第22話 目覚めた妹
「うぐっ……」
私がゆっくりと目を開けると、ロダルト様が驚いたような顔で目を見開いているのを見つけた。
彼の目の前にいるのは、女性だ。その女性は、苦しそうな声を上げている。
それは当然だ。彼女の体にはナイフが刺さっている。ロダルト様が、それを刺したのだ。
「エムリー!」
「お、お姉様……」
ゆっくりと崩れ落ちるエムリーの体を、私はなんとか受け止めた。
彼女の体は、少し冷たい。人としての温もりが失われかけている。その事実が、私としてはとても恐ろしかった。
「野郎――おい! あいつを拘束しろ! あいつは貴族じゃない! ただの賊だ!」
そこでブライト殿下の声が響いた。
それに合わせて、周囲の人々がロダルト様の方に集まっていく。
しかし、彼は既に動けなくなっていた。私がエムリーのことを受け止めている間に、マグナード様が彼を拘束していたのだ。
「マグナード、お前――」
「……激情に任せてしまいたい気分でしたがね。しかし、同じ間違いを犯しはしません」
「流石だな。今回は流石の俺も、ぶん殴りたい気分だったが……」
「それよりも、早く医者の手配を!」
「ああ、そうだな!」
マグナード様は、ヴォルダン伯爵令息の時とは違い、冷静な対応をしてくれたようだ。
ただ、彼の表情からは確かな怒りが伝わってくる。私も、ロダルト様には当然怒っている。彼がやったことは、万死に値する行いだ。到底許せるものではない。
「エムリー、しっかりして! すぐにお医者様が来てくれるから……」
「……お姉様、ご無事ですか?」
「ええ、私は無事よ。あなたのおかげでね。でも、なんて無茶を……」
「無茶、ですか。ええ、でも、体が勝手に動いたものですから……」
エムリーは、か細い声だが受け答えしてくれた。
その意識を途切れさせてはいけないと、私は本能で感じていた。故に私は、とにかくエムリーに話しかけることにする。
「大丈夫だからね、エムリー」
「……いいえ、きっとこれでお別れです」
「エムリー? 何を言っているの?」
「なんとなく、わかるんです。この私は、もう終わりなのだと……」
「それは……」
エムリーの言葉の意味が、私にはすぐにわかった。
もしかしたら、彼女は思い出し始めているのかもしれない。その兆候は、確かにあった。
「私が見た男性は、やはり彼でした。その恐ろしい本性を、私は見ていたのです。それさえ思い出せていれば……」
「そんなことはいいのよ。それより、あなたは自分のことを……」
「しばらくの間、でしたが……お世話に、なりました。お姉様との日々、楽しかった、で、す……」
そこでエムリーは、ゆっくりと目を瞑った。
ただ、まだ息はある。それは安心できる要素だ。
しかしながら、あのエムリーは消えてしまったのだろう。それを悟って私は、どうしようもない悲しみに襲われるのだった。
◇◇◇
「……まさか、お姉様が私のお見舞いに来るなんて、思っていませんでした」
「……お見舞いというよりも、付き添いだったのだけれど、ね」
病院の病室にて、私はエムリーと対峙していた。
彼女は、以前のような憎まれ口を叩いている。それが、今の彼女がかつての彼女であるということを表していた。
それに対して、私は微妙な気持ちになっている。少し前まで、同じ顔をしていた彼女と仲良くしていたのだから、それはもう仕方ないことだろう。
「しかも、殿方が同伴なんて」
「同伴というよりも、同じ所にいたというか……」
「まあ、その辺りは些細なことです」
この場には、マグナード様もいる。ブライト殿下が、そのように取り計らってくれたのだ。
そのブライト殿下は、ロダルト様の方にあたっている。捕まった彼の様子を見てくれているのだ。
「理解しているのか理解していないのかはわからないけれど、あなたは記憶を失っていたのよ」
「……」
私の言葉に、エムリーはゆっくりと目をそらした。
記憶喪失について、彼女はどう認識しているのだろうか。それは実の所、あまりわかっていない。
その件については、お医者様からも伝えてくれているはずなのだが、それに対する反応は曖昧なものだったそうだ。
「記憶喪失の間のことを、記憶を取り戻した時に覚えていないということはあるらしいけれど、あなたもそうだということなのかしら?」
