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 そうして交わる二人の日常は、穏やかに続いていった。

 ハイジはたびたび腹を空かせてはレオナひとりのタイミングを狙って厨房を訪れ、時折、上司に美味しいものを貰ったと言って夜食に誘ってきた。



「これこれ~、このエッグタルト貰ったんだぁ。美味しいらしいよ〜」

「わ! すごい、コレ限定品のやつやん!」



 そうして持ってくるお土産をこっそりと二人で食べるのは、二人とも寮生活のために、いつも決まって屋外だ。夜は程よく涼しく気持ちのいい季節なのも幸いだった。


 ハイジは広い公爵邸の庭を熟知しており、奥まった中庭のベンチや東屋といった人気の少ない場所にレオナを誘った。初日以来、厨房の出入り口あたりで長居することもないためだろうか、周囲に見られることもなく済んでいる。それはありがたいのだが……。


「……なあ、ここ、ほんとに使って大丈夫なん?」

「平気平気〜。はいどーぞ、食べよ〜」

「ほんとにぃ?」

「許可取ってるから大丈夫ぅ。あ~、これおいしいねぇ」

「当然や。私ずっと食べたかったやつやもん、高いんやでコレ」

「そうなんだ! なら、あとレオどうぞ~」


 東屋のベンチにごろりと上体を倒したハイジが、おおきく伸びをする様はまるで大型犬のようである。レオナはその昔、巨大な犬を飼いたかったことを思い出して「私さあ」と語り出した。


「実家が料理屋でダメやったんやけど、私、めっちゃ大きな犬飼いたかったんよなぁ」

「へ~。でもレオ、ちゃんと散歩とかできるの~?」

「で、でき……ないかもしれん」


 レオナの休日といえば、ほぼ寝て終わる。

 新たなる味を知るために外食もするが、食べるだけ食べて直行直帰。日々の仕事が重労働なことを言い訳に、休日に運動はおろか、散歩など何年もしていなかった。


「私だって理由があれば歩く、はず!」

「ふーん、じゃあ今度のお休みさ、一緒に街歩きしよ? ……来週のレオのお休みの日、俺もお休みとっちゃったんだ~」

「……へ?」


 にっこりと笑うハイジは、どうやったのかレオナの休みの日を把握しているらしい。

 断る理由もなく頷くレオナに、彼は嬉しそうに待ち合わせの場所と時間を告げた。







 こうして彼はついに、レオナの休日にまで食い込んできたのである。







「ここのカッフェが美味しいんだって~!」


 約束の当日。

 何故かレオナは腰をがっちりと抱かれてエスコートされていた。

 予約をしてくれていたらしいハイジを見上げると、ご機嫌な様子で「わ、女の子ばっかりぃ」と周囲を見回している。なんだかムッとしたレオナは、腰にまわされた手をつねり上げておいた。


「イテテテ、え、なんでぇ……?」

「知らんわ。……あ。あっちの席やってさ、行こ」


 パチンとその手を振り払い、女給さんが手で示す座席へと腰を落ち着ける。

 二人で向い合せにメニューを覗き込めば、カラフルなイラストで描かれたスイーツがどれもおいしそうにレオナの脳を刺激した。ハイジが背が高いので頭がにょんと伸びてきてぶつかったりもして、「痛いやん」「ごめん、思ったより俺背高かった~」「何年生きてるん」と、二人は笑いあってメニュー表をあれこれと吟味する。


 しかし途中から、レオナは本気で注文を悩み始めてしまい「やっぱりアップルパイ食べたいけど、ここの名物はパッフェなんやろ。え、パッフェ、二種類あるん? 待って、梨のタルトもある……⁈」と、ひとりでブツブツと頭を抱えた。

 ハイジはそれを微笑ましげにしばらく見ていたが、女給が注文を取ろうと近くをうろつき始めたのを察知し声をかける。


「レオ、全部頼んじゃえば~?」

「無理や! 財布も胃袋も破裂するわ!!」

「ん~、お財布は大丈夫ぅ。胃袋は~……、あ、そうだ、持ち帰りできないか聞いてみる? それかこっちのスペシャルパフェにアップルパイ乗っかってたりしないかな~?」

 

 すぐにハイジは「おねーさぁん、ちょっといいですか~?」と、パフェの詳細についてを女給へと尋ね始めた。女性だらけの店内にもかかわらず、臆することのないその姿勢。護衛隊は男だらけだろうに妙に女慣れしている気がするなと、レオナはハイジの横顔を視界の端におさめつつ、女給さんへと「その、アップルパイもパフェもタルトも食べたくて。でも食べきれないなーとか、ちょっと、その、悩んでて」と、しどろもどろに意見を伝える。


