百鬼夜行を終わらせる者
哉人が神通力を使えるとわかってすぐに、御影静流は神通力の使い方を教えるためにかつての縁から在原家を頼った。在原家は代々神通力に目覚める者の多い血族。その中で唯一他人に教えるということを厭わない凌雲の手に預けられるのは必然だった。
華族としての武術、妖術、礼儀作法、学問に至るまで哉人はマホロバ天文台で凌雲から教わっていた。。
そんなある日、もう一人の神通力使いが凌雲に託された。
準星、橘千沙希。妖魔を惹きつけるという体質であり、その影響力は日に日に増していた。
そしてついにその日がやってきた。護衛の旗本を屠る強力な妖魔に襲われた。護衛の者たちと、母が自分を守るために犠牲になった。妖魔は駆けつけた父と楠木正則が討伐したが既に母は息絶えていた。
父はここに至り天文台に千沙希を預けた。神通力を使える者は彼岸にはそこそこいるが此岸にはわずかしかいない。準星ともなれば過去数度ほどしか例が無い。
準星に対処できるのは海外の記録を持つ天文台しかない。天文台にはアーカイブデータが共有されており、ギャラクシー時代からのクエーサーの対処方法も数多く記録されていた。
凌雲は千沙希の神通力ごと封じることで妖魔を引き寄せないようにするために封印処置を執り行うことにした。
しかし精神が不安定になっている状態では処置が難しいためしばらく様子を見ることにしたのだ。
「ふっ!はぁっ!」
哉人は天文台の能舞台で剣を振り、閻魔影心流の剣術の型を体に覚えこませる。
閻魔影心流は彼岸で最も勢力の大きい閻魔系統の中でも最も広く教えられている剣術であり、在原家や伏見家でもほとんどの者が教えられる。凌雲の元に預けられた哉人も例外ではなかった。
「ふう」
一通りつつがなく、滑らかに型を一通り舞いきる。閻魔影心流は全ての型を一つの演舞になるように繋がっている。舞として覚えれば全ての型を使いこなせるようになり、型と型のつなぎも滑らかになっていく。
たとえ戦う相手がいなくなろうとも、戦う術を忘れないようにするために。
そう言いつけられていたので毎日一度は師がいなくても舞うように剣を振っていた。
ふと見所を見るとそこに一人の少女が座っていた。
一応、師から一時的にもう一人預かると聞いていたからそんな驚きはしなかった。そもそも見所に座っているのはこの時が初めてではあるが何度か覗きに来ているのは知っていた。
神通力の目で見ればその少女も神通力使いだと一目でわかる。
だがなぜか少女の表情は暗く、目にも影を落としている。
俺は客席に下りて少女の隣に座る。
元々能舞台の鏡板には松が描かれていたのだという。しかし有史以来全ての能舞台の鏡板に描かれているのは桜だ。
マホロバを象徴する存在として桜は5万年間マホロバの民に愛されているのだ。
能舞台に立つということは桜を背負うということにもなる。
「君も、華族なんだろ」
「……」
このときに何故話しかけようと思ったかは覚えていない。放っておけなかったからか、単純に可愛いからだったか。多分どちらもだったと思う。
「あの舞台に立ってみないか?」
手を差し出すと意外にもその手を取って立ち上がったのはよく覚えている。
能舞台に上げてあげると少女は途端に震えだした。ふと橋掛かりの方を見るとそこには揚幕から現れた妖魔がそこにいた。
俺は咄嗟に少女の前に立ち、刀を構える。
「…ッ!」
「大丈夫、俺が守るから」
橋掛かりを駆け抜けて本舞台に侵入する妖魔を一刀両断。
妖魔の爪が俺を襲う前に露と消える。
「大丈夫だ。もう祓った」
少女の方を見ると震えが止まらず、今にも崩れ落ちそうだ。
俺少女の肩を抑え、おでこを合わせる。
「大丈夫、大丈夫」
「あなたはいいですよね」
「…?」
少女が初めて発した言葉は考えたこともない言葉だった。
「あなたは強くて、戦う力があって」
「そのために、鍛えているからね」
「私はどれだけ鍛えても強くなれない、妖魔を引き寄せて、自分も守れないからみんなに迷惑をかける」
