第10話 再び囲まれて
「おはようございます、イルリア嬢」
「お、おはようございます」
意味深な感じで教室からマグナード様が去って行った日の後日、彼はいつも通りの挨拶を私にしてきた。
その意図がよくわからなくて、私は言葉を詰まらせることになってしまった。マグナード様は、私と適切な距離を取ってくれるのではなかったのだろうか。
いや、よく考えてみれば、別に隣の席の子が登校してきて挨拶するのはおかしくない。これは他の人にもやっていることだし、いいのだろうか。
「……」
私は、とりあえず席に着いてから周囲を見渡す。
そしてナルネア嬢が、こちらを見ていることに気付いた。
彼女は、不機嫌そうな顔をしている。どうやら挨拶だけでも、駄目だったようだ。
「……イルリア嬢、申し訳ありません。僕の行いが、返って彼女を刺激してしまったようです」
「え?」
「どうやらこちらも、覚悟を決めなければならないのでしょう。協力してもらえますか?」
「あの……話が見えてこないのですが」
そんなナルネア嬢の方を見ながら、マグナード様は小声で話しかけてきた。
ただ、その言葉の内容が私にはわからない。彼の行いとは何で、協力するとは一体どういうことなのだろうか。
しかし事実として、マグナード様はナルネア嬢がことの原因であると気付いているようだ。その辺りは、流石としか言いようがない。
「僕が余計なことをしてしまったのです。とはいえ、僕はあなたとの関係を断ち切りたいとは思えません。そもそも、他者に僕の生活を害されるのは不快ですからね」
「それは……」
マグナード様は、冷たい声色をしていた。そこからは、彼の怒りが読み取れる。
それ程に私との生活を大切に思ってくれていたのは、嬉しいことだ。同時にそれを断ち切ろうとしていたことについて、申し訳なく思う。
「私としても、本当はマグナード様との生活を断ち切りたいとは思っていません。ただ、ナルネア嬢の言い分にも一理くらいはあると思っているんです。私とあなたは身分が随分と違う訳ですからね。その……婚約の関係とかもあるでしょう?」
「なるほど、あなたはそのことについて気にしていたという訳ですか。しかし、だからといって他者を害するような真似をしていいということになりません。端的に言ってしまえば、僕はナルネア嬢のことが個人的に気に入らないのです」
マグナード様は、彼にしては珍しくはっきりとした敵意を口にした。
今回のナルネア嬢の行いには、かなり怒りを覚えているようだ。
これは何を言った所で、止まることはなさそうである。それなら私も、覚悟を決めて、彼に協力するとしようか。私だって、ナルネア嬢の行いには当然思う所がある訳だし。
◇◇◇
「少しいいでしょうか?」
放課後、私はナルネア嬢に話しかけられていた。
彼女は、柔和な笑みを浮かべている。しかしいつも通り、目が笑っていない。
どうしてそんな顔をして話しかけてきたのかは、わかっている。私がマグナード様と、今日一日親しくしていたからだろう。
「……なんでしょうか?」
「わかっていないはずがありませんよね? あなただって、自覚していることでしょう」
「それは……」
「まったく、どうして私の言うことが聞いていただけないのでしょうか? お願いさえ聞いていただければ、こちらからは何もしないというのに……」
ナルネア嬢は、忌々しそうにそう言った。
ただ、私はマグナード様から聞いている。私が大人しくしていても、ナルネア嬢は何かしらのちょっかいをかけるつもりだったということを。
マグナード様はナルネア嬢のことを少しだけ調べたようだが、彼女の人間性というものは思っていた以上に最低なものだったらしい。
立場の弱い者をなじり楽しむ。それがナルネア嬢という人間だ。
彼女は多くの取り巻きを連れているが、その中で本当にナルネア嬢を慕っているのは、恐らく少数だろう。
自分が標的にならないために、彼女に従っている。そういう人も多そうだ。
「……まあ、とりあえずついて来てください」
「えっと……」
「ついて来い、と言っているのです。あなたに拒否する権利があると思っているのですか?」
ナルネア嬢は、有無も言わさず私を連れて行くつもりだった。
しかし私は、その場を動かない。敢えて動かないようにしている。ナルネア嬢の神経を逆撫でしておきたいのだ。
それは、マグナード様と一緒に立てた作戦だった。
