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 ハイジに嫌われて、一週間。

 二人は一度も会うことがなかった。



──ハイジが会いに来てくれないと、会えもしない


 悲しい現実がレオナを打ちのめす。

 キッチンメイドと、公爵令息令嬢の護衛を務めるエリートでは、生きる空間が違う。二人は本来であれば交わることはないのだ。

 レオナは『もしかしたら、ふらりとハイジがやってくるかもしれない』という一縷の望みにかけて、勤務を調整して朝から晩まで休みなく働いたが、彼は来てくれなかった。


 ハイジのスケジュールはすなわち公爵家嫡男の護衛予定そのものであり、屋敷内でも秘匿されている。護衛隊の人間に毎日「ハイジさんいますか?」と声をかけてはみるが、困った顔をされるばかりだった。としばらく鍛錬場には来ていないそうだ。

 レオナの方から彼に会いに行くのは難しく、最悪の場合は『もう二度と彼とは会えない』ということもありえると、レオナは厳しい現実に直面し肩を落とす。


「お貴族様との火遊びなんて、もう忘れたらいいのよ! レオナはモテるし!」


 早朝から深夜まで働き詰めで隈をつくっているレオナに、ついにユナが噛みついた。

 しかし緩やかに首を振るだけで、レオナは言い返すことはない。


「……副料理長に、外の整理しろって言われてるから」

「ちょっと! 私も手伝うわ!」


 厨房から外へと続く階段を上がりユナを振り切ろうとしたが、ユナはしつこく追いかけ「相手が悪かったわね」「でもアンタは可愛いのよ、自信持ちなさいよ」などと言い続ける。

 するとそこへ厨房の先輩たちもわらわらと階段に集まってきた。


「おい、ユナレオナ! 外の整理だろ、俺たちもしてこいって言われたんだよ」

「こんなに人数いるかぁ?」

「まあいいだろ。そんなことより、レオナついにフラれたんだってな!」


 やけに嬉しそうな調子で先輩たちは、忘れろだの男は星の数ほどいるだのと、慰めとも呆れともとれる言葉を降らせてくる。

 その中には、あのダントンがいた。

 そして彼は意を決したように口を開く。


「あのさ、今度シフトが休みの日、俺とランチに行かない? なんつーかほら、気分転換? 俺でよかったら、話聞いてやるよ」


 レオナは内心で『勘弁してくれ』と思った。

 恋に破れたレオナにはもう仕事しかないのだ。

 同じ職場の人に告白などされようものならば、断った後が気まずいことこの上ない。のらりくらりとかわしている現状でもキツいというのに。

 周囲は大盛り上がりで「よく言ったダントン!」「お前から歩み寄ってやって、偉いぞ!」などと、レオナが断るとはまったく思っていない雰囲気だった。

 ここで断ったら角が立つだろう。が、しかし行きたくない。嫌すぎる。


 どうしようかと逡巡したレオナが、もうどうなってもいいから断ろうと口を開く、その直前。





「レオ!!」





 そこへビリビリと腹の底がしびれるような大声が飛んできた。

 声の主の方向を、レオナと同時に周囲の人間が振り返る。そこには一見強そうには見えないひょろりとした長身の男が立っているのだが、その威圧感はまるで獣だ。

 思わず硬直する面々を気にもせず、ハイジの目はただレオナを捉えていた。

 

