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プロローグ 地獄の釜が開いた日

2023年1月初出。「カクヨム」、「ノベルアッププラス」に公開しているものと、基本的には同じですが、こちらで公開するにあたり、微調整を施しました。

【キチン・キトサン】

 キチンは甲殻類の殻などに含まれる多糖類で、動物性食物繊維。キチンを加工したものがキトサン。


企図(きと)

[名詞](-スル) あることをくわだてること。また、その内容。もくろみ。


木戸(きと)さん】

[人名]本作の主人公。フルネームは木戸征美(きとまさみ)。東京のW大学文学部で日本文学史を専攻している、二十二歳の女子大生(四回生)。「きどさん」と読み間違われる事が嫌い。


 一九九五年三月二十日。


 この日付を聞いて、すぐに具体的なことが分かるのは、当時の関係者か、現代犯罪史の研究者か、よほど中学校の授業内容を覚えている人間だけだろう。


 私も生まれる前の話だから、中学生時代に公民の授業で習ったレベルでしか知らない。


 けれど「衝撃」、あるいは「インパクト」という面においては、事件名だけでも忘れない。


 これは、地下鉄サリン事件が発生した日。


 地下鉄の車内で、猛毒のガス、サリンをまき散らかすという、某カルト教団が起こした未曾有のテロ事件だ。


 十二人が死亡、十四人が重度の中毒症を起こし、約三千八百人が負傷したと言われている。


 当然、事件後には、再発防止のために様々な法整備がされた。


 また、公共交通機関においても、不審物に関する注意喚起が徹底された。


 それでも、一瞬の油断を突かれた。


 ――二〇二X年六月二十九日。JR新宿駅、山手線ホーム。


 朝の通勤通学ラッシュでごった返すホーム内に、三匹の猫が入り込んできた。


 その猫達は、それぞれ背中に、丁重にラッピングされた荷物を背負っていた。


 普通なら、怪しいということで、その猫を確保して調べるなり、あるいは追い出すなりしただろう。


 ではあったのだが、修羅場と言っても差し支えない、ラッシュの中だ。


 「猫ごとき」にかまける者は、誰一人おらず……後にこれは、JR側の重大な過失として、後世までの汚点となるのだが……猫たちは、人波の中に紛れていた。


 そして。


 その三匹の猫が背負っていた「ギフト」の中身は、サリンの液体だった。


 猫は三匹とも、満員のホームで、突然爆発四散した。


 「ギフト」の中身が周囲に巻き散らかされ、新宿駅は、地獄と化した。


 犠牲者の規模は、地下鉄サリン事件の三倍を超えた。


 具体的には、死者四十三人、重度の中毒者五十五人、負傷者は一万三千人に及んだ。


 戦後最も凶悪な、日本中、いや、世界を震撼せしめたテロ事件として、歴史に語り継がれる事件となった。


 世間は、大パニックに陥った。


 テレビであれ、ネット上であれ、連日連夜の報道が続いた。


 容疑者として、まず、地下鉄サリン事件を起こしたのと同じカルト教団が疑われた。


 しなしながら、地下鉄サリン事件以降、当該教団は警察から徹底的にマークされている。


 おまけに、動機がない。


 次に、極左思想を掲げている過激派組織に疑惑が向けられた。


 拠点への強制捜査なども行われたが、徒労に終わった。


 捜査が難航したのは、手がかりがほとんどないことだった。


 地下鉄サリン事件においては、実行役の信者が、サリンの入った袋を、先を尖らせた傘で突いたという。


 だが、今回の「実行犯」は、猫だった。


 しかも自爆したのだから、真犯人に繋がる手がかりが何もない。


 指紋の一つすら取れなかった。


 警察の、文字通り威信をかけた、決死の捜査が続いた。


 まず浮かび上がったそもそもの謎は、「誰が猫を駅に送り込んだか?」だった。


 駅構内の防犯カメラには、ホームレス風の初老の男が、ペット用のキャリーバッグを改札口で開け放つ様子が映っていた。


 それを見たという、多数の目撃情報もあった。


 警察は、総力を挙げて、その男の行方を追った。


 しかし男は、新宿駅の地下街の一角で、青酸カリを飲んで自殺していた。


 死人に口なし。


 男の身辺も徹底的に洗われたが、動機に繋がる要素はまったく見つからなかった。


 死体の傍らにあったペット用のキャリーバッグからも、その男以外の指紋は採れなかった。


 当然、次に調べるべきは「そのホームレスに、猫の入ったキャリーバッグを渡したのは誰か?」だったのだが、周到なことに、疑わしき時間帯に一帯の防犯カメラが余さずハッキングされており、砂嵐しか映っていなかった。


 真犯人の手がかりらしきものが掴めない中、様々な噂や憶測が飛び交った。


 特にネット上では、何の根拠もないのに疑われた人間が多数にのぼり、名誉毀損のカドで、数え切れないほどの訴訟が起こされた。


 私が通うW大学の学生からも、少なからぬ犠牲者が出た。


 大学はしばらく、全面休講となった。


 北海道の実家からも、即座に安否を気遣う電話がかかってきた。


 無事であることを告げて、家族を安心はさせられたけれど、絶対に言えないことがあった。


 恐らく。


 心当たりがあるのは、私だけだったはず。


 私は、「奴」のマンションに出向いた。


 ……半信半疑、いや、「信」が八割ぐらいの気持ちで。


 道すがら、真理に近づいているだろうのに、不吉さで胸が張り裂けそうだった。


 今までのことが、鮮明に脳裏へフラッシュバックする。


 ――これは、「世界を征服したい」などという幼稚なワガママを抱いた私が、大きすぎる代償を払うことになった、そんな話。


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