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 ヘラヘラと笑うハイジを殴らなかったレオナを、誰か褒めてほしい。


「……どういう神経してんの? お店やで? 人がたくさんいるんやで?」


 地を這うような低い声を発したレオナ。ハイジは「ごめんなさい」と、ひたすらとぺこぺこと頭を下げ、しゅんとした顔で身を縮めた。

 しかしレオナが怒りをいったん収めるも、店の外に出たハイジが「えー、じゃあさ、ふたりっきりならよかったってこと~?」などとつぶやいたために、レオナの怒りは再噴火するのだった。



「あほ! デリカシーゼロ男!!」



 ボスっと肩を殴られるハイジは、ちょっとうれしそうだった。そして「えー、ごめんねぇ。……でもさ、レオ」と、にまにまと格好を崩す。


「さっきから嫌とは言ってない、よねぇ?」

「ばっ……もう、犬に舐められたと思って忘れる! この話は終わり!!」



 恨みがましい目でハイジを見上げて距離を取るも、しかしレオナはその後もがっちりと腰を抱かれて歩くことになる。ハイジは細いくせに馬鹿力で、振りほどけなかったのだ。


 ちなみに、頬についたクリームをなめとられた瞬間は女給さんにばっちり見られていた。


 それが顔から火が出るほど恥ずかしく、レオナは慌ててパフェだけ口に詰め込んでパイとタルトを紙袋に放りこむと店を出るハメになったのである。

 反省しているようでいて、ぽつぽつと余計なことを言うハイジ。しかしそれに怒って この話は終わり! などといった手前、レオナは理由を聞くことができなくなってしまった。


 そしてモヤモヤとして無言になるレオナに、ハイジはひたすら話しかけ続けた。



「怒っちゃった? ごめんね~、お詫びになんか買わせてよ~」



 しゅん、とした顔にまたしても少しほだされて。

 

 ウインドウショッピングをすることになり、文句を言いつつもレオナは街歩きを満喫。お互いに装飾品は仕事上禁止のものが多い中「これなら大丈夫そう~?」と、お揃いのアンクレットをプレゼントしてもらって、レオナのご機嫌もすっかり戻っていたのだが、たまに思い出せば文句の一つも言いたくなるというもの。




──そもそも、あれは接吻(キス)だったのだろうか。




 なんだか思い返してみれば違う気もしてきた。

 ほんとうに一瞬のことであったし、レオナはいまだ口づけすらしたことのない清らかな乙女だったので、考えすぎてなんだかよくわからなくなってきてしまったのだ。

 

「なあ、アレさ……」

「アレ? アレってなに?」


 何が嬉しいのか、ニコニコとしたハイジが顔を近づけてきて、レオナの体温がサッと上がった。


「……あ、あらためていうけど、あんなの犬になめられたようなモンやから! でももう二度と禁止やで!」

「えー、犬~? 犬がレオのこと舐めてるの見たら、俺、ちょっと嫌かも~」


 そのままぎゅっとレオナの腰を強く引き寄せたハイジが、耳元で「だめだよ〜」と悲しげな声を出す。


「っ! ええやろ犬、可愛いやんっ」

「ねえねえ、俺は~? 可愛い~?」

「うざいっ! 可愛くないっ! あーもう、疲れたっ」

「疲れちゃったかぁ」


 そんな文句に大きく頷くハイジは、腰に回していた手を引き上げてレオナの体を倒すと、ひょいとお姫様抱っこをした。反射的にしがみつくレオナに頬をゆるめて、なんとそのまま歩き始める。


「ひゃっ⁈」

「ほら~、手離しちゃダメだよぉ。しっかりつかまっててね~」


 歩みは軽く、なんなら連れ立って歩いていた時よりも早いペースでスタスタと進む。ハイジは「これなら楽でしょ?」と、得意げな顔で笑ってみせた。


「なななな、こ、これ! なに!」

「え? お姫様だっこって言うんだよ~」




──そういうことではない!