「レオ、何してんの? 浮気?」


 ずかずかとやってきて、彼は聞いたこともない低い声で問いかけた。


「えっ、いや、あの……」

「こっち来て」


 いつものゆるい調子はどこへやら。

 ハイジは強引に周囲の輪からレオナの体をひっぱりだすと、そのままひょいっと抱えて姫抱きにした。慌てるレオナが見上げるも、彼は真っ直ぐにどこかを見つめている。

 視線の先には、ダントンの姿が。



「え、やだ、ホントにハイジ様⁈ すっごい、レオナってば、付き合ってないとか嘘じゃない!!」



 ひとりだけ空気を読まずに黄色い悲鳴を上げているユナの発言に、ぴくりと眉を動かすハイジ。

 ゆっくりとレオナに視線を落とすと、口元だけを笑みの形に歪めて「へぇ」とこぼした。


「ホントに付き合ってないとか言ってたんだ~?」

「……嘘は言ってない。だってそんなこと、言われてない」

「好きって言ってたけど~? いい大人が、お互いに『好きです』って言っててさぁ……それって、付き合ってるって思ってもいいと思うんだけどなぁ」


 そこでハイジはユナに向かって「ねぇ、どう思う~?」と投げかけた。


「それは付き合ってると思うと思います!! です!!」

「だよねぇ。俺もそう思ってるんだよね~」


 こんな場面であるにもかかわらず、レオナの胸は高鳴った。嬉しくてたまらず、叫びだしそうなほど。

 そんな彼女の紅潮した頬に緩んだ口元は、言葉はなくともハイジとの関係性を分かりやすく示す。見ていた周囲の人間は、全員が色々と察した。


 そう、ダントンも。


 絶望的な表情でレオナを見つめる彼に気が付いた同僚たちは、気まずげに視線をそらす。そして「あれは無理だろ」などと囁いて、ダントンの気持ちにトドメを刺した。今まで応援してくれていたはずの同僚たちからの手のひら返しに、ダントンは意気消沈して、力なく頷く。

 ハイジは細い目の奥からそれをしっかりと見ていた。


「いやぁ、厨房の皆さんに理解があってよかった~。あー、そこの……」

「ユナです!」

「ユナちゃんね。レオってば、俺がちょっと仕事で遠征してたらコレだからさぁ。俺が居ない時、これからもどうぞよろしくねぇ」


 ハイジがゆるりと頼めば、ユナは敬礼しながら「ハイッ!!」という勢いのある返事をする。それからニヤニヤとしてレオナを見てくるので、その視線から逃げるように、目をつぶってハイジの胸元に首を傾けた。

 すると背中を支えている腕がぐいっと伸びてきて、頭を抱き込んだ。ハイジのうっすらとした汗の香りに包まれたレオナは、思わず体の力がふっと抜けてしまう。



「じゃあ、ちょっとレオ借りていきまーす」



 まるで普通に歩くみたいに、ハイジは軽やかにその場を離れていく。


 レオナは色々とびっくりはしたものの、ハイジが来てくれたこと、言ってくれたこと、すべてがひたすらに嬉しくて心がふわふわと浮いてしまいそうだった。

 向かう先はやはり東屋のようで、見知った道順をスイスイと揺れもなく進むのに身を任せていると、レオナの頭上からはしょんぼりとした声が降ってくる。


「ごめんねぇ」

「ハイジ?」


 ぎゅっとレオナを抱く手に力がこもった。

 もう一度、真剣にそれを伝えようとしてくれているのだろう、ハイジは「本当にごめん」と繰り返し、黒い瞳を揺らした。

 まるで捨てられた犬のような悲し気な顔に、レオナはたまらなくなった。

 

「私、もう嫌われたと思ってたから……今日な、来てくれて嬉しかった」

「嫌いになんて、なるわけないでしょ」

「だって、わたし、すごく面倒な女みたいなこと言った……!」

「あーもう、かわいい〜」


 ハイジがぎゅむぎゅむとレオナを抱きすくめる。絶対に離さないとばかりに強まった腕の力を嬉しく感じて「よかった」と微笑むレオナの上目遣いに、ハイジはやられたようだ。デレっと眦を下げつつ、困り顔をした。

 

「俺が悪かったの。レオと話し合わずに怒っちゃったでしょ? ちゃんと聞けばよかったのに……しかもいきなり仕事が立て込んで会えなくなっちゃうしさぁ、ホントごめんねぇ」

「私も『私たちの関係って何?』って、怖くて聞けんかったのずっと後悔してたんよ。嫌な思いさせてごめんな」


 「だからお互い様や」と、できるだけ明るい声色でレオナがハイジの頬を撫で、ちょっとつまんで、おどけてみせた。しかしまだ何かが心に引っかかっているハイジは嬉しそうにしつつ、ふっきれない様子だ。


「レオにそんなこと思わせてる時点でさぁ、俺、ダメダメだよねぇ」

「そんなことない! ハイジはさ、ちゃんと、その……付き合ってくれてるつもり、やったんよな?」

「当たり前でしょ~⁈」


 声を裏返しながら、ハイジはそっとレオナを東屋の椅子に下ろした。

 レオナは昼間から堂々とそこを使うことに少し抵抗感はあったものの『ハイジが居れば、見つかってもどうとでもなるのだろうな』と、隣にぴたりとくっついて座ってくるハイジを眺める。

