一話 宮廷の闇
他サイトに掲載したものを改稿して連載しております。毎日8:00、21:00の二回更新!
洛都 東宮御所
「皇子……!」
高賢は小さな声でその名を呼んだ。庭の花を見ていたのか、すっと背の高い男が振り返る。そして、その静かだが厳しい目で高賢を見据えた。
「なぜ皇帝付きのおまえがここにいる」
皇帝の管理下にある高賢は、本来なら主の許しがない限りここにいてはいけない。しかし高賢は地べたにひざまづき、食い下がった。
「申し訳ございません、しかし、どうしても直接お伝えしたいことが」
第二皇子景の目が自分に注がれるのがわかる。いつもなら怯えて下がってしまうだろう。しかし、今日だけは絶対に戻れない。やっと皇子が口を開く。
「来い」
そう言うと、景は自室に入っていく。高賢も部屋に誰もいないのを確認すると、景に続く。景は文机の前にどっかと座ると、目の前の若い宦官に聞く。
「わたくしが今一人暮らしだという噂でも広まっているのか」
高賢は顔を赤くした。たしかに景が李陵国に皇女の身代わりとして輿入れ行列についていくよう指示したことを叔父に対する侮辱だと妃が怒り、里帰りしたという噂は宮廷内に広まっていた。
「申し訳ございません、しかし今しかないと」
高賢はそこまで言って慌ててひれ伏した。侮辱ととられてもおかしくない言い方だ。しかし、景はそんなことは気にせず、高賢が手に持った冊子を指差した。
「それはなんだ?」
「ここ数年の李宰相の親族と斗藩との交易を記したものでございます」
高賢の言葉に、景が顔を上げる。
「斗藩だと?しかし、斗藩とは交易が禁止されているはず」
斗藩は苑国の西隣に出来た新しい国だ。それだけではない、西丹や苑国と諍いを起こしてもいる。
「はい、斗藩は東方の乱に乗じて我が国に攻め込んだため、それを撃退した折、交易も禁じたのですが……」
景がつぶやく。
「たしか李宰相の弟の妻は斗藩から……」
「そのとおりでございます、そのつてを使い、今も荷を運び入れていることがこちらの記録に」
高賢の手から冊子を受け取る。そしてそれに目を通していく。しかし、その目は静かなままだ。その様子を見ながら高賢は思った。
やはり皇子は最初から気づいていたか……
高賢が先ごろ景から頼まれたのは、ここ最近の交易についてであった。あまりにも抽象的な頼みだったが、それが李宰相がらみであるということはすぐにわかった。そこで、交易を担当する文官で信用できるものに頼み、李宰相の周辺を探らせたのである。それの報告によれば、いくつかの貿易商を隠れ蓑にして、李宰相の弟が斗藩と交易していることがわかった。
景の手にある冊子には、印を頼りにすれば、どのようなかたちで李宰相の弟が斗藩と交易していることがわかるようになっている。しかし驚かないところを見れば、皇子はある程度想定していたのだろう。
相変わらず、頭の良い方だ……
最後まで目を通したのか、景が冊子を置く。
「よし、これだけあれば李陵国とのつながりはすぐにわかる」
「ははっ……」
高賢は平伏する。しかし、まだ動くわけにはいかない。
「どうした?まだ話があるのか?」
心臓がばくばくと鳴る。しかし、これは言わなければならない。高賢はやっと口を開いた。
「おそれながら第三皇子のお生まれについて調べさせて頂きました」
「なんと」
景が立ち上がるのがわかった。
「お許しください!」
しかし、高賢は頭をこすりつけるようにして、謝りながらもさらに続けた。
「なぜ李宰相が第三皇子にこだわるのか不思議に思えまして」
「確かに西丹に対する嫌がらせにしてはやり過ぎだが、お前も……」
景の声は静かだが怒気を感じる。確かに皇子の生まれを調べるなどとは失礼にもほどがある。しかし、調べずにはいられなかった。第三皇子の命がかかっているのだ。高賢の決意を感じたのか、景が言った。
「良い、続けろ」
その言葉に安心し、高賢は話し始めた。
「結果から申せば、第三皇子はちょうど林皇后が陛下に寵愛を受けていた頃。生まれにまったくの疑いはございません。ただ龍武での後宮の管理を調べたところ、記録は残っておりませんでした。さらに記録係は李士郎と名のるものでございました。そのころ龍武の宮廷では宦官が足りず……」
高賢はそれ以上言えなかった。しかし景はその意味を悟ったようだった。
「李士郎……宦官になる前の、父から国領の名をもらう前の名だな」
景がひとりごとのようにつぶやいた。
「……淑は後宮の闇を見たか」
「こればかりは推測にしかすぎませぬ、しかし第三皇子はすでに一度襲撃されております」
「もしそれが李宰相の命であれば、龍武でふたりが会うことになると……!」
景は高賢の話が終わる前にすっと部屋の外へと向かう。
「どうされました!?」
景はさきほどの交易の冊子の束を見せ高賢に告げた。
「まずはこれを父上に報告する、そして」
「お前はそれ以上心配せずとも良い」
そう言い景はにやりと笑った。
「そろそろ李陵国をもっと大きな餌で釣り上げる時期がきただけの話よ」
「もっと大きな餌とは……!」
景はそれ以上何も言わず部屋を出て行く。
すべてわかってやっていたのか……
高賢はぶるりと震えた。
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