百物語
新入生歓迎の季節が過ぎ、梅雨の終わりとともに夏が近づいてくる気配を感じ始めた頃、私たちオカルト研究会の新入生四人は夜の部室へと集まっていた。蝋燭を立て、その仄暗い光を囲んで百物語を始める。この百物語はオカ研の新人メンバーが行う伝統行事だった。
「俺たちで見事百物語を完遂させようぜ」
隼人の言葉に、紅一点の真奈と、お調子者の拓海、そして口数の少ない圭介も、興奮した面持ちを浮かべた。
最初の数話は、皆が持ってきたとっておきの話で盛り上がった。誰も聞いたことがないような奇妙な体験談や、ゾッとするような怪談が続き、蝋燭の炎が揺れるたびに、部室に張り詰めた緊張感が走る。しかし、何巡かして40話を超えたあたりから、誰もが知っているような話ばかりが続くようになり、次第に飽き飽きとした空気が部屋を満たし始めた。
「つまんねー、もうやめようぜ」
拓海がうんざりしたように声を上げると、隼人が不機嫌そうに言った。
「まだ半分じゃねぇか。最後までやりきると決めたんだろ」
二人の間に険悪なムードが漂い始めた。それを真奈がなだめようとする。
「まあまあ、二人ともイライラしないで。それにしても、先輩が言ってた通りね。先輩が絶対に100話まで続かないって言っていたの。理由聞いても教えてくれなかったけど、こういうことだったのかな」
真奈の言葉に、拓海は露骨に嫌そうな顔で答える。
「正直、知っている話ばっかりでウンザリする」
拓海のそんな態度に、圭介が鋭く食いついた。
「おい、それを言うならお前だろ。ネットのまとめサイトから拾ってきたような話ばかりしてんのは」
圭介の言葉に拓海が怒りの形相で立ち上がる。真奈が間に入ってなんとか喧嘩を止めようとしたが、拓海は「もうやってられっかよ!」と吐き捨て、部室を飛び出していってしまった。しかし誰も彼を引き止めなかった。ただ、三人は黙って部屋を出て行く拓海の背中を見送った。
拓海がいなくなり、さらに白けた空気が部屋に充満する。
「もう、やめよっか…」
真奈がそっと呟くと、隼人は悔しそうに顔を歪めた。
「俺、最後にとっておきの話を残してたのになぁ…」
そう言って、隼人はガックリとうなだれた。だが、すぐに顔を上げ、立ち上がって部室の照明をつけた。
それまで蝋燭の灯りだけだった部屋が、一瞬にして眩しい光に包まれる。昼間とは違う、無機質な明るさの中で、私たちは急に現実に戻されたような感覚に陥った。
「残念だけど、今日はここまでだね」
隼人はそう言って、蝋燭の火を吹き消した。
後日、真奈は先輩に百物語の顛末を話した。
「というわけで、先輩の言った通り、途中で終わっちゃいましたよ」
そう報告すると、先輩は複雑な表情で頭を掻いた。
「いや、そういうことじゃなかったんだけどね…」
「え?どういうことですか?」
「実は、あの部室で百物語をすると、途中から変なことが起こるんだよ。まずは部屋のあちこちからラップ音が聞こえ始める。さらに続けていると、だんだんと人の呻く声も聞こえてくる。やがて風もないのに蝋燭の火が全て消えると、真っ暗闇の中で、部屋の中を動き回る"なにか"の気配を感じるんだ」
先輩は目を細めて、かつて自分たちが行った百物語の日の記憶をたどるように続けた。
「俺たちのときは、それだけでみんなパニックになって、百物語どころじゃなくなっちゃったんだけど。歴代の先輩たちもみんな同じような経験をしてるらしいから、毎年、新入生への最初の試練となっているんだよね…」
「え、じゃあ…」
「だいたい例年90話くらいまで皆頑張って、もう無理ってなるんだ。だから、まだ何も怪異が起こっていない段階で終わったのは前代未聞だよ」
そう言って先輩は苦笑した。
真奈は先輩から聞いた話を、すぐに隼人と拓海と圭介に伝えた。拓海と圭介は「そういうことは最初に教えてくれよ」と悔しそうに顔を見合わせた。
「お前が先に帰ったからだろ!」
「うるせぇ!」
また始まった二人の言い争いを、隼人はただ黙って眺めている。その表情は、真奈が先輩から聞いた話を皆に伝えたときから変わらなかった。まるで、何かを知っていたかのようだ。
「ねぇ、隼人はもしかして…このこと知ってたの?」
真奈が尋ねると、隼人は真奈の顔を見て、気まずそうに頭を掻いた。
「ごめん…、実は知ってた」
「ええっ!なんで教えてくれなかったの?」
3人の批判に満ちた視線に、隼人は苦笑いを浮かべた。
「うちのオカ研、今年で創設30年なのは知っているよね。実は、創設メンバーの一人が俺の親父なんだよ」
隼人は声をひそめて続けた。
「親父たちも、この部室で百物語をやって、同じ怪異を体験したらしい。でも、親父たちは意地でも最後までやりきったんだって。そうしたら、さらにとんでもない恐ろしいことが起こったって…」
「何が起こったの?」
真奈は思わず身を乗り出した。
「それはちょっと……。ただ、それから百物語はオカ研の伝統となった。しかし親父たちの代以降で最後までやりきった世代はいないらしい」
隼人はそこで言葉を区切ると、にやりと口角を上げた。
「だから俺は、親父から聞いたその話を、百話目にしようと思ってたんだ。そして、親父たちが見たという“とんでもない恐ろしいこと”を、この目で確かめたかったんだよ」
そして、その後に言った隼人の言葉に、真奈と拓海と圭介は顔色を変えた。
『本当に恐ろしい怪異は、百話目を語り終えた後に始まる。それが真の百物語』
それを聞いた三人は、心の底からぞっとした。
もし、百物語が最後まで続いていたら、何が起こっていたのだろうか。
そして、隼人が語ろうとしていた百話目の話は、一体どんな話だったのだろうか。