第88話 いるはずのない人
「紅葉―! 泰子ちゃーん! どこにいるのー⁉ 何があったの⁉」
椿が大声で二人に呼びかけている。俺も声を上げて二人を捜していた。
俺と椿は外に出て、部屋から消えた紅葉ちゃんと泰子ちゃんを捜していた。
外は明るくなっていたが、森の中ということとまだ朝早いためか、ひんやりと涼しかった。暑くなるまでに彼女たちを探し出さないといけない。
――お姉ちゃん……
力ない女の子の声。紅葉ちゃんのものだ。
「紅葉! 泰子ちゃん!」
椿が足を速める。
旅館の裏から、五十メートル入ったところに二人はいた。
紅葉ちゃんと泰子ちゃんは二人で震えていた。
「大丈夫? 何があったの?」
椿はしゃがみ込んで、二人に話しかけた。
「……お姉ちゃん、あれ……」
紅葉ちゃんが震える指で何かを指していた。
「え?」
俺も紅葉ちゃんが指さす方向を眺めた。その刹那、俺はとっさに椿と紅葉ちゃん、そして泰子ちゃんの前に立ち、両手を広げてその光景を遮った。
「ダメだ、みんな見ちゃだめだ‼」
「い、いやあああああああああああああ‼」
椿の絶叫が森の中をこだました。
俺は見てしまった。
それは、地面から足が浮き、揺れていた。
地上から三メートル。そこにはロープを首に巻き付けた、眼鏡をかけた細長い顔の中年男が、苦悶の表情を浮かべて揺れていたのだ。
***
俺たちはすぐさま女将さんほか旅館の従業員にこのことを報告し、警察に通報を求めた。旅館の人たちは遺体が発見されるという状況に右往左往していたが、女将さんの指示のもと、通報とその他宿泊客の避難誘導、そして遺体発見現場の封鎖は滞りなく完了した。
俺は警察が来るまでの間、現場の写真を撮っていた。
警察の事情聴取に備えてのことだが、何よりも依頼人の安全を確保するため、いち早く犯人を突き止める必要があった。警察が現場に入ると、締め出される可能性があったので、今のうちに現場の証拠を押さえたかった。
一方、椿は紅葉ちゃんと泰子ちゃんを連れて、朝永さんと玄関で待機している。椿に事件究明のため、警察への情報提供を提案したら、彼女はすぐに首を縦に振ってくれた。依頼人のすぐ近くで立て続けに殺人事件となれば、犯人につけられている可能性がある。もう二度と、誕生会の事件を繰り返してはいけないのだ。
そして俺は首吊り死体がある現場にいた。
これまでの事件で何度か人の死にざまを目にしてきたが、今回も見るに耐えず、思わず目を背けてしまった。
父さんの事件をはじめ、これまでの事件で理不尽に命を奪われることへの恐怖と憤りを感じた。いかなる理由があっても、奪っていい命があるはずがない。
せめて、遺体を下ろしたいが地上から高いところにある遺体を警察の許可なしで動かすわけにはいかない。
一方、吊るされたままの遺体の首元には、細いひものような跡が三重にも巻き付けられている。強い力で絞められたのか、黒い跡に加えて、首に絞められた時にできる引っ掻き傷が見える。
凶器は吊るすのに用いたロープとは別のものだろう。
だが、遺体の顔を見るとどこかで見たことがある様子だった。俺は記憶を呼び起こす。
昨日どこかで見た顔……。
――この人、昨日この旅館に泊まりに来た人じゃないか?
昨日見たときは帽子とサングラスでよく見えなかったが、顔の輪郭がよく似ている。
ふと、遺体の足元に、黒い手帳のようなものが落ちている。
俺はビニール手袋をはめて、それを確認した。警察手帳だ。
――警部補 木田 信良
木田。確か、昨日の捜査で聞いた名前――彼の顔から判断して、部下の男に指示を出していた警官だ……ってことは、この人は警察なのか? まさか、俺たちを追っていたのか?
