第6話
なるほど。僕の病室があった新しい棟の隣の旧棟、その更に端っこのこの辺鄙な場所は喫煙所でしたか、灰皿の置いてあるだけのただの建物の隙間だ。新棟にも立派なのがあったが人目を避けているのだろう。
「だ、誰にも言わないでよ……」
「言わないですけど……成人してるとはいえ有名人なんだからもう少し気をつけた方がいいんじゃないですか」
涙目のひなたは、昨日までよりも素が出てる気がしてなんだか話しやすい。
「こんなとこ誰も来ないわよ、それでなんで昨日は無かったギプスなんかしてるの?」
自分でも忘れていたことにびっくりだが、全治1ヶ月という絶望が思い出された。
「ふむふむ、なるほど。パティシエ専攻の桜湊杯かぁ」
二人で瓦礫みたいなコンクリートブロックに座りこみ話をする。ひなたは開き直って何度か僕にタバコを差し出したが、味覚が狂いそうで断固拒否した。
「私の話してもいい?」
「どうぞ、どうせ僕は今日何もするあてがないし……」
ひなたが煙を一息吐いて話し出す。
「私さ、昔から人前とかが苦手だったんだ。すごく緊張しいで、大学に来てからもずっとそれに苦しんでた」
ひなたが緊張しい? 意外だ、カメラを向けられてステージに立つことを選んでいるのに。しかもそれならいつも大勢に囲まれてる時も。
「へへ、まあそうなんだよね。実はまさか日常生活でもこんなに注目されることになるとは思ってなくてさぁ、この病院にも最近からカウンセリングに来てて」
「それはちょっと想像力が足りなかったのでは……」
桜湊杯で優勝すればそうなることくらい想像つくだろう。あまりにもアホだ、という目で見てやる。
「あ、カウンセリングって言っても、今の現状が嫌とかではなくて! 緊張しすぎるのを治すために来てるんだよ私は」
いきなり外面を取り戻すかのように笑って両手を振っているが、手にはタバコがあるので僕に対してのイメージは正直戻らない、アホだ。でも。
「でも……人間らしくていいんじゃないですか。僕よりマシですよ、パティシエになるって言う夢そのものが消えそうなんですから」
ちょっと俯いてしまうと沈黙が訪れた。気まずくてチラリとひなたをみると、思ったより近くからこちらをのぞき込まれていた。大きな目が一層存在感をまして僕を見る。
「なんで? なんで夢が無くなるの?」
「なんで……って、僕は優勝したかったんですよ、来月の桜湊杯で。それでパリに留学して学生の間に実績を作って」
僕が話す間もひなたはこちらを凝視した。なんだか言葉が通じていないような、僕が無意味なことを言ってるような気分だ。
「どうしても優勝したいの?」
「そうです、僕は早く実績を作らないと実家に帰らされるんで」
正直実家の話などしたくなかったが、まあここまでならよくある話だろう。
「じゃあ、ちゃんと桜湊杯に出なくちゃ」
ひなたがいつの間にかタバコの火を消して両腕を腰に当てていた。そんな気合いの入ったように言われても。
「いや、だから僕は利き手がこれだから準備が……」
何度言わせる気なのか、ふと嫌になってきた。どうせなんだかんだと成功したからっていい気になって励まそうとしてきているんだろう、そういう言動は僕は嫌いだ。
「じゃあ、僕そろそろ家に帰るので」
そっぽを向いて立ち上がり、そのまま去ってやろう。いくら暇だとはいえ通じない無駄話をしても気分が悪くなるだけだ。
「……なんですか」
ひなたに手首を掴まれていた。柔らかい手が力強くグンっと僕を引っ張り、体がひなたの方に向かされる。
「私、遊びで励ましてるんじゃないよ。アキくんはクラスAの天才だって病室のお友達から聞いたけど、そんなの聞かなくたって、窓の外から分かった」
クラスBを覗き込んでた時か。
「天才かどうかじゃなくて、ビシッとお菓子に向き合ってる真剣な人だって見てわかったもん。諦めるなんて、見てるこっちがなんだか嫌。う、腕なんかハンデでしょ!」
「は、ハンデ……」
「天才ならハンデくらいくれてやりなさいよ! それで優勝したら、超かっこいいドラマじゃん!」
目の前で、僕以外の人が僕の選択を必死に引き止めている。まくし立てたせいかひなたの顔は赤くて息が荒い。そして僕も気づいたら気持ちが奮い立つ寸前みたいになってなんかモゾモゾする。
黙っていると、ひなたが手でグッドマークを作りこっちに向けてきた。
「いい顔じゃん! 黙ってるってことは、その気になってくれたんでしょ。アキくんのこと応援するよ」
こんな暗くて光も入らない建物の隙間であまりにも明るいひなたは、やはり自ら輝く太陽に見えた。
なんて言ったらいいのかちょっと分からなくて、同じく親指を立てた手を、ひなたの手にコツンとぶつけた。
次回 第7話-前に