 彼はレオナの頭に頬を寄せて、肩を抱いてきた。


「好きっていっぱい言ってたじゃん~! レオは言ってくれないけど、それは照れてるだけかなって思ってたのにさぁ……え、まって。レオって俺のこと好きだよね……? 言われたことなくない……?」


 少し拗ねたような言い方に、レオナは胸をきゅんとさせた。

 朝までは絶望的な気分で、もう二度と会えないとすら思っていたのに。

 ハイジを傷つけた自分なんかが、本当に愛を伝えてもいいのだろうかと迷う心もある。でもそれよりも、自分のことをもっと好きになってもらいたい想いがレオナの中で勝った。


 恐る恐る伸ばしたレオナの指先は、そっとハイジの胸元に触れる。



「すき」



 いつからだろうか。

お腹を空かせた彼を待っていた。

 会えればうれしくて、会えなければちょっと苦しくて。彼のためにおしゃれをして、休みの日が楽しみになって、笑ってくれたら心が舞い上がって。


──ハイジが行き倒れたあの日、厨房に居たのが私でよかった

──神様に感謝しよう。こんなにも好きになれる人と、出会わせてくれたこと


 そんな思いを指先に込めて、ぎゅっとハイジの服を掴む。


「ずっと、すきやった」

「もー、よかったぁ!! 俺も好き!」


 ガバッと抱きすくめられたレオナは、ハイジの胸元で幸せを噛み締める。

 もぞもぞと動いて彼の首に手をまわして強く抱き返し、二人の抱擁はしばらく続いたが、腕を上げていることで肩が痛くなってきたレオナが「ちょっといったん休憩」と、笑って抜けだして一度途切れた。

 二人は目を合わせたまま、お互いに手を腰にまわしてゆるやかな抱擁のような、近すぎるほどの距離で落ち着く。


「レオはさぁ、俺に何か聞きたいことある~?」


 もうすれ違うのはごめんだと、ハイジはレオナとの間の認識の溝を埋める作業に取り掛かった。レオナもそれには大賛成なので、こくりと頷いて、聞きたいことを頭の中でピックアップする。

 そうすると一番に出てくるのは、身分差についてのことだった。

 これは今後もレオナがハイジといるためには大きな課題となる部分で、そしてレオナの努力ではどうにもならないことだ。


「じゃあまず……ハイジって、王子様なん?」

「あぁ、そのウワサかぁ。誰から聞いたのかな~」

「さっき居たユナって子」


 ハイジはなるほど、と頷いて「それたぶんハウスメイドから聞いたんでしょ~? 中途半端に伝わっちゃってるなぁ」と、困ったような声色だ。

 どうやら事実とは異なるらしい、とレオナは肩の力を抜く。


「そうかも。ユナは友達多いんよ」

「ふーん。レオナは~?」


 ちょっと笑って、レオナは「少ないけど?」とハイジの脇腹を小突いた。

 ハイジは避けもせずにデレデレとして、むしろレオナの手が痛んでしまわないかと心配を口にして小さな手を撫でまわす。


「えっとねぇ、俺の母親はむかぁし東国のお姫様だったらしいんだけど、嫁いでもう今はただの伯爵夫人だから~」

「ほ、ほんとにお姫様の子どもなん⁈ えぇ……じゃあやっぱり貴族……?」

「いやいや! そんでもって、俺は爵位を継いでないからただの平民ね!」

「なるほど」

「親は貴族でも関係ないのにさ~、ウワサばっかり困っちゃうよねぇ」


 引き気味のレオナを逃さぬよう、握った手に力を込める困り顔のハイジ。レオナは言われたことを信じて、安心しきった様子で「そうなんだ。大変やな」と返した。

 もう想いも通じ合ったことだし、無理に掘り返さなくてもよかったのだが、せっかくだしと思ってレオナは次の質問を投げかける。


「あのさー……、前にここでハイジが美人なメイドさんと片付けしてたやん?」

「チーズケーキ食べた時ぃ?」

「そうそう。あの時に言ってた『飽きる』とか『バラす』とかって、何の話だったの?」

「『飽きる』に『バラす』?」


 少し考えて、ポンと手を打つハイジ。


「ああ! 『飽きる』はね、デート先のカッフェのこと~! 今まで同僚のメイドさんたちにオススメ聞いてたんだけど、レオと一通り行っちゃったんだよねぇ。季節モノとかはまた食べに行くとしても、同じ店ばっかじゃレオが飽きちゃうかな~ってぇ。ほかにないの~? って聞いてた!」

