第一章 一話 傾国の花嫁
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カッカッカッ……カッカッカッ……。
小気味よい蹄の音が幾重にも重なりあい、まるで音楽を奏でるように響く。驚く程豪奢な馬車の行列が苑国の首都洛都を出発したのは今朝ほどの事だった。
苑国皇帝の娘であり皇女李蘭の輿入れのための行列である。
しかし、沿道に出てくるものたちの顔は驚くほど悲しげだ。なぜならその行列は今や敵国とも言える西方の国、その名も西丹に向かっていると知っているからである。そして皇女李蘭がまだ十四歳にもならないということを知らぬものはいなかった。
いわゆる降嫁である。
時の皇帝は、戦よりもまだ年端もいかぬ娘を西丹の皇子の妻とし親族関係を結ぶことを良しとしたのだ。
それも無理はない。
大陸を一度は制覇し、国際都市とまで言われた苑国の繁栄も今や昔、東方で起きた反乱により壊滅的な打撃を受けた。なんとか復活を果たしたが、その際に援軍を頼んだ西丹が戦か降嫁かという苦しい選択を迫ってきたのだ。まだ反乱の傷も癒えぬ苑国が降嫁を選んだのも仕方がないことではあった。
張弦は、ちょうど行列の中央にある皇女が乗る馬車の脇を警護していた。といっても、普段はこのような任務にはつかない。張弦は宮廷の衛兵ではあるが後宮とは縁がないからだ。しかし突然、ある方から頼まれたのである。
まわりを注意深く見ながら、張弦はその方の言葉を思い返していた。
『この降嫁に反対する者たちがいる。西丹のような蛮族に従うのかというのだ。しかし無事に皇女を送り届けなければ今度は西方で戦になる。何があっても皇女をお守りせよ』
張弦は未だなぜ自分が選ばれたのかわからず、その筆で書いたような濃い眉を潜めた。
細身ではあるが、背も高く、鍛えられた体を持っているという自信はある。また宮廷の衛兵として、極秘の任務にも耐えられるよう様々な訓練もしている。しかし普段、後宮に関り合いのない自分が顔も見てはいけない皇女の護衛をしても良いのだろうか。実際、自分以外は普段後宮で護衛をしているせいだろう、見たこともないものたちばかりだ。
しかし、ちょうど峠道にさしかかった時、張弦の逡巡は怒声によって阻まれた。
「うわあああ……!」
突然、両脇から男たちが飛び出してくる。ボロを着て山賊を装ってはいるが、その刀が真新しいのを見て、すぐにそうではないとわかる。張弦はすぐに刀を構えた。
しかし、もっと驚くべきことが起きた。
ひゃああ……!
あの長蛇の列を作っていた宦官らはもちろん、次から次へと後宮の護衛たちが逃げていくのだ。
「どういうことだ!」
張弦は思わず叫んだ。それでも、張弦は刀を構え、賊を睨みつける。数えれば五人、しかし、逃げない護衛がいるのに驚いた様子だ。
さほど強くない……
五人がかりでも勝算はありそうだ。しかし、今一番大切なのは皇女を守ること。
張弦は頭を切替えた。
「お許しを!」
そう叫ぶと、迷いなく皇女の馬車に飛び込む。
えっ……
張弦は叫びそうになるのをこらえた。
そこには、女とも思えるほど美しい少年の姿があった。
これは一体……
張弦は思わずその少年を見つめた。
小柄で萌黄色の女物とも見える着物さえ着ているが、同じく萌黄色の薄衣で隠した顔の下は、鼻筋の通った凛々しい十六、七の少年の顔であった。ただし、肌は雪のように白く、唇は紅をさしてもいないのに薄い桃色で、綺麗な弧を描いている。それでいて、その目は、まるで猫のように誰にも媚びぬとばかりの薄茶色の瞳をこちらに向けている。何より、こんな騒ぎの中で、その眼に恐れはなかった。
こんな時間はないっ……
張弦は慌てて視線をその少年から逸らした。
すぐそばにあった布を少年にかぶせる。そして横抱きにすると一気に馬車の御簾を突き破る。当然のように賊たちは馬車のまわりを取り囲んでいた。そのひとりに向かって、帳弦は全体重を肘にかけ、ぶつかる。
「ぐぉっ……!」
みぞおちのあたりをやられた男が声をあげて倒れる。まわりが怯んだ隙に、張弦は林の中に飛び込む。
「待てっ……!」
男たちが林の中を追ってくる。しかし、張弦は止まらず、深い藪の中を少年を抱えたまま、飛ぶように走る。
「くそっ……!」
男たちの声が背後から聞こえる。藪の中で走るのに慣れていないらしい。その上、矢も飛んでこない。
やはり、訓練されていない者たちか……
張弦は走りながら微笑む。しかし一番驚いたのは抱えた少年の事だ。小柄なため軽いのは当然だが、まるで荷物のように体に力を入れず、運ばれるがままになっている。
こいつ、逃げ慣れている……?
少年にしがみつかれたり暴れたりされれば、張弦はすぐに男たちの餌食になるだろう。それをわかっているようだ。
藪の中を走るうちに、ひとり、ふたりと賊が減っていく。諦めたのだ。それでもひとり粘るものがいた。
さて、どうする……?
張弦はいきなり方向を変えた。突然目の前が開けた。そこは断崖絶壁であった。その先は霞で底さえ見えない。後ろから最後に残った賊が叫んだ。
「そのものを離せ!」
絶壁ぎりぎりのところで、張弦はすぐそばの木に手をやる。そして、振り返ると叫んだ。
「離したらどうするつもりだ!」
相手が答えにつまる。張弦はさらに叫ぶ。
「殺すつもりだろう!」
これは最初から仕組まれた罠だ。そうでなければ、護衛が一気に逃げたり、手練でもない男を賊に仕立てたりなどしない。張弦はにやりと笑った。
「心配するな、俺が殺してやる」
そういうと、張弦は一歩後ろに脚を引いた。張弦の下にはもう地面はない。霞があるだけだ。
ひゅう……っ……
「うわあっ……!」
張弦の耳に、男の叫びと、風を切る音が同時に届いた。