二話 贖罪 その二
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ほどなく高燐に案内され、淑は酒宴が行われるという広間に通された。淑は思わずつぶやく。
「これは……」
淑の記憶ではこの広間は現皇帝である父が家臣と謁見をする間だった。しかし今は、広間の両脇に、膳を前にして客が並んでいる。それも、このあたりの有力者であろうか、赤い髪に大きなひげを生やしたもの、乗馬用の長靴をそのまま履いたもの、毛皮をなめした上着を着たもの、中にはすでに酒を酌み交わしているものもいる。官服を着たものは宦官だけで、それも女官のように忙しく男たちの世話をしている。明らかに宮廷の礼を知るものはいない。さらには淑を知らぬものばかりを集めた様子であった。何より驚いたのが、もともと玉座があった一段高い場所に李陵国が満面の笑みで座っている。
皇女である李蘭がいないことを良いことに取り巻きを集めて皇帝気取りか……
淑は唇を噛んだ。しかしその思いを抱いているのは淑だけではないようであった。上座ではあるが、苦虫を噛み潰したような顔をして座っている男がいる。
悧角将軍……
五十にはなるはずだが、今もその名を聞く、東方の乱で功績を残した武将である。
このあたりの軍の将軍であったか……
宰相である李陵国もこの屋敷の主である将軍悧角を無視することはできなかった様子だ。道士の装いに身を包んだ淑は当然のように末席に通される。 高燐が淑だけに聞こえる小さな声でささやく。
「どうぞご辛抱を」
「かまわぬ、わたくしは一介の道士」
しかし淑の姿に悧角将軍が目を見開く。子供のころとはいえ覚えていたようだ。だが淑はこちらに向かってこようとする悧角を目で制する。
自分は本来死を賜っている身。ここで騒ぎを起こしたくはない。
それより、どのように李陵国が自分を消そうとしているかが気になる。さっと淑は膳を眺めた。みれば用意されていたのは青磁の食器。そのうえ杯の柄がそれぞれ違う。淑のものは蓮の花が描かれている。淑は微笑んだ。
なるほど毒殺とすればこれか……
本来なら毒に反応する銀杯を使うべきところ青磁を使うことから怪しい。毒を酒に混ぜぬとも、毒に反応しない青磁の杯に毒を塗って渡せば良い話である。そしてその杯は柄で見分ける。簡単なことだ。また楊や李蘭のいない今宵、淑が死んだとしても一介の道士として扱えばよい。そもそも一度死んでいるのだから。ただ、これだけのひとの前で即効性の毒を使うとは思えない。
となれば自然死に見える後から効くものか……
「高燐」
淑はちいさく名を呼ぶ。すぐに若い宦官が音を立てることなく淑のそばに近づく。
「もしわたくしに何かあれば、すぐにふところにある萌黄色の袋を悧角将軍に渡すよう。また酒宴の後もわたくしから目を離さぬよう」
「かしこまりました」
すると李陵国が上機嫌で立ち上がった。
「今宵はそれがしのために集まっていただき感謝申し上げる。感謝の印として西方より取り寄せた葡萄酒を用意した、ぜひ堪能してくだされ!」
宦官の手で次々に柄の入った杯に紫色の酒が注がれていく。末席の淑の蓮の花の杯にもいよいよ葡萄酒が注がれようとしたその時だった。突然、広間の戸が大きく開いた。
「李陵国!お前はわたくしの弟をこのような末席に座らせるほど偉くなったのか!」
低く威厳のある声に、皆がそちらを向いた。
「第二皇子!」
李陵国が悲鳴に近い声をあげ、立ち上がる。
そこに立っていたのは、すっと背の高い、静かな、しかし厳しい目をした第二皇子景であった。
突然兄景があらわれ、李陵国はもちろん淑も驚いた。今や最年長の皇子である景は、そう簡単に宮廷を離れられる身分ではない。身なりも皇子らしい絹の衣ではなく乗馬に向いた丈の短い胡服を着ている。短期間で早馬を飛ばしここまで来たようだ。景の両側に同じく胡服を着た護衛がふたりいたが、すっと消えるのがわかる。
「ここに皇子の弟君がいらっしゃるとは……」
うろたえる李陵国に景がにやりと笑う。
「妹の蘭からお前がわたくしの弟の名を呼びながら礼もしなかったと聞いているが?」
そう言って淑の腕をとると立ち上がらせた。途端に客がざわめく。そんな客をよそに兄景の静かな目が弟淑を見つめる。
「久方ぶりであった、無事で本当に良かった」
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