「な、なるほど。そしたら『バラす』とかなんとか言ってたのは?」

「あー、それはねぇ。俺に彼女ができたことを、上司にバラしてやるっていう~、同僚の脅しというかぁ、からかい? みたいな?」


 やっぱり自分は同僚周囲に知られたくない存在なのかとレオナの気分は降下し、視線もつられて下を向くが、ハイジはその顔を素早く両手で挟んで上向かせた。


「違うからね?」

「うん……」

「俺の上司って、公爵家嫡男のクリストフ様と、その姉君のシャルロッテ様なわけ。そんな二人に直属の護衛の俺が『彼女できました~!』って言ったらさぁ、最悪のパターンだけど……気まぐれでレオのことを見に行ったり……もしかしたら、呼び出したりとかするかもしれなくてぇ」


 レオナは顔をひきつらせた。

 務めてきて五年、レンゲフェルト公爵家の面々が厨房を視察したことなどない。もしもやってきたら大騒ぎになるだろうし、呼び出されるなんてことも絶対にごめんだった。

 ハイジはどこを見ているのか分からない顔で、静かに話を続ける。


「自分で言うのもなんだけど、俺ってば結構上司二人から重宝されてるから~。そんな俺がそのうちレオにプロポーズとかさ、そんな話をしたときにさ……断りづらいよなぁ、とか思ってぇ。だってフッたらそれが公爵令嬢とかに伝わるかもしれないんだよ? そしたら怖ぁいお付きのメイドたちに『どうして断ったの?』とか聞かれちゃうかも~、とか〜?」

「へ、へぇ」


 気の抜けた相槌を返すレオナの頭の中に残った文言は、ただ一つだった。



『プロポーズ』



 ごちゃごちゃと渦巻いていた、ハイジの語る二人のお付き合いが周囲にバレることによる悪影響に対する感想はすべて吹き飛ぶ。そして『プロポーズ』という文言だけが脳内を埋め尽くしてレオナを歓喜させた。


──ハイジ、私と結婚する気なんや


 にま、と笑うレオナの顔を覗き込んで「レオ?」と、ハイジが呼びかける。


「あっ、ごめんな! な、なんでもない」

「そう? ……そんなわけで、できるだけレオの生活に影響を与えたくなかったんだよね~。俺なりに色々考えての行動だったんだけど。ほんとごめんねぇ」

「ううん! あ、ありがとうっ」


 レオナが嬉し恥ずかし、といった顔でハイジを見上げる。と、彼もにんまりと笑って「もうやめるから」と宣言した。


「え?」

「それでレオを悲しませちゃったし。俺は俺のもってる全てで、レオに愛をばっちり伝えることにしまーす! 返品不可でーす!」


 レオナは「なんそれ」と言って、くすぐったそうに笑った。そして心の中から湧き出る喜びに震える指先で、そっと彼を引き寄せる。


「……返品せんよ」

「よかった〜! レオの上司っぽい人にも圧かけといたけど、またもしなんかあったらすぐ俺に言ってね〜」


 ハイジはされるがまま、レオナの弱い力に引き寄せられてご機嫌だ。そのまま頬へと接吻をすると、彼女の耳元で囁いた。



「俺、レオのためなら頑張っちゃうよ〜」



 ぞくり、震えた背筋を誤魔化して。

 レオナは「……なんか、オジさんくさい」と茶化して逃げるのだった。








「でも好きなんデショ〜?」

「……まあまあ、すき」

「素直じゃないレオナも俺は好き〜!」





















 そして本当にハイジが十歳ほども年上であるという事実を、レオナはまだ知らない。




「こんな若い顔してるのに⁈」

「東国人って若く見えるらしいんだよネ〜」




 ハイジに驚かされるレオナの日常は、ゆるゆると続いていくのだった──。




 





とりあえず一旦完結です。

が、あと一話続きます!


今月中にハイジ側の後日談というか、裏話みたいなものをあげたいと思っていますので、いましばらくブクマしておいていただければ幸いです。

公爵令息クリストフくんが、呆れながらハイジの恋路を見守る感じの話です。

よければ読んでやってください。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
チャラ男ムーブマシマシなハイジ様、ここぞという時にキメてくれて嬉しさもマシマシですわあ。 でも気になる謎がモリモリで夜しか眠れませんわ。 是非わたくしが朝寝も昼寝もスヤア出来るようお導き下さいませ。
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