第二章 一話 宮廷の思惑
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苑国 洛都
「では、その張弦とやらが、輿入れの行列から皇女の身代わりをさらった上に崖から飛び降りたと!?」
「はい、逃げ帰った護衛が申すにはそのように」
苑国皇帝李逵は、その細く長い指で顔を覆った。細面の顔は青白く、今にも気を失いそうだ。そばに仕える宦官高賢は慌てて、その宦官にしては逞しい体で皇帝の細い体を支え、玉座に座らせる。皇帝はもともと体の弱い方だったが、東方の乱で活躍した第一皇子涼を死に追いやった林皇后に死を賜って以来、ますます食も細くなり、後宮に通うことさえなくなってしまった。
反対に目の前でうやうやしく頭を下げる中年の男のほうがでっぷりと太り、皇女の行列で大事が起きたというのに、むしろ声が生き生きとしている。
「李陵国、お前にすべてまかせたはずだぞ!」
その証拠に、李陵国は皇帝の叱咤に動じる様子もなく、さらりと答えた。
「それが、その張弦、本来の護衛とすりかわっておりまして……何者かの間者かと」
高賢は思わず自分の身が前に飛び出そうになった。それをなんとか制し、無表情を保つ。しかし、 李陵国はそれを見逃さず、皇帝にわからぬようにやりと笑ってみせる。
まだまだ宦官として未熟だ……
高賢は心の中で舌打ちした。まだ二十代半ばの高賢に、このたぬき親父を出し抜くだけの力はない。
しかしあの方なら……
「もう良い!下がれ!」
さすがに皇帝の怒気のこもった言葉に、李陵国がひれ伏したまま退出する。高賢も皇帝に礼をすると急いで回廊に沿った続き間を通り抜けた。
*
回廊の方からおだやかなようでいて怒気を含んだ声が答える。高賢は慌てて耳をそばだてた。
「李宰相、我が妹の輿入れで不手際があったようだが」
第二皇子景の声だ。宰相とは李陵国の役職名で、苑では君主の政務を補佐する最高位とも言える役職、彼ぐらいでなければ諌めるものもいない。
「大丈夫でございます、賊が連れ去ったのは身代わりと聞いております」
景の怒りがわからないのかわざとか、李陵国はそのままべらべらと喋り続ける。
「しかし、なぜそれがしに身代わりの話をして下さらなかったのでしょう。それも身代わりはあの方との噂も」
「口を慎め!」
景が厳しい声をあげる。まだ三十手前というのに、父親よりよほど凄みがある。
「ははっ……」
これにはさすがの李陵国も慌ててバタバタと立ち去る音がする。
*
しばらくすると、障子越しに第二皇子景の声がした。
「高賢か?」
「はっ……」
障子越しに声をかけられ、高賢は小さく答える。景もまた障子越しにやっと聞こえる程度の声でつぶやく。
「やはり、あやつ嗅ぎつけておったか」
景が言いたいのは、身代わりがあの方、ということだろう。いろいろと心当たりはあるが、それを自分から言える立場ではない。黙っている高賢の気持ちを察したのか、景が優しく慰める。
「父は嘘をつけぬ、お前が苦心しても様子でわかることもあるだろう、お前は悪くない」
高賢は、景の物静かで知的な顔立ちを思い浮かべ、思わず涙が出そうになる。景がさらに続ける。
「ともあれ、あやつは屍を見るまで、ふたりの死を信じはしまい」
「今後もあのふたりを探すようあの方に伝えておく、お前は父の様子をなるべく伝えてくれ」
「ははっ……」
見えないというのに、高賢はさらに深く礼をした。
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