「ふんふん、なるほどです! でしたら……!」


 女給さんは的確にレオナの希望をくみ取って、それなら、と提案をしてくれた。


「スペシャルパッフェに、季節のパッフェをご注文いただいて、それから梨のタルトとアップルパイは半分のサイズに切って、お二人それぞれにご提供するのはいかがですか? 食べきれなかった時用に、紙袋もお付けしますよ!」


 かわいらしい給仕服のフリルをゆらした彼女の提案に、レオナは思わず「わっ!」と喜びの声を上げる。


「持ち帰りもできるんですか⁈ それでお願いします!」

「わぁ、よかったね~」


 笑顔で女給へ手を振ったハイジは、流れるような動作で机上のレオナの手をそのまま握り、ご機嫌に小さく揺らす。



「これでレオナが食べたいやつは全部食べられるねぇ。やった~」



 ──やっぱり、なんだか手馴れている気がする。


 

 ハイジの手は大きく、指は長い。剣ダゴだろう親指の硬い盛り上がりが肌に擦れて、レオナはそわそわとした。公爵邸に務めて五年、がむしゃらに働くばかりでマトモな出会いもなく、こうして異性と街へと繰り出すのも初めてだ。

 しかもハイジは独特の雰囲気で、距離感が非常に近い。

 男を意識してしまうと、どうにもむずがゆくなってしまってよくないと、レオナは手をパッと解いて水の入ったグラスを掴んだ。


「そういえば! ここは同僚さんから聞いたやっけ?」

「そうそう。詳しい人がいてね~。……レオの方が厨房だし、お店詳しそうだけどね。来た事ない店でよかったよ〜」

「うちの職場、あんまりカッフェの話は聞かないんよなぁ。ガッツリ食べる店の話はよくするけど」


 それにわずかに眉尻をはねさせたハイジは「ふぅん」と、低い相槌を打つ。


「……レオ、職場の人に困ってたりしない? 男の人ばっかでしょ、嫌なことあったりは~?」


 思わず浮かんだのはダントンの顔であったが『自分に好意があるらしくて迷惑している』などという話をハイジにするのはためらわれた。もしかして何か知っているのだろうか、とも一瞬考えるが、厨房というのは公爵邸の使用人たちの中でも別働部隊である。護衛隊もまたしかり。


 お互いの内情など知る由もないはずだと、レオナはあいまいに笑みを浮かべてごまかした。


「あー、うーん。まあ、いい先輩たちが多いから大丈夫……それよりここ、内装も可愛いお店やね!」

「ふーん。まあ、なんかあったら言ってね。 ……上司もたまたま聞いてたみたいでさぁ、行くって言ったら羨ましがられちゃった~」

「ならお土産でも買ったら?」

「うーん、そうだねぇ。でも怖い方の上司がそーゆーことすると怒るからなぁ」


 珍しく歯切れの悪い返事をして、ハイジは「それに俺、お土産なんて部屋にあったらさぁ……明日の出勤までに全部食べちゃう自信ある~」と、おちゃらけた。

 そこへパッフェ二つと、カッティングされたタルトとアップルパイが運ばれてきて「おいしそ~!」「でっかい!」などと二人は盛り上がって、その会話は流れた。



 

 のちにレオナは『上司のお話をもっと掘り下げて聞いておくべきだった』と、深く後悔することになるのだが。




「……んーっ、おいしい!」

「ほんとだねぇ、あっという間になくなっちゃいそうだよ~」

「えっ、もうハイジ半分も食べたん⁈」


 ハイジはその長身に見合い、細いくせに大食いである。

 レオナの顔よりも大きなスペシャルパッフェにざっくりと大きなスプーンを差し込むと、大口を開けてばくばくと食べ進めていく。つられてレオナも季節のパフェにとりかかるが、圧倒的にハイジのスピードが速い。そのあまりの食べっぷりに途中見惚れていると「あ、ごめん~!」とハイジは手を止めた。



「こっちも食べたかった? はぁい、あーんして~」



 そのゆるっとした言い方に、思わず口を開けるレオナ。

 ポイと放り込まれたアイスの冷たさとサクサクとした生地の触感に、思わず笑みが浮かぶ。スペシャルパフェも美味しかった。「もう一口」と、大きく口を開いてみせたレオナに、ハイジは頬を染めてたっぷりのクリームをすくって差し出す。


