急転直下
「ッ!ふざけるな!」
「私はいたって真面目にお話しているのですよ」
ここは橘家のお膝元のテナントに事務所を構える民間軍事会社の社長室。俺はあくまで橘家の使者として交渉…もとい降伏勧告に来た。
これまでのように好き放題するのをやめてこちらのいうことを聞け、そうでなければ公式にテロリスト予備軍として認定すると脅す。これだけを言いに来た。
正直性急過ぎるとも思うがただでさえ逃げ場の少ない妖魔が追い詰められればすぐに花火を打ち上げるのは想像に難くない。
一気呵成に解決する、これが伏見さんの提示した基本戦略だ。
「これまで碌な戦力も供出できずに端金で振り回した挙句お役御免になったら今度はレッテルを張って追い出すだと!?」
「我々はあくまで適正な相場に合わせてお支払いしております」
しっかりと練習してきた営業スマイルを披露しながら一歩も引き下がらずに交渉を進める。これ見よがしに黒曜を腰に吊るし、暴力を伴う脅しは無意味であることを示している。
向こうも顔の怖い人を何人も並べて威圧しているが正直無手の師匠の方が遥かに怖い。
「あくまで我々は洛都府の要請を受けて執行しております、組織的公務執行妨害は軍の動員も明文化されておりますが、それでも抵抗するというのであれば、致し方ありませんね」
「…わかった」
ついに折れてくれたらしい。よかったー、俺のノルマはこれで終わりだ。
「そうですか、では後ほど書面にて正式に通告させていただきますね」
「フン、そのつもりなら最初からそうすれば良かっただろう」
「いえ、説明もなく急な布告ではお困りでしょうという我が主君の計らいにございます」
あくまで冷酷なトップダウンの指示と聞いて最早これまでかと社長は天を仰いだ。
外回りを終えて俺は橘家の本家に帰る。今日は午後一杯は旗本の訓練の面倒を見て、夜は進行度の芳しくない夏休みの宿題をしなくてはならない。
橘家に仕官してから早20日、既に橘家の勢力は半ば行政の威を借る形ではあるがPMCを配下に収めることである程度は安定している。そもそも行政の母体は四摂家の分家を整理も兼ねてまとめただけなので四摂家の派閥が幅を利かせている。もちろん最大勢力の藤氏閥と協調しているだけではあるが。
しかし結局現代は金の世である。経済的な影響力は未だ皆無同然なのでどうにかしてここを何とかしていきたいものではある。
とりあえず今日の営業で武門は口約束だけでもまとめれたので明日の朝の会議にはなんとか間に合いそうでよかった。
俺は日付が変わる直前になんとか宿題の目標進行度に達したので安心して床に就いた。
翌日、朝一の会議。地方への営業へ行っていた人たちも戻り、重要な幹部が全員勢ぞろいした会議で俺は千沙希の後ろに傍付きとして控える。実質的に旗本を統括しているのは俺と執事の楠木正則なのだが建前としては千沙希が将官としてトップになっている。
一応情報の共有はしっかりしているのでボロは出ない…はず(保険)。
俺のそんな心配は不要だったのは幸いだ。会議はつつがなく進み、そして伏見さんの出番がやって来た。
「えー、隠密調査の結果と平家、源家の両家の告発によって、洛都南東部の経済街一帯での強制執行捜査の令状が発行されました。明日朝6時に洛都行政府検察特別捜査部、及び国防陸軍監査部、及び摂家橘家の旗本衆による合同捜査本部をこの橘家に設置、同時に不正企業に一斉強制捜査を執行します」
伏見さんは一息に言い切り、言い終えたところでみんなからどよめきの声が上がる。
正直俺もびっくりした。めちゃくちゃ根回し早いじゃんと思ったけど多分これ平家がせっせと集めてた情報と源家に来たご挨拶の記録を提出しただけなんだろうな。
まあ何がともあれこれが上手くいけば一気に影響力に集められるいい機会だ。俺にも役割が与えられるだろうし立身出世のチャンスが早くも巡って来た。
伏見さんはてきぱきと各幹部の役目を指示してこの会議は解散となった。
だが摂家とはいえ落ち目の家、泥船からは絶対に誰かは逃げ出すものだ。
「一体誰に連絡しようとしていたんだい?」
俺は伏見さんと一緒に外部に情報流出しようとしていた幹部を捉えて尋問をしていた。先程の会議は踏み絵だったのだ。会議に参加していた幹部全員に伏見家の隠密が監視についており、不審な行動をしたものを片っ端からとらえていたのだ。結果半数が捕らえられた、思ってたよりひどかった。