彼女が冷静に物事を考えてしまえば、マグナード様の作戦が破綻する可能性がある。そのため、彼女には怒っていてもらわなければならないのだ。
それによって、私が彼女からの怒りを一身に引き受けることになることについて、マグナード様は心配してくれていた。
ただ、実際に怒りを受けても、私はちっとも怯んでいなかった。この後のことを考えると、なんだかナルネア嬢が滑稽に思えていたからだ。
「言っておきますが、子爵家なんて侯爵家の力を使えば、一捻りできるのですからね? 大人しくついてきた方がいいですよ? 家族に迷惑をかけたくなければ」
「……」
ちなみにナルネア嬢は、実家ではそれ程強い立場という訳でもないらしい。
少なくとも、彼女の父親であるオルガー侯爵は、娘に懇願されたからといって、他家を滅ぼしたりするような人ではないそうだ。
つまりナルネア嬢は、虎の威を借る狐のように威張り散らしているともいえる。そう考えて、私は彼女のことを本当に哀れに思っていた。
◇◇◇
私は再び、ナルネア嬢とその取り巻きに囲まれることになった。
囲まれている場所は、以前と同じ校舎裏だ。彼女達にとって、ここが人を追い詰める最適な場所ということなのだろう。
「さて、まずはあなたが何をしたのかを確認しておきましょうか? マグナード様と親密にしていたことは自覚していますよね?」
「……」
「黙っていても、話は進みませんよ? 沈黙は肯定と受け取ります」
ナルネア嬢は、以前と比べてかなり熱くなっていた。
あくまで取り巻きに任せて、自分はその様子を楽しむ。前の彼女は、そんな感じだったはずである。
やはり、煽った効果が出ているのだろうか。興奮したナルネア嬢は、私にぐいぐいと詰め寄ってきている。
「マグナード様は、あなたみたいな女が親しくしていい方ではないのです。あの方に相応しいのは、私のような高貴な人間……あなたのようなカスが、色目を使うなんて許されることではないのですよ!」
「ナ、ナルネア様……?」
「ど、どうされたのですか?」
ナルネア嬢は、凡そ高貴な人間とは思えないような言葉を発していた。
それに対して、彼女の取り巻きが少し引いている。いつもこういう現場に同行している彼女達が動揺する程に、ナルネア嬢は興奮しているらしい。
しかしよく見てみると、ナルネア嬢の様子はおかしいような気がする。
彼女は、確かに怒っている。しかしなんだか、焦燥感というか、私への怒りというよりも焦りからこの行動をしているように思えるのだ。
ナルネア嬢は、何かに恐怖しているようだった。
それを彼女自身が自覚しているかどうかはわからないのだが、とにかくナルネア嬢には覇気がない。
「はあ、はあ……」
「ナルネア様、少し落ち着いてください」
「大丈夫ですか? 体調が優れないのではありませんか?」
「う、うるさい!」
「ひっ!」
様子がおかしいナルネア嬢のことを、取り巻き達は心配していた。
しかし、それを彼女は突っぱねる。味方に激昂するなんて、ひどい話だ。いい気味だとも思うが、ほんの少しだけ取り巻き達に同情してしまう。
「……みっともないですよ、ナルネア嬢」
「……え?」
そして、ナルネア嬢も取り巻き達も、この場の異様な雰囲気によって、周囲の様子にまったく気が回っていなかった。
だから、校舎の方からマグナード様がやって来ていることには気付けなかったようだ。
マグナード様は、冷徹にその目を細めてナルネア嬢のことを見ている。今の彼には、容赦も情けもないだろう。いつもとはまったく違うその目が、それを表している。
「マ、マグナード様……」
「こんにちは、ナルネア嬢」
マグナード様がやって来たことに対して、ナルネア嬢は目を丸めていた。
本当にまったく予想していなかったのだろう。彼女は固まっていた。何も言わず、マグナード様のことを見ているだけである。
「あなた方が何をしているのかは、聞くまでもありませんね?」
「そ、それは……」
マグナード様は、ゆっくりとナルネア嬢との距離を詰めていた。
ナルネア嬢は後退しようとしているが、彼女の後ろにあるのは壁だ。これ以上後退することはできない。
ちなみに取り巻き達は、マグナード様を止めようとしていなかった。彼の迫力に気圧されて、動けなくなっているのだろう。
「忠告はしたはずですが、聞いてもらえなかったのですね。非常に残念です」
「ちゅ、忠告……」
「僕はあなたのことを敵であると認識しています。容赦するつもりはありません」
「い、嫌っ……」
ナルネア嬢は、か細い声で怯えていた。
