赤いサンゴ亭
(エリザさん、マジで美人だったなぁ)
大通りへ向かって歩きながら、思い出す。
現実ならば芸能人レベルのルックスだった。
「えーと、教えてくれた宿はどこかな‥」
人通りもまばらになってきている大通りを歩きながら、左右を見まわす。
しばらく歩くと
『赤いサンゴ亭』
二階建ての建物の扉の少し上、赤いサンゴの絵が描かれた看板が見えた。
「ここね」
扉に手をかけて中へ入る。
中は冒険者ギルドのホールより広く、どうやら1階は食堂のようだ。
受付には誰もおらず、食堂で食事をしているものもいない。
受付カウンターの上にあるベルを鳴らした。
「すいませーん」
食堂の奥から少しふくよかなヒューマンの女性が出てきて、小走りで受付カウンターにやってきた。
「はいはい、お泊まりですか?」
40代くらいだろうか。
エプロンに加え、頭に頭巾も被っており、目の大きな優しそうな女性だった。
「はい。1泊。あと、できれば食事もしたいのですが」
(4500ジールで足りるかな?)
「はいよ。1泊2000ジール。食事は500ジールになるよ。朝食はどうするね?」
(足りてよかったぁ)
「わかりました。では朝食もお願いします」
「はいよ。なら3000ジールだね。あとは宿帳に名前を書いてもらえるかい?」
先に硬貨を渡す。
カウンター下から出された宿帳は少し黄ばんでいた。
羽ペンとインクを渡される。
「えーっと‥」
(文字は読めたけど、書けるかな)
「クライム、と」
カタカナで書いたつもりだが、紙の上ではアルファベットのような文字を書いていた。
(この辺りはご都合展開ってやつね)
「部屋は2階の1番奥を使っておくれ」
黄銅色の鍵を渡された。
「じゃ、食事の準備するね」
宿帳をカウンター下にしまいながら、女主人は食堂の奥の厨房へ入っていった。
「ウチはメニューがなくてね。嫌いなものがなければ、おすすめでいいかい?」
(メニュー無しとは‥さすが異世界)
「多分、ないのでおすすめで。ビールとかあったりします?」
「今あるのはエールとワインと果実酒だね。2杯目からは別料金だよ」
「ではエールを」
「はいよ。すまないけど、取りにきてもらえるかい」
木のジョッキに入ったエールが厨房のカウンターに置かれた。
受け取り、厨房に近いテーブルの席につく。
荷物を下ろし、革の外套を椅子の背にかける。
「冷えてる」
予想外に冷えていた。
口をつける。
「うまっ!」
思わず声が出た。
喉が渇いていたせいもあるが、ほど良い炭酸と爽やかな風味のある苦味が喉を潤す。
一気に飲み干してしまう。
「もう一杯もらえます?」
声をかけて空のジョッキを厨房カウンターへ持っていく。
「はいよ」
代わりのジョッキがすぐに置かれた。
席に戻り一息つく。
何やらいい匂いも漂ってきている。
(これは‥海鮮系かな?)
エールをちびちびやりながら、しばらく待つと
「はいおまち!」
テーブルに料理が運ばれてきた。
海の街らしく、海鮮を使った料理だった。
エビ、イカ、殻のついた貝の入った山盛りのパスタ。
上には緑のパセリがまぶされ、赤いソースで和えてある。トマトソースだろうか?
