三話 少年医師 その二
他サイトに掲載したものを改稿して連載しております。毎日8:00、21:00の二回更新!
「湯を沸かしてください、それからなるべく多くの着替えを」
淑は水を組んできた張弦を見ることもなく言った。
「わかったよ」
張弦はわざと不機嫌そうな声で答えて、床をちらりと見やる。淑はまた熱を測るためか、布団の中の日栄の頭に手を当て、声をかける。
「寒いですか?」
日栄がかすかにうなずく。それを聞くと、淑はもう十分あたたかい季節というのに火鉢に火を入れた。そしてもう一枚布団をかける。日栄はやっと気力で起きていたのだろう。今はただされるがままになっている。さっきは気が付かなかったが、いつもより顔色が白い。いや青白いといったほうが良い。それだけではない。淑は日栄の世話が終わると、今度はどうやら薄めた酒であちこちを拭いている。
思ったより悪いのかもしれない……
張弦が家の外に出て湯を沸かし始めると、すぐに義姉の鈴杏がやってきた。
「だいじょうぶなのかしら」
突然現れた少年が、皇子でありながら道士であり様々な知識も持っている、などと義姉にはわかるまい。張弦にさえわからないのだから。ただこれだけは言えた。
「大丈夫だ、あいつはまだ若いが犬一匹見ただけでこの村を見つけるほど賢い、信用できる」
しかし、義姉の鈴杏はどうして良いかわからぬという様子でおろおろとしている。以前の明るく気丈な義姉とは違うその様子に、張弦はあることに気づく。
「義姉上、もしかして子が……?」
元夫の弟の言葉に、鈴杏は大きな目を見開き口元に手を当てる。そして小さくうなずいた。
日栄の子か……!?
張弦は叫びたくなるのをぐっとこらえた。
兄がなくなって十年、母上が亡くなって三年、そこに現れたのが日栄だった。行き倒れていたところを助けたという。日栄は張弦と同じ少年兵で、龍武の少年兵たちの面倒を見てくれたのが兄であり上官の妻の鈴杏だ。まるで少年兵全員のあねのようであった。日栄もまたあねとして見ていると思っていた。しかし……
張弦はぐっと目をつむった。
「着替えが必要だそうだ、兄上のものでいい。どこにあるか教えてくれ」
鈴杏が泣きそうな声でつぶやく。
「しかたなかったの」
「義母上も亡くなって、わたしひとりでは鈴花を育てきれなくて……」
その言葉に、張弦はかっと目を開いた。
「それだけじゃないと言ってくれ、日栄が好きだと言ってくれ、そうじゃないと俺は……!」
義姉があわてて応える。
「そうね、そのとおりよ……わたしは……」
言えと言いながら、張弦は耳を塞いだ。義姉が目を伏せつぶやく。
「着替えは奥の行李に入っているわ、わたしと鈴花はとなりの家にいるから」
「お願いね」
義姉の声を背に受けながら、張弦はもう一度目を瞑った。
張弦の脳裏に、義姉と兄の仲睦まじい姿が浮かんだ。それが永遠に続くはずだった。それなのに、今は違う男が隣にいる。
それだけではない……あいつは……
そのとき、頭の中で淑の毅然とした声が響いた。
『もし兵で病が出た場合どうする?一番体力のあるものが看病するのはあたりまえであろう』
さらに淑が酒であちこちを拭く姿が思い出される。風邪でも重くなれば子は流れることがある。身重の義姉には看病を任せられない。それを気遣ったに違いない。そして何より。
鈴花も一緒に遠ざけたのは義姉が子を成していることを俺に気づかせないためか……
張弦はふっと笑った。
あいつは本当によくわかっている……
張弦は鍋に水を張り、火を起こす。部屋の中に入ると、淑はあいかわらず日栄につきっきりだ。張弦はそっと奥の行李から兄の衣類を取り出した。懐かしさがこみ上げる。そして同時に兄がどこかに消えてしまうような気がした。それをぐっと握り締めると、張弦は誰にも聞こえないように小さくつぶやいた。
「日栄、これはすべてお前を看病する奴のために、だからな」
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