でも、なんでこんなところで首を吊っているんだ?
一通り現場の確認を終えて旅館に戻る。
旅館の玄関のソファに四人が座って待っていた。
「リツ、どうだった? やっぱり、自殺かしら」
椿が不安そうな面持ちで俺を眺める。
俺は首を横に振った。
「違うと思う。遺体のロープがまかれた首に、縦に引っかいたような傷があった。殺害された後で、あの木の上に吊るされたんだ」
「そんな……。殺人事件ってこと?」
俺は首を縦に振る。
「状況から考えて、殺されてから何時間か経っていると思う」
椿だけでなく、紅葉ちゃんや泰子ちゃんの表情にも不安の色が現れていた。
不運なことに殺人事件が二日間、しかも目の前で立て続けに起きてしまった。
そして俺は、一番伝えたいことを椿に告げた。
「それで……あの吊るされた人、俺たち昨日見てるよな」
椿が何か考え込んだ。彼女は遺体を一瞬しか見ていない。
「……昨日言ってた警察の人? 名前は確か、堂宮刑事さんが言ってたよね」
木田警部補と酒川巡査部長。
俺の記憶と照らし合わせると、酒川刑事は二十代の若い男性だったと思う。だから、吊るされていた男性は、おそらく木田刑事。
「多分、木田って人だと思う」
「……なんで、警察がこの旅館で殺されるの? しかも、昨日ホテルにもいたんでしょ? まさか、私たちをつけてたってこと?」
俺は考え込んだ。
「実は昨日の夜、その二人の刑事がこの旅館に来ていたんだよ。偶然とは思えない」
「……また作戦を考え直すしかないわね。立て続けに人殺しが起きてるから、いつ朝永さんたちに危害が及ぶかわからないわ」
俺はこくりとうなずいた。
いずれにせよ、今は警察が来るのを待つしかない。
***
数十分後、現場にパトカーが駆け付け、警察の捜査が始まった。現場は封鎖され、遺体は解剖に回されることになった。
一方、俺たちを含めた宿泊客十五名は旅館の玄関前の和室に集められていた。ここで事情を聞くためだが……。
堂宮刑事が俺たちの前に現れた。隣では、眼鏡をかけた同僚の女性警官である越川刑事もいた。
堂宮刑事は現場にいたのが俺たちであることに気づくと、口をあんぐり開けて硬直していた。その後、深くため息をついた。
「また君らか……とも言っていられないよな」
「……なんか、すみません。私たち、多分何かあるかもしれませんよね……」
「いや、神原さんたちが悪いんじゃないよ。こういうこともあると思うからさ」
俺は話しかけるタイミングを見計らっていた。
確かに連続で俺たちの目の前で殺人事件……不運というか悪霊が憑いているのかは置いておいて……。
俺はゆっくりと口を開く。
「その……刑事さん。殺害されていたのは、昨日亡くなった警部さんの……部下の方ですよね。とても偶然とは思えないんです」
「……というと?」
俺は、首を吊っていた人を昨日あのホテルで目撃していたこと、そして彼は前日亡くなった姉川警部の部下だったことを告げた。
堂宮刑事も越川刑事も目を見開かせていた。
「それは、ほんとかい?」
「同じ警察官で同じ部署の所属……かどうかはわかりませんが、親しい人であれば、彼らを狙った何者かによる犯行、と考えるほうが自然です」
堂宮刑事は考え込んでいる。
椿は不安そうに俺を見つめていた。
俺は、堂宮刑事からの反応を待った。
「身元はまだ調べている最中だけど、何か根拠はあるのかい」
そう来たか。
一瞬応えるのをためらいそうになる。だが、俺は意を決すると口を開いた。
「わかりました。ただ、その前に謝罪したいことがあります」
「なんだい」
「実は、現場の写真を何枚か撮らせていただきました。そしたら、これが」
そして俺は、遺体の真下に落ちていた警察手帳を堂宮刑事に見せた。
「木田警部補――姉川警部の部下の方ですよね」




