74『メンチカツは異世界の味』
翌日の土曜日。
俺は鯨山さんのマンションまでルーシェルを迎えにいき、ふたりで吉祥寺へと向かった。
ルーシェルはこっちに来てからほぼ西新宿周辺の狭いエリアしか知らない。
気晴らしにどこかへ連れてってあげようとは思っていたので、この「デート」は良い機会だった。
どこに行こうか悩んだが、最終的に吉祥寺にした。
吉祥寺という街は、駅の北口側がショッピングや飲食のエリア、南口側が井の頭公園のある自然豊かなエリアで、コンパクトで歩きやすい街なのだ。
新宿……渋谷……池袋……は、お姫様にはちょっと刺激が強すぎるかもしれないし……うん。
俺に寄り添うようにして歩くルーシェルは、北口側の雑貨屋や商店に並ぶ異世界にはないモノを興味深そうに見ては、それがどういうものなのかを俺に聞いてきた。
「ユウト様、これは椅子……なのでしょうか? 体が沈み込んで……ああ、信じられないくらい快適です。このままここで寝てしまいたいほどに」
「……それは俗に「人をダメにするソファー」と呼ばれている危険なやつだ」
「人をダメに? そんな呪物をこっちの世界では普通に売っているのですね。あぶないところでした」
さて昼飯はどうするかな……う〜ん、吉祥寺か。
ぶぶか……いや、吉祥寺には他にもラーメン屋が多いんだよな。
一駅となりの西荻まで行けば、うますぎるタンメンの店もある。
そうじゃないだろ! ラーメンからはなれろ!
もっとお姫様に似合う……なんだろう、イタリアンとか、フレンチとかさ。
「ユウト様、あれを食べてみたいです」
「……ん? メンチカツ?」
ルーシェルは吉祥寺で有名なメンチカツの店を指差した。
お姫様とメンチカツ……不思議な組み合わせだ。
行列に並んでメンチカツを買ったあとは南口エリアに移動し、井の頭公園の大きな池のほとりにあるベンチにふたりで腰掛けた。
どこからかストリートミュージシャンのギターの音が聴こえる。
今日は1月にしては気温が高くてのどかな休日だ。
「やっぱり思った通りでした! これは私が育った国の宮廷料理・シャンポリオンにそっくりです! まさかこんなところでシャンポリオンが食べられるなんて……驚きです!」
「メンチカツが宮廷料理になってるのに、こっちがビックリだよ!」
ルーシェルは池の鴨を眺めながらしあわせそうにメンチカツを頬張っている。
その異世界のお姫様の可憐な横顔を見ていた俺は、いまのうちに確認しておきたいことがあるのを思い出した。
西新宿ギルドの人間がいないこの場所なら聞くことができる。
「なあ、ルーシェル……君はこれからどうするつもりなんだ?」
「…………え?」
「こっちに来てしまって、ずっと身元不明の記憶喪失の人間として生きていくわけにもいかないだろ。今後のことも考えていかないとな」
「それは……あの……」
彼女は視線を落とした。
手袋をしている拳をぎゅっと握っている。
「私の望みはユウト様と一緒にいることだけで……ただ、それだけなんです」
ルーシェルがこっちの世界に来るのに使ったダンジョンXは消滅してしまった。
世界中にある他のダンジョンは変わらず残ってはいるが、それが異世界と繋がっているかどうかわからない。
自分としてはルーシェルは異世界に戻るべきだと思っている。しかし彼女が二度と異世界には戻れないケースも想定しておいた方が良いかもしれなかった。
その場合は彼女の身分がいつまでも「身元不明」というわけにもいかないだろう。
どうすればいいのか……。
頼りになりそうな人は────ひとりだけだった。
俺とルーシェルは井の頭自然文化園で動物を見たりリスと戯れた後に、電話でアポを取ってから渋谷区松涛の屋敷へ向かった。
久留里の父親……巨大企業「イマイグループ」の会長と会うためだ。
会長は自室の机の上で趣味のガンプラ制作をしていた。久留里は好きなユーチューバーだかアイドルだからのライブに行っていて不在らしい。
会長とはダンジョンXが消失した直後にそのことを伝えて、一度状況を見に来たときに会って以来だった。会長は忙しくすぐに去ってしまったので、そのときにルーシェルのことは伝えてはいなかった。
「なるほど。そちらのお嬢さんがダンジョンXで救出されて、そして記憶喪失で身元がわからない……と」
「はい。現在は西新宿ギルドで保護しているのですが、彼女は国籍も戸籍もないので長期的には非常に生きづらくなると思うんです」
「世界ダンジョン機構が発行する仮身分証では限界があるだろうね。結局は“正式な市民ではない”という状態は変わらないのだから」
「……はい」
異世界でのルーシェルはハイナスタリ王家のお姫様で、市民の上に立つ存在だった。しかし現在は市民ですらない。
俺はとなりのルーシェルを見た。彼女が自分の置かれた状況を完全に理解できているのかは怪しかったが、それでも俺と会長の会話を真剣に聞いていた。
「もしもこのまま、お嬢さんの記憶が戻りそうにないのが確定した場合ですが……」
今居会長は革製の大きな椅子から立ち上がり、ルーシェルの前に来た。
「そのときは私があなたの戸籍創設のお手伝いをいたします。もちろん時間はかかるでしょうが、それでもイマイグループが動けばなんとかなるでしょう」
「ありがとうございます今居会長! そこまでしていただけるなんて……どうすればいいかお知恵をお借りに来ただけだったんですが……」
「彼女はダンジョンX内での遭難者です。そして消滅してしまったとはいえダンジョンXはイマイグループが所有していました。お力になるのは当然だと思います」
頼もしい。さすがは巨大企業の会長だった。
「だけどね……奥野さん」
「はい」
「戸籍ができても彼女には社会生活の中で必要な保証人もいない、手術の同意でも困ることもあるでしょう」
「そう……ですね」
「なのでルーシェルさんがこの国で生き続けるのならば家族を持つ……つまりご結婚されるのが一番なのかもしれないですね。もちろん結婚しなくても生きてはいけますがね」
「結婚……」
今居邸を出た俺たちは、鯨山さんとルーシェルが住むマンションに歩いて向かうことになった。
そこそこ距離はあるのだが、ルーシェルがもう少し一緒にいたいと言ったからだ。
俺はルーシェルをほっぽり出したりはしない。
だけど世の中、なにが起こるかなんてわからない。そのとき学歴も職歴もない彼女は何もわからないこの世界で生きていけるのか?
結婚……か。
たしかに彼女は結婚すれば、その夫だけじゃなく夫の親や兄弟も家族になるわけだから、なにかあっても完全な孤独にはならないんだよな。
「ユウト様……今日はずっと一緒でとってもしあわせでした。シャンポリオンもとっても美味しかったです」
「シャンポ……ああ! メンチカツね、あそこのは美味しいからね」
「…………勝手にこちらの世界にやってきてしまった私のために色々と考えてくださって……ありがとうございます」
少し前を歩いていたルーシェルがぴょんとジャンプするようにして振り返った。その顔はいたずらっぽい感じにも見えた。
「でも婚姻関係を結ぶなら……私はユウト様以外ありえませんからね」
次回
エピソード75『今年初の運営会議』




