第3話
ノックして、ドアを開ける。まだ今日の講義内容を座学中な様だ。
「クラスAの月見です。クラス変更の伝達漏れを伝えに来ました」
「あぁ、月見か。今、いいですよ」
「ありがとうございます」
クラスBの実習講師哀原と話すのはいつぶりか。実習講師の中では最年長、というかやや老ぼれた見た目をしている。
「Aへの移動でまだ来てない学生を呼びます。冬並……しろ?」
貰った名簿でチェックが付いていない欄にあったのは冬並白の文字。しまった、呼び方は確認してこなかった。
気まずくなる暇もなく、1人の学生が立ち上がった。
「あきらです。白と書いてあきらと読みます」
「あぁ、ごめん。では今日からクラスAなので一緒に」
「行きません」
は?
間髪入れずに冬並が続ける。
「俺、まだこのクラスで終わってないことがあるので、Aには行きません。選択の自由はあったような気がしますが……だめでしょうか?哀原講師」
言っている内容の割に人懐っこそうな喋り方で哀原の方を向く冬並。
「うぅん、いいよ」
どうしろというのだ。コックシューズの足音を行きよりもやや荒々しく響かせて歩いていた。
断るなんてクラスAに価値がないと言っているかのようにも捉えられる、迎えに来たエリートの僕への嫌味ではないか。講師も講師だ、あの猫みたいな擦り寄りの笑顔に騙されやがって、どうせBよりキツいAに行きたくなくてサボっているんだ。何よりわざわざ来たんだぞ僕は。それで、それで夏宮ひなたに目を奪われて無駄な時間まで。
頭の中で文句を言いながらズンズン歩いて、前なんか見てるようで見ちゃいない。そんな僕の視界に、突然くっきりとした横顔が飛び込んで来て、近いと認識した瞬間にはぶつかっていた。
「あ、あ、ごめん……」
近い、よりも直前に美しい横顔だと一瞬考えた。ぶつかったひなたの貸しスリッパが僕の目の前に落ちていて本人は尻餅をついているが無事そうだ。しかし僕はわからない。こんな時目の前のスリッパを拾うのかひなたに手を貸すのか、そんな葛藤で心臓がバクバクする。
(やばい、やばい、何かしないと)
俯いていたひなたが僕の方を向き、髪で隠れていた顔が見え――
「す、好きです」
僕の声だ。僕が言った。ひなたが笑っていて可愛くてびっくりして、好きだと思った。冷や汗がブワッと出てくるが僕はひなたの顔からまだ目が離せない。
「びっくりしたねぇ! ごめん、私急いでてぶつかっちゃった」
視界がぐるぐるしてきた、早く弁明しないと。
「違くて……あの、今のは」
「え?」
何か変だ、全開の笑顔で何もなかったかのような顔をしている。まるで僕の声が聞こえていないような。僕がそう逡巡した瞬間、ひなたの顔が申し訳なさそうになる。
「ご、ごめん。さっきから実は、キミの声が小さくて……えへへ」
実は僕は人付き合いが苦手だ、コミュニケーション能力が低くてそれを何度後悔したことか。でも神様、ありがとう。今日に限ってはサイコーだ。
晴れやかな気持ちでひなたに手を差し伸べようと一歩進むと、視界が上に傾いた。
「あっ!」
ひなたの声が聞こえる。僕はスリッパを踏んで、滑った。
次回 第4話-失望