「わ、わたしは何も知らんぞ!」
「ま、別に教えてくれなくても神通力でどうにでもなるからいいけどねー」
「問答は面倒だ。さっさとやってくれ」
「おーけー」
俺は神通力で理性を少しいじいじして自発的に情報を喋らせる。尋問の神通力は師匠から身を以て教えてもらっているので得意なのだ。
吐かせた情報をすぐに検察と陸軍に連絡、こちらも動かせる手勢を全て動員して即座に特別背任で現行犯逮捕を実行に動いた。
これが後に8月21日の百鬼夜行と呼ばれる一大事件の幕開けであった。
午後5時ちょうど、なんとか情報統制を終えて明日の支度が済んだところでそのまま展開、現行犯強制執行という史上類を見ない大捕り物が始まった。
俺は初め伏見さんとは別の現場に数名の旗本を引き連れて押収を行う。他の現場にも千沙希や楠木正貴など裏切らなかった幹部が旗本を連れて押収に向かい、他の末端企業には検察や陸軍が急行し、証拠隠滅防止にPMCも動いた。
情報はSNSなどを介してあっという間に拡散。密輸カルテル側も情報を掴んですぐに行動を始めた。
場所はとあるビルの屋上。丁度哉人と伏見が押収している姿見える位置。
「急げ!突入されただけじゃまだ致命傷にはならん!奴らをここに釘付けにしておけばそれでよいのだ!」
何人かの男が運んでいるのはとても古い妖術が刻まれた古紙と土くれのような木像。それはまるで人のような、足のない蛙のような珍妙な姿。しかしそれこそがデイダラボッチの封じられた木像であり、彼らこそマホロバ天文台からデイダラボッチの召喚式を盗み出した妖魔とその同士たる人間たち。
そして彼らに捕らわれた千沙希。彼岸の強者の追跡を振り切った妖魔たちだけが此岸に逃れられる。すなわち妖魔の中でも指折りの強者だけが此岸にいるのだ。千沙希は華族と言えどまだ高校以降の正式な訓練を受けていない身。勝てるわけがないとさえ言える。
「デイダラボッチを召喚し、百鬼夜行を起こす。そうすれば帰宅ラッシュに直撃し、官憲どもも華族どもも市井の民を守ることに全力を尽くさねばならなくなる。さすれば我々はその混乱に紛れて逃げ切れる」
「そうだとも、準備は整ったか!?」
「いつでもできるぞ!」
数人が古紙を星座を模した魔法陣を描くように配置し、そしてその中心に縄で縛られた千沙希と木像が置かれる。
「では行くぞ」
「3,2,1、0!!!」
妖魔たちが妖術で千沙希の体内の妖力を強制的に励起させ、木像の封印を解かせようとする。
自分の頭の中に何本もの手を入れられかき混ぜられ全身に痺れる様な感覚が這いまわり、身を悶える。華族としての矜持が悲鳴を許さず、声にならない声がそれでも漏れる。
「がぁ…あ…あぁ…!」
しかし伏見と御影に急激に追い立てられて危急に瀕した者たちはそんな配慮をしている場合ではなかった。
木像は少しずつ震えだし、千沙希が限界を迎える直前にソレは立ち上がった。
「よし!召喚に成功したぞ!」
デイダラボッチが召喚陣から生まれ出てビルの屋上から飛び出して道路へ落ちていく。
「よし…!これでなんとか逃げれるか!」
「急げ!すぐにここにも華族どもが来るぞ!」
妖魔たちやそこに集まった者たちがまだ協力して逃げようとしたその中央に一人人影が増えていた。
「流石は公僕の監視から逃れた者たち。先見の明はいいようだな」
全員の視線がその発言をしたものに集中する。
「此岸では、な」
青い着物に身を包んでいることでよりその得物の色が強調される。
「朱い大太刀!まさか!」
「貴様は来れないはずだ!こんなところには!」
朱刀、唐紅。当然その持ち主は御影哉人の師、在原凌雲。
途端に規律を失い皆が一目散に逃げ出す。しかし、誰も叫び声すら上げることなく凌雲の手で捕らえられる。
「ま、こんなもんかな」
「う…、在原…さん…!」
なんとか意識を保っていた千沙希がよろよろと起き上がり、周囲を見回すがそこには誰もいなかったが、召喚陣だけが残っていた。しかし下の大通りを見下ろすと、何か透明な影がよろよろと立ち上がろうとしているところだった。
「いやっ…!嘘…!」
かつて一度だけ訪れたマホロバ天文台で、そこに住んでいた少年と共に古い絵本で見た怪物。百鬼夜行を引き起こす妖魔の中でも最恐の一つと言われた怪物。
「デイダラボッチ…!」