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第93話 生きて、帰りましょう

――伏せて!


 伏せたその一瞬に轟く乾いた発砲音。

 俺たちは両耳に手を当てて伏せる。椿は車を急停止させ、そのままハンドルの下に頭を隠した。

 ほぼ同時に後部座席の車窓ガラスに直径三センチほどの穴が開き、それが反対側の窓ガラスにも穴を開けていた。

 ガラスの破片が、あたりに飛散している。

 しばらく沈黙が流れる。

 心臓の鼓動だけがやけに強く響く。

 僅か数秒のことが、何十時間も長く感じられた。

 発砲音がもう一発。


――手を上げて、車から出てきなさい! そして一列に並びなさい!


 どこかで聞いたことのある女の声。俺はそっと顔を上げ、外を眺める。

 車窓の外を見た瞬間、俺は度肝を抜かれた。

 俺たちは四人の白装束に身を包んだ謎の集団に包囲されていた。女二人に男二人。うち二人に俺たちは覚えがあった。車の真正面にいる茶髪ロング、先端をカールさせ、妖艶さを醸しつつもこちらに銃口を向ける女、そして車の間右から銃を構えるがっしりした体格の金髪の男――そう、アイボリーとベージュ。

 これまで幾度となく、俺たちの前に現れた白装束の一味。彼らは獲物を取り逃がさないという目つきで、檻に入り込んでしまった俺たちを捕らえていた。


 だが、二人の正反対にいる仲間は初めて見る奴ら……。車の真後ろに、背は百五十センチ程度だが赤髪ショートヘアの鋭い目つきの女――車の左側に細身だが身長が二メートル近い背の高い男。彼は片目に眼帯をしていた。

 そしてその背後、森の中に何十人もの人影のシルエットが浮かんでいる。白装束の仲間だろう。


「リツ……外にいるのって……」


 椿は伏せた頭をわずかに上げ、外を確認してつぶやく。

 俺はこくりと頷いた。


「あいつらだ。いつの間にか嗅ぎつけてやがったんだ……!」


 確かに、白装束の姿が見え隠れしていたが、俺たちは目先の事件に(とら)われて、彼らの動きを一切考えていなかったのだ。

 しかし、なぜこのタイミングで……!

 ふと俺は旅館を出る直前の酒川のことを思い出した。あいつは俺たちに暴言を吐いていた。


――いいか、今やってることはすぐにやめて、手を引け‼ どうなっても知らないからな‼


「まさか、あいつ……」

「どうしたの?」


 ふと漏れた言葉を椿が察知する。


「白装束の奴らを酒川が呼んだんじゃねえのか」

「え?」

「証拠はないけど、姉川班が白装束とつながりがあるとすれば、あの事情確認の後、何らかの形で連絡を取ったとしたら……」

「そんな……」


 椿は一瞬無言になる。


「……でも、現に白装束が私たちの目の前に現れてるからね」

「ああ。奴らの目的は俺たちにある。それも、前からわかっていたことだ」


 奴らは俺に薬を売りつけ、紅葉ちゃんは薬を飲んでしまった。そして、薬を飲んだ人間は数日後に謎の失踪を遂げていた。奴らが使用者を何らかの形で拉致しているのだろう。

 奴らにとって、俺たちを取り逃がしたのは失態に違いない。

 白装束たちは銃口を突きつけている。


「お姉ちゃん」


 後部座席にうずくまる紅葉ちゃんから弱々しい声。泰子ちゃんは朝永さんが覆いかぶさる形で、車の底で震えていた。


「みんな、絶対に動いてはダメよ」


 小声で椿が鋭く言い放った。

 俺はつばを飲み込んだ。


 しかし、状況は刻一刻と悪化する。直後に威嚇射撃が二発、空に放たれた。


「我が主上は貴方達が“楽園”に来ることを望んでおられるの。その意に反するのなら、少し痛い思いをしなくちゃいけないわね。手荒な真似はしたくないけど」


 アイボリーが一歩前に出る。彼女の仲間もまた一歩、前に出る。

 女は俺たちが乗る車の左側にいる男に命じた。


「パーチメント、やりなさい」

「御意」


 無機質で感情のない機械音声のような返答の刹那、


 バン‼


 鼓膜を突き破り、脳を揺さぶる発砲音。

 今度は俺の頭上で車窓ガラスが割れる音がした。

 俺は目を強く閉じ、両手で頭を押さえる。同時に顔や頭の一部に飛散したガラスの破片が降りかかり、頬や腕に傷を作る。

 俺のまさにその上を銃弾が通り抜けたのだ。

 被弾していたら間違いなく終わっていた。

 心臓が止まりかけるが、すぐに高速で拍動を始める。額から汗が出ている。頭がパニックになりかける。

 俺は必死で痛みをこらえた。

 生まれて初めて経験した命の危機。

 最悪を想定するのは簡単だ。しかし、行動を起こさないとこの場を切り抜けることはできない。

 どうやったら窮地を脱出できるのか?

 今のオーバーヒート寸前の頭で考えをひねり出せるのか?


――ねえ、こんな時どうしたらいいと思う?


 ふと、声がした運転席に顔を向けた。

 俺は目を見開いた。


 椿が頭を傾けながら、左手でシフトレバーを握り、右手にはしっかりハンドルを握っていた。

 椿の頬と腕には無数に切り傷がついて血だらけになっていた。手などでガラスをガードしたようだが、ガラス片の一部がかかったのだ。


「椿!」

「私に任せて」

「お、おい、椿、何する気だ」

「こんな時こそ、あなたや紅葉、依頼人を守らなきゃ、ときわ探偵事務所の所長として失格よ……!」

「まさか……脱出する気か⁉ む……無茶を言うな! 周りは殺し屋のプロなんだぞ! 抜け出せるわけないだろ!」


 俺は感じたことのない最大級の恐怖から、一気にその言葉を吐き出した。すでに俺の脳はパニックを起こして、止めようがなかった。

 しかし、椿はあくまで冷静に応答した。


「私を信じてほしいの。そして、リツ、あなたにも協力してほしい」

「き……協力?」


 何か、手があるのだろうか。


「リツ、推理が得意だから、記憶力もいいでしょ? この森の地形を把握してるよね」

「あ、ああ……」


 この森周辺の道は日常的に利用していて、森の中に足を踏み入れることもあった。


「この先に何があるか、わかる?」

「確か……市内に続く国道があったな。ときわ駅に続いている道だ」


 椿は右目をウインクさせた。


「ならいいわ。リツ、私は全速力で車を運転するから、どこに進めばいいか指示してくれない?」


 そんな無謀な! 俺は心の中で、大声で叫んだ。当然それは顔にも表れる。


「正気かよ、椿!! 森の中だぞ!? そこを全速力でって」


 しかし椿は努めて冷静だった。


「助けを呼べない状況で他に手は残っていないわ。顔を出せば撃たれるかもしれないし、ここに留まっていてもあいつらの餌食になるだけ。

 リツ、今一度冷静になって。この場を切り抜けられるのは、私たちだけなのよ」


 俺はつばを飲み込んだ。後ろには怯えている紅葉ちゃんと依頼人。彼らの命も懸かっている。


「……そうだな、椿」


 椿は顔を縦に振った。


「生きて、帰りましょう」


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