「…そんなことは…」
「華族だから、戦わなくちゃいけないのに」
「そんなことはないはずだ」
「そうなの!」
突き放すように叫んだ少女に俺は少し怯んでしまった。だがこの時の俺は自分の力を少し過信していて大言を吐くのにためらいが無かった。
「なら、俺が代わりに戦うよ。君が勝てない相手は俺が倒す」
「え…?」
「だから約束しよう。君は君ができることをやる。それでも出来なかったら。君が全て投げ出したくなったなら、俺が全てを受け止めてあげる」
「約束…する。絶対に守ってね!」
「ああ、約束だ」
俺はこの時の約束は後に運命だったのだと悟った。次の日、彼女は星の力を凌雲に封じられ、此岸へと返っていった。
俺は勇気を与えられたのだ。
意識が現代に戻る。眼下から続く大通りの向こう側で待つ少女に襲い掛かるデイダラボッチ。最早足止めは機能していない。
今、俺が倒せなければ洛都も千沙希も終わりだ。
「今、俺が全て受け止めるから。待っていろ」
「…!」
哉人は通信を切らずに懐にしまい、刀を鞘に収める。
「ここは任せて良いな、平の」
「ああ、任せろ。存分に行ってこい!」
平正春はサムズアップして後押ししてくれる。
哉人は居合の構えのまま空中に飛び出す。神通力の輝きがさらに増し、全てのベクトルを正面斜め上に固定、大通りの上空を一瞬で駆けていく。
下で戦う楠木正貴が、源義臣が、源進九郎が、久我義照が、平将重が、藤原瞳子が皆見上げる先は空駆ける一筋の流星。
御影静流は窓を左から右に駆け抜ける流星に、3度願う。
哉人は神通力の純度をあげていく。本来神通力を使っても命令に従うフューズは3割から5割ほど。このノイズが本来の輝きを色褪せさせてしまう。だから哉人は全てのフューズに意識を繋ぎ、純度100%の輝きを放ち、刀に込めていく。
「純化!」
このままデイダラボッチを倒せば望んだ将来には絶対にたどり着けない。三人で暮らしていた時のような慎ましく、穏やかな暮らしには二度と戻れない。
でもきっとこれでいいのだ。雑念を今は振り払って約束を果たしに行こう。
そう考えると意識が現実に重なるようにもう一つの世界を見せてくれる。それは今は既にない星の子の母星、天球。
「過剰剣気!」
鞘から光が溢れ、柄も純白に染まっていく。神々しさを感じられるような星の羽衣を纏い、デイダラボッチを正視する。
首元で暴れまわるように動き回る核を認識する。
見つけた。
剣を鞘で走らせ居合一閃、振り抜く。
「閻魔影心流、奥義!絶影!」
目を焼くほどの輝きを放ちながら純白の魔刀、白陽を振り抜き、核ごと頸を切り放す。同時に駅ビルに映るデイダラボッチの影の首も切り放される。
核を失った瞬間に百鬼夜行の妖魔は完全に機能を停止、直後に全て土粒に変化し、自重を支えきれなくなり崩れ落ちていく。
デイダラボッチが崩れていく。
哉人はそのまま屋上を見下ろす。そこには怯えたまま端末を握りしめた千沙希の姿があった。
居合を振り抜いた直後、右手は右に、左手は左に大きく開いた状態になる。白陽を一度デバイスに収納し、少し降下して千沙希を抱きしめてもう一度飛翔、錐もみ回転しながら駅の向こう側の通りを滑空していく。
「ごめん、遅くなった」
「約束、忘れたかと思ってた。家に初めてきてくれた時、私に気付いてなかったから」
「名前!聞いてなかったから!わからなかったの!約束は忘れてないよ!」
「本当ですか?」
胸元からじとーっと見上げられると冷や汗が走る。
「本当だって。大丈夫、これからは俺が戦うから。君が戦わなくていいように、僕が果たすから、変えて見せるから」
「はい、あの日より、慕っていますか。あなたの強さに、心に、恋焦がれていました。好きです」
「ああ、俺の傍にいればいい」
千沙希は胸元にしがみついたまま泣き出す。彼女はずっと苦しかったのだろう。だけれど哉人との約束を果たすために頑張り続けていたのだろう。
