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71『にほんごのおべんきょう』

翌朝、オフィスに西新宿ギルドメンバーと雪奈が集まった。


俺は全員に“この女性は記憶を失っている”と説明した。

雪奈はオフィスの大きな窓の近くに立って新宿の風景を眺めているルーシェルをちらりと見た。



「あの人の言葉が分からないのに、なんで勇人くんは記憶喪失だってわかったの?」


「え? ええと……ジャスチャーだよ! あとはイラスト……とか……」


「記憶喪失のジェスチャー? イラスト? でもたしかにダンジョン内で遭難した人が記憶障害になることがあるって話は聞いたことあったかも」


「世界ダンジョン機構はそういう人たちに特別な身分証を発行してくれる。その申請をして記憶を取り戻すまでしばらくうちで保護してあげようと思うんだ……責任は俺が取るから」



こうするしかない。

警察や入管に預けたら、彼女を異世界に帰すことは二度とできなくなる。

万が一、彼女が調べられて「歴史上はじめて確認された異世界人」だとバレたら、国家レベルの騒ぎになるだろうし。


昨晩、「君はとんでもない存在なんだよ」と俺から聞かされたルーシェルは自分の身分をすべて隠すことに納得してくれた。



ダンジョンX内のアイテムボックスから手に入れたモノの相場を調べている真希はPCの画面を眺めながら話す。



「勇人がリーダーだからあなたの決断には従うけれど、言葉で意思疎通が取れないのは不便ね」


「それなんだけどさ、ダンジョンXがかなりキツかったら明日から西新宿ギルドは休みにしようと思うんだ。その間に彼女には日本語を学んでもらおうかと思ってる」


教えるのは俺だ。






そして1週間の休暇のあと、オフィスでみんなと再会した。

ルーシェルのネイティブすぎる日本語に全員が驚いている。



「こうやって皆さまとお話しできるようになって、とても嬉しいです」


「すっご! 完璧すぎ! ユッピーどうやったの!?」


「ふふふ、企業秘密だ……ヒントはスキルの応用だな」


「ユッピーのスキルに言葉の勉強に使えそうなのあったかな? う〜ん、う〜ん?」



この1週間、ルーシェルにはホテルに宿泊してもらい、スキルを使うためにダンジョンに毎日一緒に通った。


ダンジョンXは消滅してしまったので、通ったのは中野Cダンジョンだ。

中野Cダンジョンは地下一階層ならモンスターが出現せず安全だった……新月の夜はランダムでボスモンスターが出るけど。


自分が人生ではじめて入ったダンジョンに今度は日本語のお勉強のために入ったのだから面白い。


日本語学習に使ったスキルは俺のじゃなくて、ルーシェルの「触れた人間の過去を読む」スキルである《追憶眼(エコーズアイ)》だ。

このスキルが言語学習に使えるというのはルーシェルからの提案だった。


追憶眼(エコーズアイ)》は具体的には触れた相手の“記憶の中の会話”や“経験”を読む能力だ。

だから単語暗記ではなく何千時間分の会話経験を一気に再生する。


それを学習の補助として使いながら、日本語会話や、ひらがなから漢字までの読み書きを覚えていった。


俺の手に触れて《追憶眼(エコーズアイ)》を使っていたルーシェルは、小学校低学年の漢字の書取りの手を止め、少しだけ不思議そうな顔をした。



『どうした?』


『……いいえ。少しだけ、懐かしい感じがしただけです、学習を続けましょう』



最初は幼児レベルの文法や語彙からスタートし、敬語の感覚や日本語の間を覚え、最後は大人の語彙を習得していった。



「わたくしはルーシェルでございます。皆さま以後お見知り置きを」



ルーシェルはスカートの両端を軽く持って片足を後ろに引いた。そして膝を曲げて軽く沈むと頭を少し下げる。まさに王家の姫という優雅で気品のある動きだ。

さらっと本名を言ってしまったが……まあ、名前くらいなら問題ないか。


「ルーシェル?」と真希が俺の顔を見てくる。

「ルーシェルってたしか……」と雪奈も俺の顔を見てくる。



ああ……そうでしたね。

たしか真希が俺のアパートに泊まったときに俺は「ルーシェル」と寝言を言ってたらしいですね。そしてそのことを雪奈も知っているんでしたね。


また苦しい言い訳をしないといけないのか……なんて面倒なんだ……。



そして数日後。

色々ありすぎた今年も、残りあとわずかとなった。


ルーシェルを滞在させているホテルのロビーには大きなクリスマスツリーがまだ残っていて、その横に門松が並べはじめられている。

キャリーケースを引く音と観光客のざわめきが混ざり、年末特有のどこか落ち着かない空気が漂っていた。



何事もなく年越しできるかと思っていたのだが、しかしそうはいかなかった。

ルーシェルが泊まっているホテルから「長期滞在なので身分証を確認したい」と言われてしまったのだ。


まだ世界ダンジョン機構からはダンジョン内遭難者の特別身分証が届いていない。

いや……あったとしても身分証としては微妙なものだろうけど。


それと、現在ルーシェルと並んでホテルのフロントに立っているのだが、ロビーを見渡すと人で溢れ、しかも様々な国からの訪問者たちがいるのが気になった。

国家レベルの重要人物であるルーシェルが暮らすにはホテルは人の目に触れすぎかもしれない。


ルーシェルの荷物をまとめてチェックアウトし、新宿のホテルから西新宿ギルドのオフィスまで歩いた。

荷物はほとんどが服だ。


ルーシェルがいま着ているキャメル色のコートにシンプルなニット、紺のロングスカートは俺が用意したファストファッションだった。

それなのに彼女が着ると、まるで高級ブランドの服のように見える。



「私はユウト様にお会いできるなら住まいはどこでも構いません」


「俺だってなるべくルーシェルはそばにいて欲しい」


「え…………」



冬の朝の凍えるような寒さで白くなっていたルーシェルの肌は電気ストーブのように赤くなった。



「そそそ……そんな……嬉しすぎる愛のお言葉を……ああ、気を失ってしまいそうです!」


「心配だからだぞ! 君はほんとに自分の立場わかってんのか……まったく」



西新宿ギルドは今日で仕事納めだ。

大掃除をするほど物はないので、ちゃっちゃと片付けをしたあとは細かい連絡事項があるくらいで終わりだった。


雪奈は西新宿ギルドの人間ではないが、このフロアは年明けまで入れなくなるので自分の荷物を片付けにきていた。



「そう、ルーシェルさんはホテルを追い出されちゃったのね……じゃあ勇人くんのアパートに?」


「いやいや、そういうわけにもいかないだろ……」



男女だし、寝言のせいで微妙にルーシェルとの関係を怪しまれているしな。


ちなみにルーシェルという名前は俺が昔にやったゲームのキャラで、それを「記憶喪失状態」の彼女に名前としてあげた……ということで誤魔化した。


じゃあ真希か久留里の家でルーシェルを預かってもらうのは……。

う〜ん、なんだろうかこの嫌な胸騒ぎは……。



「あの、奥野さん……お困りのようでしたら私のマンションでルーシェルさんが暮らすのはどうでしょうか?」


「鯨山さんの?」


「西新宿ギルドが用意してくれた社宅みたいなものですし、部屋もあまっているんです。私は山梨からひとりで上京してきて友達もいませんから、きっとルーシェルさんの寂しいお気持ちも理解して寄り添ってあげられるかもしれせん」



鯨山桃さん……あなたは天使かなにかですか?




次回

エピソード72『初詣』

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