第89話 姉川班
「こ、これは木田警部補の警察手帳……どこで見つけたんだい?」
驚きの表情を隠せない堂宮刑事に、俺は一瞬怯えてしまった。しかし、すぐに推理モードに戻るため、一呼吸置いた。
「木田警部補の遺体の下に落ちていました。勝手に見てしまい、申し訳ございません」
「そうか……」
俺は堂宮刑事に木田警部補の警察手帳を返した。
「確かに、木田警部補は姉川警部の班所属だ。“姉川班”とでもいうべきか」
俺は踏み込んだ質問をした。椿に止められるかもしれない。それでも、俺は依頼人を守る探偵としての責務があるのだ。
「昨日、ホテルでも何らかの事件を捜査されていたかと思います。今回も事件捜査でこちらに来られていたんでしょうか」
「……いや、それはない。事件の後は、木田警部補は他の班員と一緒に常盤署に戻っていったよ」
「……昨日、木田警部補が部下の酒川巡査部長とこの旅館に来ていたんです」
「それは何時頃だった?」
「九時過ぎでした。サングラスをかけ、帽子をかぶって、この旅館に泊まりたいと話していました」
「……あとで、旅館の人に確認を取ろう。それで、君は木田警部補は殺害されたのだというのかい?」
「はい。首を絞められる際に抵抗した傷がありました。引っかいたような縦筋の傷です」
「吉川線だな」
推理モードになると自然に頭が回る。その集中力は周囲も認めていることだろう。
俺は周りが見えていなかった。
後ろから声がかかる。
「ちょっとリツ。警察の皆さん、迷惑してるでしょ?」
椿の声にハッとした。前を見ると、堂宮刑事も越川刑事から何か忠告を受けている様子だった。
「あ……ごめんなさい」
俺はすぐに堂宮刑事と越川刑事のほうを向いて謝罪した。
「……どうしても、僕らが受けている依頼と無関係でない気がしたもので……。連続で、しかも僕らの目の前で起きた殺人事件だったから……依頼人の身の安全を図りたかったんです……」
正直に思いを告白した。
事前に警察に話しておけばよかったと、今になって後悔する。一度推理モードに切り替わるとなかなか止められなくなるのは、俺の欠点でもあった。
椿がフォローを入れるように頭を下げた。
「ごめんなさい。こちらからもよろしくお願いします。捜査の邪魔はしないので、協力させていただけないでしょうか」
堂宮刑事は一息つくと、笑顔を見せた。
「……まあ、そうなるよね。君たちの話を聞く限り、現場をある程度把握しているみたいだからね。構わないよ」
「ありがとうございますっ!」
俺と椿は声をそろえて頭を下げた。
「堂宮さん……いいんですか? 確かに、この前の事件でお世話になりましたよ? しかし、個人的な感情は別としても、彼らは一般人です」
越川刑事が心配そうに堂宮刑事を諭していた。しかし、堂宮刑事は越川刑事の両肩に手を置いた。
「そうだな、越川。だけど俺は彼らを信じたいんだよ。金谷警部の遺志を受け継ぐ者としてね」
「金谷警部は素晴らしい人ですが……それでも私たちは警察です。必要以上に現場に彼らを入れるべきでは……」
「だが、市民からの情報を収集するのも警察の職務だ。加えて、今回は俺らの班しか扱っていない“案件”が関わっている可能性が、極めて高い」
“案件”という言葉を聞いて越川刑事の表情が変わった。
「……それって、まさか」
「ああ。彼らとも、情報を共有すべき案件だよ」
俺はなんとなく、堂宮刑事が伝えようとしていることが分かった気がした。
確かに、奴らの動きがどこかに見え隠れしている。
何か、新しい情報が入ったのだろうか。
***
現場では事件の目撃情報や、その時間帯のアリバイ確認が行われた。俺たち「ときわ探偵事務所」の面々や朝永さんと泰子ちゃんは、遺体の第一発見者として、個別に別室で事情を聞かれることになった。
俺は改めてこの旅館に来てからの行動と、遺体発見までの経緯、そして、遺体発見時の状況を詳しく説明した。
そして、念のため殺害時のアリバイも聞かれた。
「なるほど。殺害されたとみられる時間は、部屋で寝ていたのかな?」
