第90話 噂を嗅ぎ回るネズミ
俺と椿は別の部屋を借りて、酒川巡査部長から話を聞くことにした。彼は殺害された木田刑事の同僚であり、木田刑事と行動を共にしていた。
酒川刑事は不機嫌そうに顎に手を当て、膝を立てていた。
「で、なんで探偵がしゃしゃり出てるの? 事件の捜査は警察の仕事なんだけど」
「私たち、仕事の関係で警察の方々の捜査に協力してるんです。ここで知りえた情報は、警察への情報提供以外には使用しません。どうか、事件があったときのことを教えていただけないでしょうか」
椿はなるべく相手に不信感を与えないように捜査協力を求めた。
俺と椿は事前の作戦会議で、姉川班の目的の探りを入れるため、警察の捜査に協力しているという体裁で接近した。そして、考えたシナリオに基づいて事情を聞き取り、どこかのタイミングで鎌をかけることにした。
一方、酒川刑事は先ほどまでひどくおびえた様子だったのに、相手が下手に出られると知ってか、早く終わらせてほしいのか、苛立ちの中にどこか横柄な態度が見え隠れしていた。
「……その、仕事ってなんだよ」
「守秘義務がありますのでお答えできません」
「は?」
酒川刑事が怪訝な顔をするので、俺は一瞬びくっとする。メモをする手が止まる。
重要な局面で足が震えてはならない。
俺は自分を奮い立たせつつ、状況を見守った。
「個人情報を簡単に教えるなんて、できませんよ。お客様との信用問題にかかわりますからね」
椿はきっぱりと酒川刑事に返答する。
酒川はそんな椿を観察しつつも、隣にいる紅葉ちゃんや、メモを取る俺をも確認している。そしてニヤリと上顎の歯を見せた。
なぜか、嫌な予感がする。
「まあ、いいわ。事件があったときは木田さんとこの旅館に来たのは仕事のためだ。事件の捜査で来たんだよ。行方不明の子供の捜査でね。
昨日の夜、風呂上りに部屋に戻ったら、木田さんが誰かと話をしていてね。誰と電話しているかと聞いても、何も教えてくれなかったんだ。そのあとは同じ部屋で普通に寝たんだよ。
事件に気が付いたのは今朝。既に旅館が騒がしくて聞いたら……木田さんが死んでたってわけさ」
俺は酒川の行動をメモする。酒川は終始木田警部補と同行していたが、木田刑事は殺害されたので、実際のアリバイ証人はいないことになる。今朝方の動きは旅館の人に聞けば行動は確認できるだろう。
しかしまだ重要なタイミングは訪れていない。
酒川はペットボトルのお茶に口をつけると、一気に飲み干した。
「さ、これでいいだろ? 俺は上司を殺されたんだ。はやいとこ、犯人を捕まえてくれないかね、探偵さん」
「ええ、この情報は堂宮刑事にお伝えしますので」
「それなら後でもできるだろ? 俺も一応警察だぜ」
酒川が俺たちを引き留めるように声を上げる。
「お前さんらにも、こっちの情報が欲しいんだ」
「情報?」
「捜索願が出されている案件でね。小さい女の子が行方不明になっているんだ」
「はあ」
「君らはほかにも女の子を連れているようだが、どこかで見たことないかい? この子を」
そういって酒川はA4用紙に印刷されたカラー写真を取り出した。
小学一年生くらいの三つ編みワンピース姿の女の子……。
それは紛れもなく泰子ちゃんだった。
姉川班は俺たちの後をつけていた。
その時が来たようだ、と俺は椿に耳打ちした。椿は「お願いね」と小声で返事をする。
俺は一呼吸置くと、目の前にいる警官に呼びかけた。
緊張する手を握りしめ、事前に椿と決めていたシナリオに沿って話し始める。
「……わかりました。ただ、全面的に開示することはできません。可能な範囲だけ、お話します」
「……」
相手は無言だったが、俺は同意とみなして話し始めた。
「依頼人は何者かに命を狙われていました。にわかには信じられないけど、脅迫や怪しい動きをする人物の情報も手に入れています。僕らは命を狙っている犯人を見つけ出し、警察に突き出さないといけない。だから、依頼人は居場所を転々としていた」
俺たちはその逃避行の手助けをしていた。だが、その逃避先に――
「木田さんと酒川さん……あなたたちもいましたよね。大炊山ホテル。さっきあなたは、この旅館に捜査に来たと言っていた。偶然ですかね」
そう話すと、酒川の眉が一瞬ピクリと動いた。
少々苦笑いを浮かべながら、酒川が答える。
「ああ……そうだとも。大炊山ホテルでの件だろ? 女の子の捜索で来ていたんだよ。この旅館に来たのも同じさ」
「じゃあ、なぜあなたと木田刑事だけがここに? 事件の捜査なら、よっぽどのことがない限りは翌日にするはずですよね」
「急いでいたんだよ。なんせ女の子の捜索だ。変質者にでも襲われて、万が一殺されてしまったら警察として失格さ」
確かに筋は通っているが……それならほかの同僚も連れてくるべきだろう。
疑問を抱きながらも、酒川の話は続いた。
「命を狙われているようなら、警察の方で保護するぜ。こっちだって、その女の子を捜していたんだからな」
「本当にこの女の子を保護する目的だったんですか。保護して、どうするんですか」
「捜索願が出されている事件なんだ。手続きに則って、家族のもとへ送り届けるまでさ」
俺の問いかけに、酒川は怪訝な顔を浮かべた。
俺は一言、探りの一手を口にした。
「家族、ねえ……。この子のご家族は海外出張中らしいですよ。連絡取れるんですか?」
「なら、親戚の連絡先を聞いて……」
「警察は信用できないって、この子言ってました。答えてくれるんですかね。幸い、泰子ちゃんには、保護者の方もいるんです。その必要はないでしょう」
そして、俺はここで振り上げた言葉の鎌を酒川に振り下ろした。
「さっき捜索願が出されているって言いましたが……出す必要ってあるんですか? 家族が出張中で親戚に預けていて、その親戚と一緒にいる子に、捜索願を出す理由がわからないんですが」
俺は酒川の反応を窺った。酒川は口をわなわなと震わせている。額からは汗が滲み出ている。
「うるせえ‼ お前ら、妄想も大概にしろ。堂宮の奴らに吹き込まれたんだろう! あんな奴ら、早く始末しちまえばいいんだよ!」
酒川は大声を上げる。しかし俺は、酒川のある一言を見逃さなかった。
「始末する? 誰がどう、“始末する”んですか?」
「いや、その……」
引っかかったな。
俺は確信した。この姉川班には何かあるのだ。
「あなたの班の上司二人が殺害されているんです。次に狙われるのは自分……そう予期してるんでしょ?」
「……」
酒川は無言になった。あたりに緊張が張り詰める。
俺は前のめりになって右肘を台につけていたが、同時に心臓の拍動が一気に早くなる。
追い詰める側なのに、自分の精神が攻勢に追いついていない。本当にこれでいいのか……不安が徐々に膨らんでいく。
椿も、紅葉ちゃんも不安そうにその様子を見守る。
そして。
――だっ……黙れ‼ 噂を嗅ぎ回るネズミめ! いいか、今やってることはすぐにやめて、手を引け‼ どうなっても知らないからな‼




