第二章 二話 神隠しの村 その一
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「大丈夫か?」
「大丈夫……」
そういうと、淑はぽんと道に降りた。淑は上を見上げる。自分が降りてきた崖だ。少し上にぽかりと穴が開いている。
「あんなところからあの洞穴に続く地下道があるなんて」
淑の言葉に、張弦がにやりと笑った。
「お前が山猫に襲われてくれたおかげで、裏に道があるとわかった」
山猫があの洞穴に達することができたということはどこからか入れるということと気づいた張弦は淑が寝ている間にあの裏を調べ、街道へ出る地下道を見つけたのだ。その言葉に淑がぷっとふくれる。
「そなたは本当にひどいことを言う」
張弦は笑った。
「お前、そのそなたというのをやめろ、お前は俺の下男だ」
ふたりで洞穴を出るときに決めた取り決めだ。
「そうでもしないと、お前がまだ生きているとバレてしまう」
後ろを歩く淑が神妙にうなずき、自らの姿を見るのがわかる。
淑が着ているのは、張弦が輿入れの荷物から持ちだした下男の着替えだ。染めのない木綿の服で、上からかぶるだけの簡単な衣服である。下も同じく木綿の下履きを履き、かぶりものもない。しかし、しっかりした徒歩用の靴だけは履かせている。他にも自分の身の回りのものは担がせている。
もちろんあのすっと通った鼻筋も雪のように白い肌も美しい薄桃色の唇も猫のような薄茶色の瞳も健在ではあるのだが、地下道を通り過ぎ顔も土で汚れたせいか今の淑からはあの萌黄色の美しい衣の時とはまた違う十六歳の少年らしさが感じられた。
何より、皇子とはいえ、六年も道士の弟子として山にこもっていたせいか、荷物を背い地下道を抜け崖を降りても足取りもおぼつくことなくついてくる様子が逞しい。しかし、淑はまだ戸惑っているようで、後ろから声をかけてくる。
「これから、そなたに対しどのように話せば良いのだ」
姿は変わったが美しい声は相変わらずで、張弦は少し戸惑いながらも軽く応える。
「そうだな、山人に話すように話せば良い。そなたはあなたとでも言い直せ」
「しかし、呼び方は?山人のことは山人と呼ぶが、そなた、いやあなたのことはなんと呼べば?」
「そうだな、下男は主をなんと呼ぶ?」
「ごしゅ……ご主人さま?」
張弦は思わず赤くなった。苑国で相手をそう呼ぶのは妻か妾ぐらいのものだ。普通は役職か家庭としての立場での呼び方をする。張弦はあわてて言った。
「張殿でいい、張殿で!」
「張殿……なるほど」
張弦のあせりを淑は全く気づいていないらしい。張弦はほっとしながらも、自分の焦りに自分で驚く。
そっと後ろを振り向く。すると、そこには丁寧な話し言葉をぶつぶつと唱える少年がいる。
あの男と女ともつかぬものはもういない……
張弦はほっとして声をかける。
「とりあえず、近くに俺の田舎がある、そこで休ませてもらおう」
「張殿のご家族に会う!会えるのですか?」
なぜか嬉しそうな淑に、張弦が聞く。
「どうした、何が嬉しい?」
淑が恥ずかしそうに答える。
「……家族というものは特別……です」
「そうか……」
淑が宮廷にいた頃は東方の乱の最中だ。父親は皇帝、兄は戦となれば、家族らしいこともなかったろう。いやそもそも皇族に家族らしい暮らしなどない。世話は乳母、母は皇帝の気を引くことでせいいっぱい、兄弟も異母兄弟ばかりということも多い。
しかし、張弦には張弦で心配があった。ある理由でここ、二、三年田舎に帰っていないのである。田舎に残っているはずの兄の妻鈴杏とその子供鈴花を思い出す。
家族らしいもてなしをしてもらえれば良いが……
それでも、村までもうすぐと思い、張弦が目を上げた時、飛び込んできたのは全く思いもかけないものだった。
「いったい、これは……!」
張弦は思わず走り寄った。
村があった場所には瓦礫と化した家があるばかりだった。