「はい。朝永さんと同じ部屋で泊まっていました」
「ほう……」
「ただ、寝ていましたから……」
「まあ、そうだよね。とりあえず君のアリバイ確認はこれくらいにして、後でまた分かったことがあったら報告をお願いするよ」
「はい」
俺は堂宮刑事に軽く会釈して和室を出ると、すでに事情聴取を終えていた椿が紅葉ちゃんと一緒にやってきた。
「リツ、終わった? お疲れ様」
「椿こそ。紅葉ちゃん大変だっただろ?」
「まあ、なんとかなったわ。所長にかかればこんなの朝飯前よ」
椿は私に任せろと言わんばかりに胸を叩いた。紅葉ちゃんはさっきまで緊張していたのか、顔を俯けていた。
紅葉ちゃんは椿同伴で、堂宮刑事が所属する班の別の刑事から詳しく事情を聞かれていた。対面に越川刑事、そして隣に姉の椿がいたとはいえ、内気で姉や俺以外の人とはあまりしゃべらない紅葉ちゃんにとっては大変だったようだ。
「それで、紅葉ちゃん。聞くタイミングがなかったんだけど、」
「うん……わかった」
紅葉ちゃんは深夜の状況を教えてくれた。
紅葉ちゃんは眠れなくなって夜中に飲み物を買いに行ったらしい。その時、何者かに背後から何かを嗅がされ、気を失った。そして朝目覚めたら遺体が吊るされている現場に、泰子ちゃんと一緒に寝かされていたという。
椿が補足してくれたが、紅葉ちゃんは何らかの薬品で気を失ったらしく、越川刑事が鑑識さんと一緒に証拠収集と原因物質を調べているという。
俺はメモ帳にその内容を書き込んでいた。
「ありがとう、紅葉ちゃん。いきなり襲われて、目が覚めたらあんな状況だったんだ。しんどかったと思う」
そう言うと、紅葉ちゃんはゆっくりとうなずいた。
「リツ、紅葉を気にかけてくれてありがとう」
椿が声をかけてくる。俺は彼女に向き直った。
「それで、どうする? まだこの現場に犯人がいるのなら、私たちで聞き込みしたほうがいいと思うけど」
「そうだな。まず、最優先で聞きたい人がいる」
「誰なの?」
俺はソファに腰かけて顔を俯けている、二十代半ばとみられる気の弱そうな男に目をやった。
「姉川班の酒川巡査部長。殺害された木田警部補と一緒に、旅館に来た人だよ」
常盤署捜査一課、姉川班に所属する巡査部長、酒川忠康。昨日の事件でも遭遇した警官だ。
「この人、ひょっとしたら俺たちをつけていたかもしれない。絶好のチャンスじゃん」
俺は椿と相談して、堂宮刑事に許可を得ることにした。刑事さんは越川刑事とともに休憩に入っていた。
俺たちの話を聞くと、堂宮刑事は快諾してくれた。越川刑事は少々不服そうだったが、渋々とうなずいていた。
「その代わり、あとでその情報を俺たちにも詳しく伝えてくれ」
「わかりました。それで、もうひとつ教えていただきたいことがありまして」
俺はこの事件に白装束の姿が見え隠れすることを伝える。そのうえで、堂宮刑事も捜査で何か白装束の情報をつかんでいないか尋ねた。
堂宮刑事は少し考えこむと、俺に耳打ちした。
「実は、少し前に腐乱した遺体が発見された事件があってね。そこで発見された弾丸が白装束のトレードマークである白い鳩の柄だった。それで、事件を捜査していたのが姉川班だった」
「その事件は解決したんですか?」
堂宮刑事は首を横に振った。
「むしろ姉川班からうちの班に変更された事件でね……」
「押し付けられた? 白装束がらみだから?」
堂宮刑事は首を縦に振る。
「正直、保身のためにうちの班に丸投げしたとしか思えない。姉川警部は白装束とつながっているとか噂もあったから」
「マジですか⁉」
思わず声が出そうになるが、背後で椿に肩を叩かれた。
椿は目で落ち着けと促している。俺はすまないと小声で伝えた。
堂宮刑事は話を続ける。
「もちろん根拠はないけど、君らが言うように事件に白装束が関わっているとしたら、それこそ一大事になりかねない。同じ姉川班に所属している以上、酒川巡査部長も同じ警官とはいえ、味方とは限らない。気を付けて事に当たるんだよ」




