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エピローグ 密やかな祈り

 ――ここからは、私個人の、完全なる後日談。


 わずかな罪悪感は、実は結構尾を引いた。


 しかし、不幸ながらも犠牲になった人達が、その悔恨の念で生き返るはずもない。


 だから、自分で自分をもう許すことにして、普通の日常を送ることにした。


 一年遅れで大学を卒業できたのはいいが、私は少し困っていた。


 留年したせいで、せっかくの内定が取り消しになったからだ。


 留年したとは言え、新卒ではある。


 だが、あの不毛と言ってもいい就活を、もう一度やらねばならないのか、と思うと、気が重かった。


 かなり深刻に先行きを考えている中、ふと思った。


 卒論として、私は、小説を一本書いた。


 執筆そのものは大変というか、内容が内容だっただけに、一文字綴るごとに辛かったのだが、語弊があるのを承知で言うと、やりがいがあった。


 では、そっち方面の仕事が、何かないだろうか?


 そのことを、改めて母校のW大学を訪ね、ゼミの教授に相談してみた。


 すると教授は、社長と知り合いだという某中堅出版社へ、親切なことに会社の人事担当へ宛てて推薦状を一筆まで添えて、私を紹介してくれた。


 そして私は、その出版社の編集部に勤めることになった。


 思いもよらなかった進路だったが、面白みは十分にあった。


 創作、表現の世界に深く関わるようになってから、より触発された。


 つまり、卒論で味を占めたわけではないが、仕事の合間を縫って、私も小説を書くようになったのだ。


 初めて手にした、「趣味らしい趣味」だった。


 ちなみに、この趣味を続けた結果、後に私は、某地方新聞社が主催する小さな文学賞に入選することになるのだが、趣味は趣味で留めるのが一番だと思って、作家には転身しなかった。


 一方の武尊は、三年生の時点で内定が決まっていた通り、大学で学んだ専門知識を活かして、大手航空会社の研究員の職に就いた。


 お互い多忙だったが、すれ違わないためには、努力を惜しまなかった。


 籍を入れてからの住まいは、二十三区から少し離れた郊外に、将来を見据えた広さの家を借りた。


 マイホームを持つかどうか、結構真剣に二人で考えたのだが、いかに子どもや孫のことを考えたとしても、何十年も住宅ローンを組むのはなんだかバカらしい、という結論に至ったからだ。


 多少気が早いにせよ、ゆくゆくはもっとのんびりした片田舎で暮らしたい。


 下手にローンを組んで家を買うと、その土地に「縛られる」事になる。


 それは嫌だ、という点でも意見が一致した。


 後にこの話は、武尊が北海道の私の実家を使って体験移住をしてみた結果、「試される大地」をすっかり気に入って、そこを終の棲家と決めたことで、いともあっさり解決するのだが。


 全くの余談として、武尊曰く、


「飯が何を食っても美味い!」


 というのが、決め手だったらしい。


 私は、あの一件以来、明らかに変わった。


 まず、つまらないことではいちいち腹を立てなくなった。


 要は、それまでの私は、武尊を信じていなかったのだ。


 愛の礎は、信頼。


 そのことに気付くのに、ずいぶん遠回りしたと、つくづく思う。


 同時に、日常のささやかなことに、喜びを見いだせるようになった。


 例えば、バスの車内で、お年寄りに席を譲る。


 「ありがとう」と言われる。


 それだけで、その日一日が十分と言えた。


 気まぐれな性格も、自力で矯正した。


 振り返れば、私は、自分の言葉に無責任すぎたのだ。


 年齢不相応な幼稚さだと再認識すると、とても恥ずかしかった。


 あと、どうでもいいと言えばそうなのだが、あの時、武尊に看病されている間、私は「食事」の大切さを痛いほど思い知った。


 だから、それまで縁遠いと思っていた(よりストレートに言えば興味がなかった)料理を本格的に勉強した。


 「真心」を食べさせてくれた、武尊への恩返しのつもりだった。


 さらなる余談として、性格的に、手をつけたものは極めたい。


 だから私は、後に、調理師と、管理栄養士の資格まで取ることになる。


 それらはさておき、もちろん、生きている限り、腹の立つことも皆無ではない。


 だが、何よりもまず「寛容であろう」と決めた、


 モヤモヤしたわだかまりを覚えた時は、誰よりも先に、まず夫である武尊に話した。


 やはり武尊は聞き上手で、私がどれだけ長々と愚痴っても、黙って耳を傾けてくれた。


 私が無駄なストレスを感じる事があるとすれば、武尊の仕事が忙しいせいで、夜の欲求不満がちょっと解消できない時ぐらいだった。


 もっとも、武尊は律儀だから、後で何倍にもして埋め合わせしてくれたのだが。


 最後に、こんなことがあった。


 私と武尊が結婚し、新居へ引っ越した年の秋頃、のどやかな週末の昼下がり。


 大学在学時の下宿の住所宛てからの転送で、私に、一通の封書が届いた。


 裏面の差出人を見ると、なんと、拘置所にいるはずの、藤堂からだった。


 なぜ今さら? と思いつつ、私は中を改めた。


 ……字は意外なほどきれいと言うか、ペン習字レベルだったのだが、内容は、非常に下品、正確には「丁寧に下品」だった。


 一見丁重な言い回しでありながら、その実は、到底ここには書けないほどの、一方的な恨み辛み、悪口罵詈雑言が何枚にも渡って並んでいた。


 どうやら、奴の辞書に、「罪悪感」と「反省」の項目はないらしい。


 私はその手紙を(それこそ)丁寧に十六分割で破り、庭で燃やしていたたき火の中にくべた。


 どれほどの怨嗟が綴られていようと、所詮、紙は紙。あっという間に灰になった。


 灰が舞い上がっていく、空を見上げた。


 雲一つない秋晴れの、突き抜けるような高い青空だった。


 その空に向かって、密やかに、私は祈った。


 もしかしたら、そんな資格なんてないのかも知れないが、祈った。


 事件の犠牲者の魂に、安らぎあれ。


 ――そして。


 ……この世界に、祝福あれ。


――おわり


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