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境界  作者: 萌千兎さら
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05. 花火

夏休みに入ってからも、(つむぎ)はほとんど毎日玲衣と一緒に過ごしていた。

玲衣(れい)の家でゲームをして、図書館でお互い好きな本を開き、ファミレスでドリンクバーで長居して、海辺を歩いた。

どれもささやかな時間なのに、どの日もやけに眩しくて――毎日が本物の青春みたいにきらめいていた。


「紬、明日は十八時くらいに駅前でいい?」

「うん、了解」

「じゃあ明日な!」


玲衣が自転車に跨ったまま、軽く拳を突き出す。

紬も少し照れながら拳を合わる。


……明日が待ち遠しい。



紬が家に帰ると、廊下の空気はすでに重く沈んでいた。

階段の下で、優一郎がドアを荒々しく閉める音が響く。


やば……。


優一郎は受験期の夏休みで、昼間も家にいることが増えていた。紬は目を合わせないように俯き、おずおずと靴を脱いだ。


階段の上から、優一郎の鋭い視線が突き刺さる。


「お前さぁ、最近よく出掛けてるよな。何してんの?」


「え、えっと、図書館に宿題しに……」


「そんなん家でやればいいじゃん」

「図書館の方が、涼しいから……」


「はぁ?」

優一郎の眉間に皺が寄り、体が反射的に強張る。


次の瞬間、胸ぐらを掴まれて玄関のドアに押し付けられる。

息が詰まる。

平手が振り上げられた瞬間――


「優ちゃーん?」

リビングから母の声が飛んで来る。

「何?今行くから!」

優一郎は乱暴に紬を突き放すと、舌打ちをし、リビングへ向かう。


「勉強、一旦休憩したら?お友達にお菓子頂いてね」

母の優しく穏やかな声。

二人の話し声を背中で聞きながら、紬は階段を駆け上がり自室へ逃げ込んだ。


暗い部屋の中でドアに背を預け、ホッと息を吐く。

「……明日、楽しみだな」



待ち合わせの駅前から神社へ向かう道には、同じ行き先と思われる人たちがゆるやかに歩いていた。

途中のコンビニの軒先では焼きそばの甘辛いソースの匂いが、空気を少しだけ焦がしている。


「小さい神社なのに、賑わってるね」


「調べたら、川向かいの花火がよく見えるんだってさ」

「そうなんだ。楽しみだな」


普段は静かな参道も、今日は人の波でゆっくりと動いていた。石段を登るたびに夜の空気が熱を帯びる。

視界が開けた先には、提灯のオレンジ色の光が宙に浮かぶように揺れていた。


「へぇ……いい雰囲気じゃん!」

玲衣が息を漏らす。

提灯の明かりがゆらいで、紬の頬に赤を落とす。


射的とか屋台とか、そんなものよりも――紬が笑うたびに周りの音が消えていく。

祭りの喧騒が遠のき、玲衣の目にはもう紬しか映らない。

二人だけの声、二人だけの熱。


「そろそろ花火、上がるかな」

スマホの画面を見つめながら、玲衣は自分の鼓動が速くなっているのを感じる。

「紬、どこかで座って見ようか」


「その前にお腹空かない?俺、何か買ってくるよ。今日は俺の奢り」

紬が、玲衣の横顔を見て微笑む。

灯りがその笑顔を照らし、瞬く間に、夜が柔らかく色を変える。


玲衣は呼び止めかけた声を飲み込む。

紬の背中が、灯りの粒の中に溶けていくのを見ながら、胸がじんわりと温かくなった。


玲衣は人混みを避け、縁石に腰を下ろした。まとわりつく夏の夜風が生ぬるい。


――なんか……俺、紬といい雰囲気だよな。


遠くを歩く恋人たちが、肩を寄せ合っている。

ふと、思ってしまう。

もし俺が女だったら、あの中に並んで歩けたんだろうか。


紬とこんなに仲良くなれた。それで満たされればいいのに、どうしてももっと深い繋がりを求めてしまう。

未来なんて描けないのに。

あの席替えの日から、加速度的に膨らんでいく自分の気持ちを制御出来なくなっている。


「玲衣、さがしたよ」

焼きそばのパックを手に紬が駆け寄ってくる。

少し汗ばんだ頬が提灯に照らされて、火照って見える。


「ごめん、座って花火見れそうなとこ探しててさ。ここ、良さそうだろ?」

「そうかな、少し木が邪魔な気がするけど」

紬は玲衣の隣に座り、割り箸を差し出す。


「ありがとな!」

二人同時に箸を割る音が、祭りのざわめきに溶けた。

紬は美味しいと言って無邪気に微笑む。


人懐っこい可愛らしい表情。

俺の前でだけ見せてくれる。


本当は花火よりも、紬と人目を気にせず話せるところを探していた。


「紬はさ、好きな人っていたことある?」

玲衣の口から不意にこぼれた。


紬は驚いたように瞬きをする。

「いや、周りにカップル多いし…。なんとなく」


「う〜ん……」

「小学生の時、学童でいつも遊ぶ子がいて、好きになったんだよね。でもその子、俺の友達のこと好きみたいでさ。結局見てるだけで…」

紬は苦笑する。


「その子って、女の子?」

「うん、そうだよ」


分かっているはずなのに胸の奥に重りを押し込まれるように苦しくなる。


「それからは、あんまり好きな人とか、恋愛みたいなのはないかな。玲衣は?」


「俺は………」

ここで今、お前のことが好きで仕方ないって言えたらどんなに楽だろう。


「玲衣、モテそうだもんね」


「そんなことないよ。……むしろ失敗しかしてない」


「失敗?」

紬が首を傾げる。

「……まぁ、色々。笑えないやつ」

もう終わったことだから――そう言い掛けた言葉を飲み込んだ。体の奥から、違う、と声が聞こえる。


「てか、紬は俺がモテるように見えるのかよ?」

茶化すように言ってみせると、紬は小さく笑って視線を落とした。

「玲衣、すごく優しいし……カッコいいし、背も高いし」


「ふ〜ん、じゃあ……俺と付き合う?」


「いや、紬が女だったら」

慌てて冗談めかすと、紬はやっぱりどうかなと笑った。


その瞬間、夜空に大輪の花火が咲く。轟音が胸を叩く。

紬は顔を上げ、目を輝かせて空を見つめていた。


その横顔は、初めて見惚れたその日と同じで変わらず綺麗だ。

こんな風に二人で笑い合って、思い出を共有できるだけでも充分だ。そう思わないといけないと分かってる。


でも……


玲衣はそっと身体を寄せる。木が邪魔して見えないからと言い訳をして。

頬に、首筋に、紬の熱を感じる。


このまま手を握って、抱きしめて、キスをして…舌を絡ませたい。

まだ紬の痣のことだって踏み込めないのに。求める気持ちが止まらなくて、苦しい。


ふいに紬がこちらを見た。

「……玲衣、ありがとう。」


紬の無垢な微笑みが、夜の空気の中で淡く滲む。


花火の音が遠のいていく。

言葉にできない想いはそのままに、

ただこの瞬間だけは、確かに幸せだった。



そしてその日を最後に、紬との連絡が途絶えた。


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