 レオナが驚きと羞恥でうまく抗議の言葉を出せないのをいいことに、ご機嫌な顔でハイジはちゅっちゅと頭に唇を寄せていた。ちょうど公爵邸に向かう一本道に入ったところで、見通しの良い場所での目立つ行動。それは同じく公爵邸へと向かう人々の目を引いた。

 そしてその中に見知った顔を見つけたレオナは声にならない悲鳴を上げて、咄嗟にハイジの胸に顔を押し当てて隠れるも、時すでに遅し。


 ちらりと顔を上げて確認したレオナは、驚愕の表情でこちらを見つめる仲の良い厨房の同僚と目が合って……。





「きゅぅ」





 口から魂が抜けたような音をさせて、意識を飛ばしたのだった。













 そんな波乱の休暇の翌日も、キッチンメイドの朝は早い。

 気づけば寮の自室に帰っていたレオナは机に乗っているアンクレットと、美味しそうな匂いを滲ませる紙袋の存在を確認して「夢じゃなかった」とつぶやいてから再度寝た。現実逃避だった。そして朝からパイとタルトを食べ、幸せな気持ちで出勤したのだが……。


「ちょっとレオナ! 水臭いじゃないの、私にくらい言いなさいよ!」

「えぇ? 何のこと?」

「とぼけんじゃないわよ! 昨日デートしてたでしょ、ハイジ様と!!」

「あー……。やっぱあの時目があったのも夢じゃなかったかぁ……」

 

 襟首を掴んでゆさぶりながら尋問してくるのは、友人であり同僚でもあるユナだ。

 キッチンメイドとして同時期に採用されたユナとレオナは、同期採用としてはたった二人しか残っていないのもあって、仲が良かった。

 そして昨日、ハイジの腕の中でゆらゆらしながら目があってしまった同僚とは……このユナだったのである。


 ユナはきゃあ! と歓声を上げて、レオナの襟首から手を離した。

 

「そうよね! 夢みたいよね、あんな雲の上の人とおデートだなんて! かっこいいわよねぇ、ハイジ様。お坊ちゃまとお嬢様の専属護衛っ、お若いのに護衛隊の特別指導教官も努めてらっしゃるし、母君は東国のお姫様ッ! リアル王子様よ⁈」