「……いえ、覚えていますよ」
「え?」
私の疑問に対して、エムリーの返答はおかしかった。
彼女の声のトーンが、先程までとは変わっているのだ。なんというか、少し高くなっている。
「あがっ……」
「エ、エムリー?」
「な、なんですか?」
「あ、あれ?」
しかし次に話しかけた時には、元のエムリーに戻っていた。
その変化に、私とマグナード様は顔を見合わせる。
「マグナード様、これは一体……」
「さて、どういうことなのでしょうか?」
「うぷっ……」
私達の会話の横で、エムリーは気持ち悪そうに口元を手で覆った。
傷が痛んだりしているのだろうか。だとしたら大変だ。お医者様を呼ばなければならないかもしれない。
「エムリー、大丈夫? お医者様を呼んだ方がいいかしら?」
「いえ、大丈夫……ああ、もう、うるさいっ」
「うるさい?」
「あ、ごめんなさい、お姉様。少し以前の……私がっ!」
エムリーの様子は、明らかにおかしかった。
なんというか、自分で自分と争っているかのようだ。その様子からは、ある程度の推測を立てることができる。
「エムリー、まさかあなたの中には……」
「ええ、私はこの夏休みにお姉様と過ごしたエムリーです……そして私が、以前のエムリー――って、私に勝手に喋らせないで!」
エムリーは、にこにこ笑った後に怒り始めた。
あのような別れ方をした訳だが、あのエムリーは消えた訳ではないらしい。もう一つの人格として、エムリーの中に残っているようだ。
「私がやったことは、全て思い出しました。思い返してみると、お姉様にはひどいことばかりしていたのですね。本当に申し訳ありません」
「え、えっと、それはまあ、あなたのせいではないというか……いいえ、あなたとエムリーを切り離して考えるのが正しいのかはわからないのだけれど」
「……申し訳ないなんて、思っていません。私はただ、自分の野望のために努力していただけで――なんて言っていますけれど、もう一人の私も反省していますから」
最近のエムリーと過去のエムリーは、お互いに主導権を握ろうとしていた。
そのように争うのは、精神的に大丈夫なのだろうか。その点に関して、私は心配だ。
「もう一人の私にも、私の記憶は残っていますからね。まあ、今はそれを素直に言い表せないというだけで――そんなことは、決してありま――ふふ」
何故だかよくわからないが、過去のエムリーの立場は弱かった。
エムリーとして過ごした時間は、過去の方が長いはずであるというのに、主導権を完全に握られている。
「さてと、そんなことよりも重要なことがあります。今回の事件を起こしたロダルト様です」
「ロダルト様?」
「全てを思い出したことによって、私はわかりました。彼はお姉様に執着しているのだと」
ついに過去のエムリーが完全に抑え込まれて、最近のエムリーが話を始めた。
彼女の話は、中々に気になるものだ。これは聞いておく方がいいだろう。
「執着……覚えがない訳ではないわね」
「やはり、そうなのですか?」
「ええ、でも、あなたとの件があるまで、そんな感じではなかったのだけれどね……」
「ですが、彼は私との婚約の時にも、お姉様のことに触れていました。私と婚約したのもきっと、お姉様の気を引くためだったのではないかと思うのです。もっとも、それは今思えばそうだ、ということではありますが」
ロダルト様は、私がマグナード様と話していたことに怒っていた。
その怒りから考えると、彼が私に対してそれなりに重たい思いを抱いていたのは、間違いないと考えていいだろう。
「はっきりと言って、彼は危険な人物です。私はそれを感じ取っていましたが、お姉様には伝えていませんでした」
「まあ、それは仕方ないことね。今こうして伝えてくれただけでも充分だわ」
ムドラス伯爵令息とヴォルダン伯爵令息が襲われたことを聞いて、エムリーはそれをしそうな人物のことを思い出した。
それによって記憶が刺激されて、記憶を取り戻すことになった。恐らく、そういうことなのだろう。
何はともあれ、エムリーが記憶を取り戻せたことは良かったことだ。私にとっては最近のエムリーの人格が残ったこともいいことよりではあるし、今はそれを喜ぶとしよう。