 んぐんぐと味わって、もう一口、もう一口、と何度も口を開いた。


「……レオも、いっぱい食べるねぇ」

「ごめん! でもハイジのスペシャルパフェも美味しくって! ……これはアップルパイと同じ生地やな。あ、そっちのスポンジはきっとケーキ用のやつで。で、ベースは苺やけど、オレンジと桃かな。フルーツを何種類か混ぜてるんやな。……ん~、たまらん! おいしい!」

「へ~、じゃあこのスポンジもどーぞー。あ、フルーツもっと食べる?」

「食べる。遠慮なく食べるで」


 キッチンメイドは目で盗み、舌で覚える。

 レオナはそれなりに舌に自信があった。


 ブツブツと分析をするレオナに、ハイジは何やら覚悟を決めた顔で、器ごとパフェを差し出した。


「──レオ。自分で、好きなだけ食べていいよぉ……」

「いいの? 私ばっかり食べちゃってごめんな」

「いや、それは全然いいんだけどねぇ。……食べさせるの楽しくなっちゃって、でも、レオの邪魔したい訳じゃないからさぁ……」


 ハイジがなにやらボソボソッとつぶやいたが、レオナは貰ったパフェに夢中で聞いていなかった。

 夢中で食べ進めていくと口の中が甘くてたまらなくなり、暖かい紅茶を飲んで味覚をリセットする、というのを繰り返すレオナ。途中、紅茶を飲んだタイミングでしみじみとつぶやいた。



「いやぁ、ほんと世界にはおいしいものがたっくさんあるんやなぁ」



 レオナの出身は西の方のそこそこ栄えた町で、実家は街一番の料理屋を営んでいる。幼いころから美味しい物を食べて育ち、作り方だって教えてもらっていた。

 しかし公爵邸にやってきて、レオナは自分が狭い世界しか知らなかったと思い知らされた。料理長の自信作はどれも信じられないくらい美味しくて、本気で頬が落ちる、舌が溶けると何度も思った。レオナの自信は粉々になったのだった。


 そして外に出れば、公爵邸のお膝元のこの街もまた、故郷にはない洒落た店や美味しい店がたくさんある。

 

 キッチンメイドの仲間とは休みが中々被らないので、一人で開拓した店は数知れず。しかし流行のカッフェにだけは、どうにも一人では入りづらかった。

 女性グループばかりのところにぼっちで入るのは勇気がいるものだ。そのため、実はレオナにとって念願のカッフェであった。

 


──いつか、甘味(スイーツ)も作れたら、楽しそうやなぁ



 今まで思ったことのない、未来への希望がレオナの胸にわきあがった。



「……ハイジ、ありがとう」

「いいよぉ。あ、ねえねえ、もう一軒オススメされたカッフェあるんだ~。今度の休みっていつ~? 一緒に行こ~」


 パフェを差し出したことにお礼を言われたと思ったのだろう。

 ゆるん、と笑ったハイジが次の約束を提案する。


「うん。行こ! 帰ったら確認するわ」

「やったぁ、レオとまたデートだぁ」


 そしてこれはやはり、デートであったらしい。

 少し固まるレオナに向かって、ハイジはにっこりと「溶けちゃうよ~」と続きを促した。


「っ、そうやね! 急いで食べないとっ。ハイジもこっち食べてて! さすがに私ひとりでパフェ二個は食べきれんわっ」


 時々皿を交換しながら、パクパクと一心不乱に食べ進める二人。量的にはスペシャルパフェの方が多かったのだが、ハイジはあっという間に食べ終わり、半分にカッティングされたパイとタルトも平らげてしまった。

 そしてレオナを待つ間、優雅な所作でハイジは紅茶を嗜んでいる。『やけに様になるな』と思ってそれを眺めつつ、レオナは必至で食べ進めていた。


「ごめんな。私、食べるの遅くて」

「俺が早いんだよぉ。普段もさ、食べられたり食べられなかったりだから、早食いのクセついちゃってて……あ、クリームついてるよ~」


 身を乗り出したハイジがクリームをぬぐってくれるだろうと顔を無防備に差し出したレオナに、にゅん、と伸びた影が覆いかぶさった。





「え?」







 ちゅう。






「おいし~」






 離れ際にぺろっと頬に付いたクリームを舐めとった男は、まったく悪気のない顔で笑うのだった。

 





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