「いただきます」
添えられたフォークで口に運ぶ。
「うめぇ‥」
トマトの酸味に加え、少しピリ辛の味つけ。
エビとイカは塩味と柑橘系の風味もあり、肉厚だ。
殻のついた貝は何だかわからなかったが、アサリに似た味だった。
1日ぶりの食事。
あまりにも美味しく、何故か涙が少し滲んだ。
「あっはは!そりゃよかった」
厨房に戻りながら、女主人は声をあげて笑った。
エールとパスタを交互に口に運び、あっという間に食べ終えてしまう。
「ごちそうさまでした」
手を合わせたあと、荷物袋を背負い、外套を肩にかける。
空の皿とジョッキを厨房カウンターへ持っていく。
「あら、持ってきてくれたのかい」
女主人は厨房の片付けをしているようだった。
「うまかったです。エールの代金はいくらでしょう?」
「100ジールだね。そこに置いておいておくれ」
「ではこれで」
硬貨を厨房カウンターの上に置いて、部屋に向かうことにする。
「お?」
2階への階段に手をかけた時に、階段の先、奥の方に蛇口のある流し場とトイレらしき扉が2つ確認出来た。
トイレは男女できちんとわかれているらしい。
「1番奥だっけ」
階段を登ると、部屋は7部屋ほどあるようだった。
言われた通り、奥の部屋の扉の鍵穴に鍵を差し込み回す。
中に入ると部屋は10畳ほどの大きさだった。
月明かりと外の街灯の灯りも届いており、部屋の中は真っ暗ではなく、薄暗い程度だった。
窓際に白いシーツのかかった木製ベッドがあり、上には薄茶色の毛布が畳まれて置かれている。
他には鏡のついたドレッサー。
部屋の中央付近には丸いテーブルと椅子。
建付のクローゼットもあるようだった。
テーブルの下に荷物を下ろし、外套を椅子にかける。
「ふぅ」
一息ついて、ドレッサーの鏡を覗く。
そこに映るのは、若かりし頃の自分に似た誰か。
やや面長で、少し幼い印象を与える大きな瞳。
二重の双眸は中性的な印象も与えていた。
少し赤みがかった髪は短めに刈りそろえられている。
「いやいや、20歳のころこんなイケメンじゃなかったような‥。ベースは俺なのは間違いないけど、何故かイケメン化してるよこれ」
鏡に映る自分の顔は最初にこそ違和感があったが、思いのほかすぐに慣れていった。
40半ばに差しかかった転生前の自分の姿を思い出す。
少し後退していた前髪。
ややこけた頬。
目の周りの薄い皺。
多少出ていた下っ腹。
年齢より若くは見られていたが、老眼も始まりだし、肩や腰もたまに痛んだりと、年をとっていた自覚はあった。
普通に仕事につき、特に金銭的に困っていたわけでもなかったとはいえ、結婚して子供が欲しいとは思っていた。
30半ばで破局してからは女性と付き合うこともしなかったため、昔に戻って人生をやり直したいという気持ちが心のどこかにあったのは間違いない。
誰しも一度は思う願いが叶ったのは素直に喜ばしいことだった。
「異世界とはいえ、若いってだけでも最高」
ベッドに腰掛ける。
「それにしても、死んだわけでもないのに転生とはねぇ」
内心は異世界転生もののお約束に期待していた。
しかし今のところチート能力も感じられない上、特に可愛い女性といい感じになるようなイベントも起こっていない。
(さすがに多少イケメン化したのがチート能力じゃないよな)
20歳過ぎたあたりから、約12年ほどはプレイしただろうか?
かつてハマりにハマっていた
『クォーツワールドファンタジー』
10年前くらい前に後継タイトルにバトンタッチして、サービス終了したというのはネットの情報で把握していた。
(こんな宿屋とかはなかったし、いろいろリアル寄りになってるとはいえ、10年以上前の記憶でも意外と覚えてるもんだな)
街の名前やエリアなどは細部まで完璧にとはいかないまでも、普通に思い出すことができる。
「今はどの時間軸なのかねぇ」
ゲーム初期と同じだとすれば、そのうち魔族の王が復活するという流れになるはずだ。
ストーリーを進めるには、魔王討伐クエストを発生させる必要があり、冒険者ランクを上げてクエストフラグをたてるというのが当面の目的になる。
「まぁソロだと進める事も出来ないし、他のプレイヤーがいるか明日ギルドで確認してみるかな」
「というか‥別にストーリー進める必要もないのか」
よくある転生もののように神様的な存在や王様から魔王討伐を託されたわけでもない。
「適当に雑魚狩りすれば金も稼げるとわかったから異世界グルメ旅とかしても楽しそうだし、何かの生産職人になってみるのもいいかも」
「なんか楽しくなってきた」
現実では久しく感じることもなかった高揚感に胸が高まる。
ブーツを脱いでベッドに横たわり、毛布を広げた。
「シャワーと歯磨きくらいはしたかったけど‥」
そのまま瞳を閉じた。