あの威勢の良かった彼女が、今は見る影もない。彼女がこんなにもマグナード様に怯えるなんて、少し意外である。
ただ、忠告というものの内容を私は知らない。もしかしたら、そこでとても恐ろしいことがあったのかもしれない。
いやそうなると、そもそもナルネア嬢が私を詰めるのがおかしいだろうか。忠告の内容が怖いものだったなら、こんなことをする意味がない。
なんというか、ナルネア嬢の行動がわからなくなってきた。まあその辺りは、後でマグナード様から色々と聞いてみればいいだけか。
「そんなに怯えないでもいいではありませんか。別にとって食おうという訳でもないのですから」
「ち、近寄らないで」
「ええ、これ以上近寄るつもりはありませんよ。ご安心ください」
ナルネア嬢は、ゆっくりとその場に尻餅をついていた。
なんというか、完全に心が折れてしまっているようだ。
そんな弱々しいナルネア嬢の様子に、取り巻き達は少し引いている。曲がりなりにも自分達を牽引していたものが崩れ落ちる様には、思う所があるようだ。
「ですが、思っていた以上に呆気ないものですね。どうやらあなたは、そんなに強い人ではないようだ。故に改めて、忠告しておきますね。二度と、他者を害するようなことをしないでください。イルリア嬢だけの話ではありません」
「あっ、くぅ……」
「僕はあなたのことをいつでも見ています。それをどうか、お忘れなく」
マグナード様の冷徹な言葉に、ナルネア嬢は力を失っていた。
恐らく彼女は、もう私を詰め寄ったりすることはないだろう。そう思えるくらいに、彼女は深い暗闇に落ちているような気がした。
◇◇◇
「それで、マグナード様は一体何をされたのですか?」
私はマグナード様と、教室に戻って来ていた。
放課後であるため、周りに人はいない。故に私達は、ここで話すことにしたのだ。
「何を、とはどういうことでしょうか?」
「ナルネア嬢のことです。彼女があそこまで怯えるなんて、何か理由があるのかと思って」
「理由、ですか……それについては、あまり話したいことではありませんね」
私の質問に対して、マグナード様は苦笑いを浮かべていた。
もしかしたら彼も、かなりあくどいことをしていたのだろうか。そうだとしたら、それを聞くのは少々気が引ける。
とはいえ、これは私にも大いに関わっていたことだ。だから聞いておくべきだろう。何があったのかということを。
「今回、僕は冷静ではありませんでした。その自覚はあります。まあ、ナルネア嬢のことは前々から気になっていたというのもありましたが、少々ひどいことをしてしまったと思っています」
「前から……なるほど、まあ彼女のことですから、今回のようなことは何度もあったのでしょうね」
「ええ、ですから信頼できる人を……この場合、部下というのが正しいでしょうかね。彼女の取り巻きに紛れ込ませていました」
マグナード様の言葉に、私は少し驚いていた。
まさか、私を問い詰めていた人の中に、味方がいたなんて驚きだ。
それが誰であるかは、正直まったくわからない。強いて言うなら、役目をまったく果たせていなかったし、見張りとかだろうか。まあ単純に、間抜けていただけかもしれないのだが。
「まあ結局の所、彼女の行動は目に余りましたからね。少々、痛い目にあってもらわなければならないと思いまして」
「痛い目……」
「今回は恐怖を植え付けるという方針で動きました。具体的には、彼女には監視をつけておきました」
「それは……」
ナルネア嬢の恐怖、その理由が私は理解することができた。
マグナード様によって彼女についていた監視、それが原因だったのだろう。
彼女は、人の目に怯えていた。四六時中視線を感じているという状態は、はっきりと言って苦痛だっただろう。
「令嬢を監視するなどという方法は、かなりあくどいものだったということは自覚しています」
「……仕方ないことだと思います。仕掛けてきたのは、ナルネア嬢の方からですからね」
「ええ、僕も自分の判断が間違っているとは思っていません。彼女を自由にさせておくことは、僕にとってデメリットでしかありませんからね」
ナルネア嬢は、真っ当な方法でマグナード様との関係を深めるべきだった。
他者を害するのではなく、尊重して行動する。そうしていれば、マグナード様だって快く彼女からの好意を受け入れられたはずだ。
結果として、ナルネア嬢はマグナード様を敵に回してしまった。それが過ちだったのだ。




