第4こん 「彼女」と「狐」と「ハンカチ」
俺には五つ上の姉がいた。
いや、「いたらしい」というべきだろうか。
母さんは叩いた俺の頬を優しく撫でながらぽつりぽつりと話をしてくれた。
姉は俺が生まれて間もなくいなくなった。
姉との記憶はまるで無く、写真も残っていなかったので俺はずっと一人っ子だと思っていたんだ。
姉はある日の夕方に犬の散歩に出掛けて戻って来なかったと聞かされた。
青年団や消防団、駐在さんや足腰の弱いお爺さんまで総動員で捜索してくれたそうだ。
村の公民館では
「川に落ちて流されたのでは」
「誘拐の可能性もある」
とか。
様々な憶測が飛び交う中、隣の家の湖藤さんちのお爺さんが血相変えて公民館に飛び込んできた。
「これ!成ちゃんのじゃねぇか!?」
それは間違いなく姉がいつも持ち歩いていたスケッチブックだったそうだ。
姉は絵を描くのが好きで、普段は家の中でテキトーに絵を描いていたが、風景画を描きに外に出掛ける事も多かった為、近所の人達からは「将来は絵描きさんだね」なんて言われていた。それを湖藤さんは覚えてくれていたのだ。
「何処にあったんだ!他には何も無かったのか!?」
父さんは湖藤さんの肩を掴みながら前後に揺さぶった。
「落ち着いて聞いてくれ…」
「落ち着いていられるか!俺の娘だぞ!」
荒ぶる父さんを青年団の人達が湖藤さんから引き剥がす。
「これは…白山様の地蔵様の裏で見つけたんだ…」
湖藤さんがそう告げると公民館内のお爺さんやお婆さんといったご年配のみ息を呑み静まり返った。
その場に立ち尽くす者、目を背ける者…ただ下を向き耐える者。
比較的若い、俺の親の世代くらいまでの人間はその異様な空気感に面食らっていた。
この村の近辺には古い言い伝えがあった。
川を挟んで山の方に向かうと鳥居がある。
何十何百という赤い鳥居が連なっている。
そこは白狐山と呼ばれ古くから白い狐が祀られていた。
そこの狐は何十年、または何百年かに一度人里に降りてきて嫁や婿を探して連れて帰るそうだ。
白山様では過去にも若い青年や女性、子供が行方不明になった事がある。
そう、白山様は此岸と彼岸の狭間であり狐と人との結納の場だったのだ。
俺のひいばあちゃんが「子供の頃に聞いたことのある怖い話」と教えてくれた。
恐らく姉は狐に見初められて連れて行かれてしまったのだ。
過去には白山様を取り壊そうという動きもあったようだが彼岸から此岸に戻る手立てがあるとすれば白山様を取り壊すのはあまりにも非情なのではという意見もありそのまま放置されていたそうだ。
…ここまでが母さんとひいばあちゃんから聞いた白山様と白狐山に纏わるエピソードだ。
恐らく「彼女」は狐だろう。
金眼銀髪の少女が現れてからはお地蔵様の尻尾は消えていたし、村の誰も彼女を噂しないのは可怪しかった。
恐らく周りの人達には彼女が見えておらず、俺が独り言を言っている様に見えてたのではないだろうか。
母さんは俺を近づけたくなくて頬を叩いたのだろう。
自分の子供が二人とも狐に攫われる気持ちは想像もつかない。
が、俺は「彼女」に会いたかった。
俺は惹かれていたのだ。初恋と言ってもいい。
しかし、母さんも好きだ。父さんも好きだ。
おばあちゃんも、ひいばあちゃんも。
数少ない友達も、犬のジャックも。
皆大好きだったからそれらを全てを捨てて「彼女」に付いていくのは幼い子供には決断出来なかったのだ。
俺はその日から白山様には行かなくなった。
淡い恋心を胸の奥に鍵を掛けて仕舞った。
ハンカチは返せないままでいる。




