第17話 記憶喪失の妹
マグナード様のご厚意で、私はビルドリム公爵家の別荘に招待された。
森の中の別荘はとても涼しく、避暑地としては最適な場所だ。
ちなみに、ブライト殿下とミレリア嬢も招待されている。例の件などで仲良くなった人達が、集まったという形だ。
「……驚きましたね。まさか、エムリー嬢を連れて来るなんて」
「ええ、私もこんなことになるとは思っていませんでした」
「以前までとは、本当に別人のようだ。記憶喪失……知識としては知っていましたが、実例を見るのは初めてです」
そんな別荘に、私はエムリーを連れて来ていた。
ここに来る前、実家で過ごしていたのだが、エムリーは私のことをかなり頼りにしていた。
彼女を置いて行くのは忍びない。そう思った私は、マグナード様にお願いして、同行を許可してもらったのだ。
「そんなに違うものなのか?」
「ええ、以前の彼女はなんというか、野心に溢れる鋭い女性でしたから」
「それは信じられないな。今の彼女は、天真爛漫な少女でしかない」
「だから僕も驚いているんです」
ブライト殿下やミレリア嬢は、以前のエムリーをそれ程よく知らない。
故にマグナード様の驚きは、あまり伝わっていないのだろう。
ちなみに、今のエムリーはミレリア嬢と一緒に花冠を作っている。
かつての妹から考えると、まったく似合わない遊びだ。以前なら花を踏み潰すような性格だったはずなのだが。
「まあ、善良になったならそれでいいんじゃないか。このまま記憶を取り戻さない方が、イルリア嬢としてはいいんじゃないか」
「そういうものではないでしょう」
「だが、記憶を取り戻してもらう必要がどこにある? 以前の悪辣なエムリー嬢に戻ったら、また悪いことをするかもしれないんだぞ?」
「仮にそうだとしても、ブライト殿下の意見は無神経だと思ってしまいます」
「取り繕っても仕方ないだろう。お前は変な所で真面目だよな……」
ブライト殿下は、とても実直な意見を出してくれた。
彼の言っていることは、その通りであるような気もする。
ただ、それでいいと心から思えないのもまた事実だ。これに関しては、難しい問題であるように思える。
「それについては、あまり考えないことにしています。そもそも、記憶がどうやったら戻るのかなんてわかりませんからね。天に任せるしかないことでしょう」
「まあ、それもそうか」
結局の所、エムリーの記憶について考えることは意味がないことだ。
私の判断によって、何かが変わることはない。悩んでも無駄なのだから、気軽に構えておくくらいが丁度いいだろう。
◇◇◇
妹から花冠を渡されて、私はとても微妙な気持ちになっていた。
無下にすることもできないし、素直に喜ぶこともできない。それは私にとって、そんな贈り物だったのである。
「イルリア嬢からすると、少々複雑かもしれませんが、今のエムリー嬢はとても可愛らしい方ですね……」
「ミレリア嬢もそう思いますか?」
「ええ、思わず童心に返って遊んでしまいました。すみませんね、なんだか……」
「いいえ、謝るようなことではありませんよ。むしろ、ありがたく思っています」
一緒に花冠を作っていたミレリア嬢は、どこか満足そうにしていた。
エムリーとの遊びが、本当に楽しかったのだろう。それがその笑顔からは伝わってきた。
「まあ、私はエムリー嬢のことをよく知りませんからね。前の彼女は、かなり滅茶苦茶な子だったのですよね?」
「そうですね……ああいえ、でもナルネア嬢などと比べたら、可愛いものでしたよ」
「そうなんですか?」
「ええ、今になって思えば、という話ではありますが……」
ミレリア嬢の言葉で、私はかつてのエムリーのことを思い出していた。
彼女は、根も葉もない噂を流して私の評価を下げて、子爵家を手に入れようと画策していた。それはもちろん、私からしたらとんでもないことではある。
ただ別に、理解できないという訳でもない。野心があるなら、それくらいはするだろう。そう思える範囲内だ。
婚約者を簡単に切り捨てるロダルト様や、嫉妬で取り巻きを引き連れて絡んできたナルネア嬢、逆恨みで人に危害を加えるヴォルダン、ムドラスの二名など、私はこの短期間で様々な人達と敵対した。
