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第13話 蜘蛛の糸

 ――芥川の『蜘蛛の糸』におけるカンダタは、糸を独占しようとしたので、仏様から見放された。


 しかし、「私にしか掴めない蜘蛛の糸」ならば、遠慮せずにすがってもいいはずだ。


 ワンルームの生き地獄そのままの中、切実に「助けて欲しい」と思った。


 このままでは、死ぬ前におかしくなってしまう。


 いや、既におかしくなり始めている実感がある。


 ――武尊。


 真っ先に浮かんだのは、別れたはずの恋人の顔だった。


 彼はもはや、私のことなどどうでもいいのだと思う。


 ……なんて身勝手な女なのだろう。


 理不尽にフラれて、憎みさえした前の恋人を、都合のいい時だけ、また頼ろうとするなんて。


 だが、彼しかいないように思われた。震える手で、スマホを手に取り、久しぶりに電源を入れた。


 しかし、すぐに愕然とした。


 フラれた時の怒りにまかせて、武尊のLINEはブロックして、トーク履歴も全て削除していた。


 電話番号も、電話帳から削除したのだった。


 まさか私も、彼のLINEのIDや、電話番号全ケタを正確には覚えていない。


 終わった。


 もう、誰にも助けを求められない。


 親がいるが、到底真相を話せるはずがない。


 ――それから、何日経ったかは覚えていない。


 一日中が針のむしろで、スマホにも触らず、ただ、骸のように横たわるのみの日々。


 気が付けば陽が暮れていて、また気が付けば夜が明けていた。


 今が何月何日なのかさえ、知る気になれなかった。


 ただ、「その日」は、なぜか、スマホの電源を入れた。


 そうしなければならない、と、「何か」が命じているようだった。


 待ち受け画面には「202X年7月22日」と出ていた。


 ニュースはチェックしない。


 むしろ辛いので、ニュースアプリからの通知を全部オフに設定した。


 ――昼を過ぎた頃だろうか? 相変わらず、空腹感はまるで感じないが、スマホの画面だけで時間を知った。


 と、突然、スマホに着信があった。電話帳に登録のない番号だ。


 不審感より先に、出なければ、と思った。なぜかは分からなかった。


 とにかく、出た。


『……征美か?』

「……た、武尊……!?」


 ばくん! と心臓が跳ねた。


 しかし、それはまさしくの、蜘蛛の糸だった。


「……たす、けて……! 助けてッ……!」


 彼の用件が何かすら聞かず、また、自分の理由さえも言わず、私は、切に訴えた。


 なりふりなど、構っていられなかった。


 気付けば、ぼろぼろと泣きながら、うわごとのように「たす……けて……た、すけ、て……」と繰り返していた。


 その様子を、武尊は敏感に察知してくれた。


『分かった。俺の話は後だ。今からそっちへ行く! 待ってろ!』


 そうして、電話は切れた。張り詰めていた緊張の糸が、少しだけ、緩んだ。


 武尊の下宿とは、言うほど離れてはいない。歩いても十五分とかからない距離だ。


 しかし、十分もしないうちに、玄関のチャイムが鳴った。


 ドアホンの前に行くことさえ、大変だった。


 その間、もう一度チャイムが鳴った。


 やっと応対できて、エントランスのオートロックを開けた。


 やがて、内部の方のチャイムが鳴った。


 震える手で、ドア。


 武尊、いた。


 顔、見た。


 私、泣き崩れた。


 糸、切れた、マリオネット、だった。


 彼、抱きかかえてくれた。


 ベッド、横たえられた。


 彼、側に、いる……。


「う、うあ、うわあああああーーーーーっ!!!」


 錯乱したように、泣いた。


 武尊は、何も言わなかった。


 ただ、泣き止むまで、待っていてくれた。


「察するに、ギリセーフ、ってところだったらしいな」


 まだ何も話していないのに、彼は、私が限界まで追い詰められていたことをすぐに理解したようだった。


 憔悴ぶりからある程度は分かっただろうにせよ、惚れ直すほどの洞察力、頭の切れだった。


「……暑いな。そろそろエアコンを点けないと、かえって身体に悪いぞ?」


 武尊は、勝手知ったる、といった様子で、部屋のエアコンを操作した。


 ひんやりとした風が、頬を撫でる。


 ……それは、ほとんど忘れかけていた、いや、長らく自ら遠ざけていた「現実」の一端のように思われた。


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