しないためにもマグナード様と適切な距離を保っていたつもりだった。
しかしそれは、彼の方に疑問を抱かせることになってしまったらしい。
ただ、実の所そこまでは想定していた。問題は、ここからの対応だ。
「変というなら、今までの方が変だったのかもしれません。私とマグナード様は、親密過ぎました」
「……」
「適切な距離感を取るべきだと思うのです。私達は貴族の男女であり、地位もかなり違います。そこには複雑な事情が絡んでくる……」
私の言葉に、マグナード様はため息をついた。
どこか呆れたようなそのため息には、私も少し息苦しくなってしまう。
とはいえ、私は言い切らなければならない。これは今後の学園生活のためにも、必要なことである。
「なるほど、誰かに何かを言われたということですか」
「いえ、それは……」
「わかりました。そういうことなら、適切な距離感を保った方がいいのでしょうね。あなたの身に万が一のことがあってはならない」
マグナード様は、少ない情報から事情の全てを理解していた。
それは正直、私にとっては予想外のことである。もう少し上手く話を運ぶつもりだったのだが。
「さてと、そういうことならお話はこれで終わりということで構いませんね」
「え? ええ……」
「それでは、僕は寮に戻ります」
マグナード様は、ゆっくりと立ち上がり、そのまま教室から去って行った。
その呆気なさには、私も少し面食らってしまう。なんというか、少し寂しい気もする。
「……まあ、上出来ということにしておきましょうか」
そんな私を見ながら、ナルネア嬢は笑みを浮かべていた。
どうやら、彼女の方はこの結果に満足してくれているらしい。もしかして、そうなることをわかっていて、マグナード様は素っ気ない態度を取ってくれたのだろうか。
何はともあれ、これで私の安寧は保証されそうだ。それ自体は嬉しいことである。
「……でも」
ただ、私は少しだけ気になっていた。
立ち上がった時のマグナード様の表情が、ひどく冷たいものだったような気がしたからだ。
あの表情は、果たして誰に向けたものだったのだろうか。それを考えながら、私はしばらく教室で一人の時間を過ごすのだった。