それには報いなくてはならない。自分がどうなろうとも、責務がある。
大通りに近づいてきたので哉人は千沙希をお姫様抱っこして着陸態勢をとる。神通力を使ってふわりふわりと浮遊する。
かつては神通力を使うのに術式を練る必要があったが今は自分の体のように扱える。これも純化の極致に至ったからだろうか。
今ならできるはずだ。
「ちょっとおとなしくしててくれよ」
哉人は千沙希の唇に口づけをする。二人の神通力をシンクロさせて千沙希の光を抑えていく。
顔を放すと、千沙希の瞳はかつてのように宝石のような輝きを取り戻していた。
二人は分かっていた。もう、準星に困らせられることは無いのだと。
哉人は一つ、酷い策を思い付き、実行することにした。
端末で橘家本家に連絡する。
「百鬼夜行を沈めました。千沙希も無事です」
『なんと!お見事!大手柄だ!』
「しかし土岐駅前の大通りは被害甚大、被害総額も天文学的金額になるでしょう。ですから、すぐに復興に取り掛かるために被害を受けた全ての団体、企業、勢力の代表と復興のために必要な資材、人材の供給ができる企業の代表を一度に集め、明日の午前までには会盟を開いてもらいたい」
『会盟…とな』
通話の向こうでは橘右京が要領を得ないという感じだ。
「今は大きな災害の後。しかしこれは皆が一様に振出しに戻ったも道理。この復興事業の音頭を取った者が次の洛都経済の支配者となるのです。この点においては元来橘家の領地故橘家に一歩だけ有利がございます。今が橘家の栄転の最大の好機なのです。官憲や企業に先を越される前に今すぐ号令をかけなければならないのです」
『…』
少し唸り悩んでいるような声が聞こえる。これは一世一代の転換点になる。覚悟を決めなければならない。
決断には数秒の時を必要とした。
『相分かった。今すぐ取り掛かろう。君もご苦労だった。今日は休め。千沙希にもそう伝えよ』
「了解しました。では失礼します」
通信を切って心配そうに哉人を見ているので千沙希の頭を撫でて安心させる。
ぽつぽつと雨が降り出し、すぐに大雨になる。
「帰って休もう。雨に濡れた。風邪を引いてしまう」
「はい!」
「それは少し待ってもらおう」
哉人が振り返るとそこに装甲車の上に源義臣が仁王立ちしていた。どうやら交通整理が行われている通りを装甲車で飛ばして追いかけてきたらしい。
とんだ戦闘狂である。
「百鬼夜行を沈めた大手柄、お見事であった」
装甲車から飛び降りて哉人の前に立つ。そして大太刀を抜いて、切っ先を向ける。
「比類なき強者。『空亡』、御影哉人に立ち会いを所望する」
「いいだろう。ごめん、千沙希。少し離れていてくれ」
百鬼夜行を鎮めた者の称号、それを二つ名に与えて義臣が呼ぶ。
哉人はデバイスから再び愛刀を呼び出す。今は元の漆黒の黒曜に戻っている。純化はまだ自在には使えないが神通力を使えばあの源義臣にも遅れは取らないだろう。千沙希が離れたのを確認してから源義臣に向き合う。
二人が自分の得物の切っ先を向けあう。
「「いざ、勝負!」」
二人は互いに高速の突きから始める。刀の反りに合わせて二人の体も逸れて一度は完全に互いに背を向けあう。しかしすぐに振り向いて刀を打ち付けあう。
そこからは乱打戦になった。二人共刀身を妖力で覆っていなければ刃毀れしてボロボロになるか酷ければ折れてもおかしくはない。
しかしお互いに数時間戦いっぱなしでかなり疲労がたまっている。それでも剣閃の輝きは全く色褪せていない。
だが得物のリーチの差が少しづつ響きつつあった。哉人が少しづつ防戦一方へと傾いていく。
哉人の疲労はとても無視できる状況ではない。長期戦は不利と悟ってリスクを負った無理攻めに賭ける。
「これで決着か」
互いの刃が互いの首筋の寸止めで止まっている。
「『空亡』、次に立ち会う時は互いの全力を尽くそう」
「…ああ」
義臣は太刀を納めて撤退していく。哉人は雨の中その後ろ姿を見送る。
とても、とても大きな背中だった。