 まくしたてるユナの言葉を半分も理解できず、レオナの口からは「……、……は?」という乾いた声が漏れた。


「あの高身長でスラっとしたところが素敵よねぇ~」

「いや。それ、……人違いじゃない?」

「え?」

「え?」


 ユナの口から零れ落ちる情報の中で合っているのは、身長くらいのものだろう。

 しばし顔を見合わせた二人だったが、ユナが「でも!」とレオナに詰め寄る。


「護衛隊のハイジ様でしょ⁈」

「そうやけど、私と出かけたハイジは護衛隊の下っ端やで。お腹空かせて厨房前で倒れてたし。ユナが言う通りのリアル王子様が行き倒れたりせんやろ?」

「え……いやでもどう見てもそうだし……そうだわ! ハイジ様はきっと勤務形態が不規則なのよッ!」

「いやぁでも、違うと思うで。だってハイジ、上司の話よくしてるし? 専属護衛? 教官? やったら上司おらんやろ?」


 違う違う、と笑うレオナは、内心では冷や汗をかく。

 妙な焦燥感がわきあがっていた。


「よく上司の話してるもん。そんでいつも休憩で抜けてきては『お腹へったぁ』ってご飯をタカりにくるんや。そんな、まさかそんな立場の人なワケない」


 自身にも言い聞かせるように言葉を重ねるレオナ。しかしユナは食い下がった。


「……上司って、公爵様かご嫡男のクリストフ様のことじゃない? やっぱりハイジ様よ、もー、どうやって出会ったの?」

「いやだから空腹で行き倒れてたって。……って、どう考えても同じ名前の別人やと思うで? 絶対違うって。あんなゆるゆるチャラパー男」

「うっるさいわねガンコ者! 認めてさっさと一から百まで吐きなさい!!」


 詰め寄られたレオナは無言で背を向けると、己の仕事である野菜の皮むきに取り掛かろうとした。もちろんユナは諦めず、並んで作業を開始する。


「げっ、ユナは肉担当やろ?」

「今日は野菜担当ですゥ! ほら、出会いから何から全部言いなさいよッ! それで私にも玉の輿に乗る方法を教えなさい!!」

「いや、だから違うってば。というかそもそもやけども、付き合ってへんし」

「お姫様抱っこでラブラブちゅっちゅしながら帰ってきて⁈ 付き合ってないですって⁈ だったらカラダ目当てで遊ばれてるんじゃないの⁈」


 ユナの甲高い叫び声が耳に痛い。

 無視して無心で皮をむき始めたレオナだったが、その後出勤してきた先輩たちまでもがユナのせいで事の次第をうっすらと知ることになり、散々な一日になった。






 特に厄介だったのが、()()ダントンと仲の良い二、三人の先輩たちだった。

 




 彼らは朝から機会をうかがっていたのだろう。

 仕事がひと段落ついたところで、レオナはユナと二人で厨房のすみっこに連れてこられて、囲まれ罵倒されることになった。


「おい⁈ お前まさか、ダントンと二股か⁈」


 怖い顔の先輩方に、レオナは心底『勘弁してくれ』と、大きく首を振った。

 ちなみに、幸か不幸かダントン本人は休みである。


「いや、そもそもですけど、ダントン先輩とは何もありません」

「でも彼氏いないって言ってたんだろ? ダントンが可哀想じゃねーか」

「いやだから、私は誰とも付き合ってないんで……!」


 しかし、先輩たちはレオナの言い分は無視して、ダントンが可哀想だとレオナを一方的になじり始めた。

 しかも中途半端にユナの声を拾っていたらしく「あんなに待ってるダントンを捨てて、お貴族様にならホイホイ股開くんだな」とまで言われる始末。

 それを皮切りに先輩たちはニヤニヤ、ガヤガヤと「これだから田舎の女は」「遊ばれてるのもわからないのか」「尻軽だったんだな」と、ひどい侮蔑の言葉を使いながら本人の眼前で、レオナを貶す。


「ちょっと待ってください、そんな……!」

「うるせぇ」

「そうだ、謝れよ!」

 

 彼らは、レオナの返事など必要としていないのだ。

 言いたいから言っているだけ。

 貶したいから貶すだけ。

 まるでサンドバックやごみ箱のような扱いに、レオナはぎゅっと唇をかみしめた。


「……謝るようなこと、私、してません」


 レオナは手の色が白くなるまでこぶしを握り締め、殴りかかりたい衝動をこらえるのに必死だった。


 途中、ユナが横から「レオナとダントン先輩は何もないですよね。なんでそんなひどい言葉を使うんですか⁈」と割り込んできたものの、そもそもの原因はユナである。

 先輩たちは「お前が言ってたんだろ!」とユナまでも責め始めてしまって、もうどうにも収集がつかなくなった、その矢先。





「うるせぇぞ!! このゴミカスどもが!!」





 ガンガンガンと金属音が鳴り響き、先輩もユナも周囲の騒音も、すべてがぴたりと静まった。

 普段は無口な副料理長が寸胴鍋の横をふたで殴りつけ、怖い顔をしてこちらを睨んでいる。押し切って収束させてくれたのは有難いが、その形相にレオナは背筋を縮み上がらせた。


「ゴチャゴチャうるせぇなクソガキどもが。……オイ、レオナ。お前はもう今日は帰れ」

「え、あの、私まだ仕事が」

「いいから帰れ。それと明日は朝は来るな、昼から来い」


 そして副料理長にぽいっと厨房の外へとつまみだされてしまった。

 とぼとぼと歩くレオナは寮に帰る気にもならず、人気のない方向へと進んでいく。



「みんなしてうるさい……私とハイジのことやん……関係ないやろ!」



 ガッと小石を蹴ったつもりが、それは地面に深く埋まったものであったらしく、レオナは足先の痛みに悶絶してしゃがみこんだ。


「はぁ」


 色々と疲れ果てたレオナは、衝動的にとある場所へと向かっていた。今まで行ったことがなかった、屋敷からちょっと離れたその場所は、土煙が絶えずのぼり汗のにおいがうっすらと充満する──いわゆる鍛錬場、とよばれる場所だった。






