第87話 白鳩の殺し屋
彼女が殺し屋に殺された。
依頼人の朝永さんの一言は俺に強烈な一打を与えた。
「それって、どういう……」
一瞬、朝永さんと泰子ちゃんを脅迫している<殺し屋X>の事が頭をよぎる。しかし、俺は必死で雑念を振り払った。これは探偵の悪い癖なのかもしれない。
朝永さんは俺の言葉を受けて、少し間を置く。そして、ゆっくりと口を開いた。
「位知子は……ある事件を追っていましてね……。警察って、僕たちが思うほど正義感あふれる組織じゃなかったんです。証拠保存の不正もしてたし、政治家が関わっている事件は隠蔽して事実を矮小化したりして。彼女は……警察の上層部に向かって不正を糾弾したこともありました」
朝永さんの話はまるで俺の父親のことを聞かされているかのようだった。
「だけど、ある日……位知子は上司に事件のことで直談判に行ったんです。政治家が関わっている案件だから、上司は止めたそうなんですけど……。彼女が消えたのはそれからでした」
「消えた……。遺体は見つかったんですか?」
俺の言葉に朝永さんは首を横に振る。
「いや。ですが、警察は捜査中の事故で亡くなったと言ってました」
「事故……。遺体がないのに……」
「でも、位知子が消える直前、彼女のアパートに脅迫状が来ていたんですよ。<白鳩の殺し屋>を名乗る何者かから……。たぶん、そいつに消されたんだ」
――織田位知子巡査部長、貴殿に忠告する。自ら火遊びを周囲に持ち掛けるようなことは、今後自粛していただきたい 白鳩の殺し屋
脅迫状を送りつける<白鳩の殺し屋>。今回の犯人も殺し屋を名乗っているが、手口が似ている。
まさかとは思うが……。
「その……<殺し屋>が<殺し屋X>と同じ人物かもしれないと、考えたことはありませんか? 何か、思い当たることとか」
俺の問いかけに朝永さんは首を横に振った。
「わからない。でも、もし同じ人間が僕らを脅迫しているなら言いたいですよ。僕たちから、何もかも奪わないでくれって」
その横顔はどこか、犯人を絶対に許さない、覚悟のようなものが感じられた。
俺も同じだった。もし、父を殺した犯人がこの場にいたら……問い詰めてやりたい。
理不尽に散っていった、父さんの命。
家族と過ごすはずだった時間を返してほしい。俺や母さんが受けた悲しみを、苦しみを、ぶつけてやりたい。
それが、誰であったとしても。
***
夜。俺は寝る前にトイレに行くのと、水分補給のため水を買いに行った。
トイレを済ませ、自販機からペットボトル入りの水を購入しようとすると、
「お客様、あいにくお時間を過ぎておりまして……」
「そこを何とかお願いしたい。近くのホテルはどこも受け入れてくれなくてさあ……ここしかないんだよ」
「そうは言われましても……」
着物姿の従業員が、帽子を深くかぶった、サングラスをかけたスーツ姿の男二人に詰め寄られていた。男二人の目元がサングラス越しにわずかに見える。顔は相手に気を遣う表情が見て取れるが……遠目から見れば不審者にしか見えない。
内心、俺はドキッとした。一瞬だが、高校時代のいじめの記憶がフラッシュバックする。トラウマになっているせいで、誰かに迫られているところを見ると、気分が悪くなってしまう。
そして同時に俺の記憶は、あの二人をどこかで見た覚えがあった。いったい……どこで?
***
一方、こちらは椿と紅葉、そして泰子が宿泊している部屋。
姉の椿と、依頼人である泰子の間の布団で、妹の紅葉は痛む頭を押さえていた。
頭が痛くて眠れない……。
紅葉は頭を押さえて起き上がると、窓の外に広がる夜の森を眺めていた。
夕方、なぜかひどい眠気に襲われ、必死でその睡魔と格闘していた。
姉の椿には眠っていないと言っていたが、実は睡魔にやられて眠ってしまっていたのだ。
そして、起きて感じたとてつもない頭痛。
姉に心配され、早めに床に就いたが……頭痛が思いのほか長引き、眠れなくなってしまった。
そして深夜には頭痛は収まってきたが、なぜか喉がひどく乾いていた。
自販機で水でも買ってこようと思い、紅葉は椿と泰子を起こさないように、財布を取り出してそっと部屋から抜け出した。
自販機は旅館の玄関に一台設置されている。
窓の外からカエルやコオロギの鳴き声が聞こえてきた。ここは森の中だからか、異様に静かだ。リツと椿は怪しい人影はないと言っていたが、やはり暗い夜となれば心細くなってしまう。
何も出てこなければいいけど……。
子供の姿になってしまっている今はなおさらだ。性格的に気が弱い紅葉にとって、自販機までの距離がやけに長く感じた。
自販機でペットボトルの水を購入し、さっさと部屋に戻ろうとした。
何者かの足音がこちらに近づいてくる。
な、なんなのっ!?
紅葉は半分パニックになりながらも、ソファの物陰に隠れた。
足音が次第に大きくなってくる。
紅葉は息を止めていた。
足音が、紅葉が隠れているソファのまさに隣を通った。
心臓の鼓動が大幅に上がる。
そして足音は徐々に小さくなっていく。
紅葉はため息をついた。
誰なんだろう……とにかく、今は戻らなくちゃ。
足音を立てないように、なるべく早く部屋に戻る。姉の椿と“人生をやり直せる薬”のことを調べるようになってから、姉から音を立てない歩き方を教わったが、すでに体の中に染みついていた。
とにかく早く部屋に戻らないと……その一心だった。
その一心さが、背後から近づく物音に気づくのを遅らせてしまった。
いきなり、紅葉は背後から何者かに口をふさがれた。急激に眠気が襲う。
――な、なんなの……
そのまま彼女は、意識を手放してしまった。
***
翌朝。
――ツ……リツ! 部屋開けてくれない?
朝からなんだよ……。
俺は眠たい目をこすって起き上がった。隣ではまだ朝永さんが眠っている。
戸の外から椿の声がする。
「ちょっと待ってくれ……」
浴衣姿のまま俺は戸を開けた。
椿が息を切らせて立っていた。急いで部屋を飛び出してきたのか、長い黒髪がところどころ乱れ、浴衣の胸元や襟がはだけていた。
俺は一瞬後ろに後ずさりした。驚きと下心が一緒に湧き上がってきた。
「椿、何かあったのか?」
「大変なの! 紅葉と、泰子ちゃんがいないの!」
「はっ!?」
椿の言葉で俺の眠気をはじめとした雑念はすべて吹き飛んだ。
「お、おい、それってマジかよ」
「朝起きたら二人ともいなくて……。もう食堂に行ったのかなって思ったんだけど、朝食までまだ時間があったの。二人のスマホに何度か連絡を入れてるんだけど、部屋の中で鳴ってたのよ……」
「寝ている間に連れ去られたのか……?」
椿はわからない、というように首を横に振る。
「とりあえず、部屋に来てくれない?」
「わかった」
俺と椿は彼女たちが泊まっていた部屋に向かった。
部屋は男部屋と同じく六畳間の和室。布団が三枚並べられ、椿が寝ていたという布団を除くと、夜中に何かがあって抜け出したような感じになっていた。
しかし、これだけでは何もわからない。
「どこ行ったんだ……? 女将さんとか、他の従業員の人にも聞いてみようぜ」
「うん……」
その時だった。
甲高い、少女の声とみられる悲鳴が上がった。
「この声は……紅葉!?」
椿の身体は自然と走り出していた。まさかと思い、俺も椿の後を追いかけた。