それらに比べると、エムリーは大したことがないように思えてくる。まだマシというくらいだが。
「そういえば、ムドラス伯爵令息はあれからどうなのですか?」
「ああ、弟のことですか。一応、実家には戻っています。ただ、軟禁状態というか……」
「軟禁……」
「お父様もお母様も、流石に怒り心頭といった所でしょうか。まあムドラスがやったことは、家の評判を著しく下げるものですからね」
私の質問に対して、ミレリア嬢は少し冷たい声色でそう言った。
それはムドラス伯爵令息、引いては両親への失望のような感情が籠っているような気がする。
恐らく、彼女の両親は、問題を起こすまでムドラス伯爵令息の行動について、干渉してこなかったのだろう。
家を継ぐ長男である彼を大切に扱ったことは想像できる。しかしそれは、ミレリア嬢にとっては苦しいことだっただろう。それらの要素が、今の彼女の冷めた目に繋がっているのかもしれない。
◇◇◇
「ふう……」
「お姉様? どうかされましたか?」
「ああいえ、なんでもないわ。少し疲れたというか……まあ、はしゃぎ過ぎたといった所かしらね」
マグナード様の別荘にて、夕食をいただいた私は、エムリーとともに客室に来ていた。
念のため、妹とは同室にさせてもらっている。今の彼女を一人にする訳にはいかない。不安だろうし、何が起こるかわからないからだ。
しかしその状況というのは、私にとっていいものという訳でもない。
エムリーには悪いが、心が休まる時がないのだ。まあ、眠ってしまえばそれなりに休めるだろうし、今日は早めに就寝するとしよう。
「私も楽しかったです。お姉様の友人方にも、本当に良くしてもらいましたし」
「それならよかったわ」
「私がついて行って、本当にいいのかとも思っていましたが……」
「そんなことは気にしなくていいのよ。あなたは妹なのだから、変に気遣いする必要なんて、ないのだから……」
エムリーに対して言葉を発しながら、私は苦笑いを浮かべていた。
私が彼女に、こんなことを言うなんて不思議なことである。まるで普通の姉妹みたいだ。殺伐としていた昔が、最早懐かしいとさえ思えてくる。
「……でも」
「うん?」
「お姉様は、私のことがお嫌いなのでしょう?」
「……え?」
エムリーから突然投げかけられた言葉に、私は思わず固まっていた。
そんな質問をされるなんて思ってもいなかったので、動揺してしまう。
そしてその動揺は、質問が図星であることを表していた。だからだろうか、エムリーは苦い顔をする。
「やはりそうだったのですね。私達は、仲が良い姉妹という訳ではなかった、という解釈でいいのでしょうか?」
「それはその……」
「なんとなく、そうじゃないかと思っていたんです。でもお姉様はお優しい方ですね。嫌っているはずの私に、こんなに良くしてくれるなんて」
エムリーは、どこか痛々しい笑みを浮かべていた。
無理をしている。その笑顔を見れば、誰もがそう思うだろう。
私は、ゆっくりと息を呑んだ。何かフォローをしたいのだが、言葉はまったく出て来ない。
「きっと私は、ひどい人間だったのでしょうね。なんだか、自分で自分が嫌になってきます」
「そ、そんなことは……」
「正直に言ってください。私がどのような人間だったのかを。もしもお姉様に思う所があるというなら、それも打ち明けてください。今ならそれを聞くことができます。私は全て受け止めるつもりです」
すぐ目の前にいるというのに、エムリーとの距離がとても遠かった。
いやそもそも、目の前にいるのはエムリーなのだろうか。私はなんだか、それえさえもわからなくなっていた。
不安そうに苦しそうに笑顔を浮かべるエムリーを見ながら、私はかつての彼女をまた思い出していた。
刺々しく活力に溢れた彼女のことが、私は憎らしくて仕方なかった。それは当然だ。あの妹は、私に害をなしていた。嫌わない理由がない。
ただ、今の彼女はあの時とは違う。純粋な少女となった彼女はあのエムリーではないだろう。
「……ああ」
「……お姉様?」
そうやって考えていくと、なんだか心が落ち着いてきた。
私は一体、何に悩んでいたのだろうか。今までの自分が馬鹿らしくなってくる。