 夜もそこそこ遅いというのに鍛錬場には灯りがついていて、何人もの男が走り込みや筋力トレーニングをこなしている。それをこっそりと闇にまぎれて見ていたレオナは、眉根を寄せてじっと観察して「いないやん」とつぶやいた。


 その背後に黒い陰が迫っていることには、気がつきもせず。




「俺はココだよぉ」

「ぎゃぁっ!!!!!」




 レオナは盛大に跳ねた。ドッドッドッと音を立てる胸を落ち着けるように掴んで、荒い息を吐いて振り返れば真後ろにハイジが。彼は満面の笑みでさらに間合いを詰めてきた。


「レオ捕獲〜」


 そしてレオナの腰を抱き鍛錬場から離れて闇の中を進んでいくと、庭の中の東屋へと引っ張り込んだ。ハイジがなにやらゴソゴソと動けば、暗闇に溶けていた東屋に小さく灯りがともる。


「まぶしっ」


 そして光に目を擦るレオナの顔をじっと見つめたハイジは、へらへらとした笑を消した。


「どうしたの?」


 それはいつもの間延びした話し方ではなく、低い囁き声だった。ぞわぞわと背筋を撫でられたような感覚に陥り、きゅっと身を縮めるレオナ。

 ハイジはまるで捕獲するようにして腕で囲い込み、膝の上にレオナをのせて座った。そして拳ひとつほどの距離まで顔が迫ると、そっと、頬を指がなぞる。


「レオ、いつもと違う顔してる。なんかあった?」

「別に……なんもない……」

「ふぅん」


 ゆっくりと撫でられる感覚に、レオナは肌を粟立たせた。しかしそれは不快なのではない。むしろ胸が高鳴って叫びだしたいような、逃げ出したいような、とてつもなく恥ずかしいのに続けてほしいような……ハイジの指の動きひとつで、レオナの感情はぐちゃぐちゃにかき混ぜられてしまう。


「言いたくないならいいけどさ」

「ハイジ……⁈ ちょっと、待って……」

「待たないよ」


 そんな声と同時に、レオナは唇にひどく柔らかい、薄い何かが触れたのを感じた。目の前にはハイジの顔があって、何度も何度も、離れては柔らかく寄せられるそれ。その合間に「好き」「大好きだよ」「かわいい」などと何度も囁きが落のされた。甘くしびれる脳髄にレオナは訳も分からず頷くことしかできず、ただ溺れた。


 ハイジはそんな姿に笑みを深めて口付けを止めると、両手でそっと胸にレオナを閉じ込め満足げに目を細める。そして獰猛な肉食獣さながら、くんくんとレオナの匂いを嗅いで舌なめずりをするのだった。

 そんなことには気が付かず、しばらくして我に返ったレオナ。ハッとして、耳まで熱くてクラクラする頭を必死に振るとハイジの胸の中で腕をつっぱった。


「もうっ、今日はおしまい……!」

「わかった」


 やけにあっさりと頷くハイジだが、レオナを膝の上から降ろしはしない。やわらかく腕に閉じ込めつつ、レオナの顔を覗き込んだ。


「で、なにがあったの?」

「……いまは、言いたくない」

「わかった」

「……気にならんの?」

「なるけどさ。俺、レオのためならなんでもするからね。いつでも、なんでも言って」」

「なんなん。ハイジのくせに」


 笑うレオナは力を抜いた。

 今はただ、外野も何も関係なく、昨日までの二人でいたいと思った。

 

 そっと身を預けて、目を瞑る。

 ひょろりとしていそうにみえて、ハイジの胸は硬く分厚い。その骨だか筋だかわからぬごつごつとしたものに額をすりつけて、レオナは胸いっぱいにハイジの香りを吸い込んだ。


「な、なになに〜?」

「うるさい。じっとしてて」

「ハイ」


 そうして、何も言わないレオナをただ包み込んでくれるハイジの優しさに、その夜はただただ甘えてすごしたのだった。


 



 

 








タイトルが次回から変更になります。

「下っ端仲間と思ってたら、貴族のぼっちゃん拾ってた話」


書いてたら思ったよりもハイジさんがやんわりほのぼの系だったので、飼うか飼われるかみたいな感じになりませんでした。よろしくお願いします。


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